2015年12月11日金曜日

慶長19(1614)年 真田丸の戦いに関する考察(追加その2)

真田丸の戦いを考える上で従来納得できなかった点の1つは、慶長19年12月4日早朝に前田勢が攻め寄せて合戦の発端となった篠山の位置についてであった。これに関して平山優氏の著書『真田信繁―幸村と呼ばれた男の真実』では、合戦当日早朝に前田勢が攻撃を仕掛けた篠山は、当時小橋村を中心に布陣していた前田勢の前面に存在しており真田出丸全体を含む丘陵地に隣接して大坂方が防御柵を敷設していた、「伯母瀬(の柵)山」が恐らく該当するのではないかという考察がなされている。

実はもう1つ、真田丸の戦いを考える上で筆者の腑に落ちなかった点がある。それは、真田丸に立て籠もって12月4日の徳川勢の攻勢を撃退した真田左衛門佐信繁が率いた軍勢の構成についてである。通説によると、信繁は関ヶ原の戦い時点まで大名身分を持っておらず、したがって、沼田城主であった兄伊豆守信之(関ヶ原の合戦前は信幸)と違って独自の所領と家臣を持たない、言わば父安房守昌幸の部屋住の次男坊であったと考えられてきた。

 ところが、平山氏の著書第二章94-97頁の考察によると、天正18年2月の小田原出兵時に際しての真田家に対する豊臣秀吉の軍役賦課基準(百石につき5人役で合計3千人)から計算すると、仮に昌幸の知行した信州小県郡上田領3万8千石と信之の知行した上州吾妻郡8千石の合計4万6千石では2千3百人の軍勢動員数にしかならず、実際の真田家の動員兵力から7百人も足りないことになってしまうという。そして、その不足分に該当する知行高1万4千石こそ、信繁の知行分に該当するのではないかというのである。

 確かに、信繁の官途名である左衛門佐は兄信之の受領名である伊豆守と同じく単なる僭称ではなく、秀吉の推挙によって文禄3(1594)年11月2日付で朝廷から叙爵(従五位下叙位)と同時に任官された正式の官位であって、これは兄信之の叙爵・伊豆守任官と同日のことであり、同時に信繁は秀吉から伏見城下に屋敷を拝領して豊臣姓を下賜されている。

 つまり、真田兄弟は当時全く身分的に同格であったのであり、これは兄信幸が徳川四天王の本多中務大輔忠勝の女婿であったのに対して、弟信繁が豊臣家奉行の大谷刑部少輔吉継の女婿であったことを考えても頷けるだろう。とするならば、信繁も兄と同様に1万石以上の大名身分であったことが容易に想像できる。

 もし信繁が関ヶ原の戦い以前に大名身分であったとしたならば、父昌幸とともに改易されて紀州高野山に配流されるまでは恐らく昌幸の家臣団とは別に数百人規模の直臣たちを抱えていたはずであるから、大坂入城に当たって信州から旧臣たちを呼び寄せたことは間違いないだろう。彼らが真田丸に籠城した真田勢の中核部分を成したと考えたならば、俗に言われるような真田丸5千人の将兵が諸国牢人寄せ集めの烏合の衆であったという認識は改めなければならず、それ相応の精鋭部隊であったとも考えられるだろう。

 逆に言えば、真田丸に相対した徳川方の加賀・前田利常(利家四男)と彦根・井伊直孝(直政次男)、越前・松平忠直(秀康長男)はいずれも大坂冬の陣が初陣で実戦経験皆無であったから、勇将であった彼らの父たちの様な采配を戦場で振るうことは端から期待できなかっただろう。その意味では信繁を含む大坂方の方が大将分の能力という点では遥かに優位にあったと思われる。これが真田丸の戦いで、徳川勢が脆くも敗退した最大要因であったのではないだろうか。

 実際に残された記録によれば、合戦当日早朝の篠山奪取後に大将利常の下知も無いまま、小姓や馬廻達の抜け駆けでなし崩し的に前田勢の真田丸攻撃が開始され、それに釣られた隣の井伊勢と越前勢が鉄砲除けの竹束も用意せずに競って惣構と真田丸の空堀に侵入して柵を撤去し始めたため、敵の接近に気付いた大坂方による午後3時頃まで続いた激しい銃撃に曝された結果、各軍勢とも数百人以上の名のある武士達と多くの雑兵らの死傷者を出す大損害を被ったようだ。

 徳川勢第二の敗因は、大坂城惣構から東南部湿地帯に突出した真田丸の、巧妙な横矢掛り可能な配置にあるのであろう。言うまでもなく、右利きの多い将兵たちは右頬に鉄砲を当て、また右腋に槍を抱えて攻城戦に向かうことになる。その場合、たとえ仕寄せを完成して十分な竹束を前面に押し立てて惣構の城柵に接近したとしても、徳川勢攻撃部隊の右前方に位置していた真田丸からの銃撃には、極めて脆弱な側面を曝してしまう危険が大きかっただろう。

 しかも、12月4日の真田丸の戦い当日時点では、記録によると肝心の仕寄せ(塹壕)の構築は未だ完成しておらず、そもそも高台にあった真田丸前面は前述のとおり「一騎打之通」(平山、195頁)しかない湿地帯が広がっていたため仕寄せの構築が困難であった。

 その上、一部前田勢の抜け駆けに触発された実戦経験皆無の大将達に率いられた大軍が、十分な竹束の防弾楯も用意せずに、一斉に殺到して空堀に落ち込んだのであるから、大坂方の激しい銃撃に対して為すすべもなく大損害を被ってしまったことは当然であっただろう。

 仮に野戦であれば、古代ギリシャやマケドニア時代の重装歩兵のファランクス(密集方陣)の様な隊形をとり、右翼に精鋭部隊を配置して敵と交戦する戦術も出来ただろうが、平地の少ない日本では歩兵部隊の完全な密集隊形が衝突する会戦はついに出現しなかったし、いわゆる「左上右下」の配置が古来の伝統であったためか、筆者の管見の限りでは、野戦においても攻撃側が最精鋭部隊(先鋒)を左翼に置くのが日本の主たる戦術であったように思われる。

 例えば、桶狭間の戦い(今川勢左翼は松平元康)、姉川の戦い(織田・徳川勢左翼は徳川家康)、長篠の戦い(武田勢左翼は山縣昌景)、長久手の戦い(徳川勢左翼は井伊直政)、そして関ヶ原の戦い(東軍左翼は福島正則)など、左翼重視の陣形が非常に多いように感じる。

 その理由は、防御力を重視して右翼に精鋭部隊を置いた西洋式戦術とは逆に、日本ではむしろ攻撃重視で左翼に精鋭を配置し、将兵が右側面に武器を保持する結果、右前方からの攻撃に脆弱な敵の右翼を粉砕・突破する戦術が武将たちに好まれたためではないだろうか。

 同様の発想で、右翼に精鋭部隊を配置する防御的な西洋伝統の戦術を逆手にとって左翼に打撃力を集中して大勝利を導いたのが、紀元前371年に起きたレウクトラの戦いだろう。この戦いでは、テーバイの名将エパメイノンダスが、ボイオティア同盟軍を率いて左翼に重装歩兵の戦力を集中する斜線陣を敷き、伝統戦術に固執して右翼にラケダイモン(スパルタ)の精鋭部隊を配置して交戦したペロポネソス同盟軍を撃破した。

 西洋古代のファランクス戦術では、右手に長槍を保持した右隣の兵士が左手で持つ楯が左隣の兵士の右側面を防護する役割を担っていたため、戦列の最右翼に位置する兵士は自分の右側がほとんど防御されていないため、最も勇敢な者でなければ勤まらないと考えられていた。

だが、それでも敵の右前方からの攻撃を恐れるあまり、右側に戦列を伸ばそうと右へ向かう圧力が陣形全体に強まってしまうために、相対した両軍とも右翼の戦列が右側にどんどん伸びてしまった欠点があったと言われている。

 慶長19年12月4日の真田丸の戦い当日も、前田勢の左側に位置していた井伊勢と越前松平勢の将兵たちは、恐らく真田丸が位置していた右側面からの銃撃を恐れるあまり、古代ギリシャのファランクスが互いに右翼側に伸びてしまう欠点を持っていたのと同様の理由によって、右翼の真田丸側に戦線を必要以上に延ばしてしまったのではないだろうか。

 その結果、合戦当日に真田丸正面からの攻撃を担当した加賀前田勢の戦列に井伊勢や越前松平勢が不用意に入り込んでしまったことが、徳川勢全体の戦線を一層混乱させることに結び付いたために、想定外の大損害を徳川方にもたらしたのではないかと筆者は考える。

2015年12月9日水曜日

慶長19(1614)年 真田丸の戦いに関する考察(追加)

 今年7月22日の投稿で、筆者は城郭考古学者の千田嘉博・奈良大学学長による真田丸に関する最近の学説(惣構外の要害に出張った死地布陣説)を紹介した。ところが10月25日に、来年のNHK大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当する山梨県立中央高校教諭の平山優氏によって、角川選書から『真田信繁―幸村と呼ばれた男の真実』という本が刊行された。

同書の第五章と第六章は、真田丸に関してその実像と大坂冬の陣における慶長19年12月4日の戦いについて非常に詳細な考察が加えられており、戦史マニアである筆者にとっても大いに参考になった。そこで、今日は平山氏の学説について筆者の感想を述べてみたい。

 まず、平山氏が真田丸考察に際して依拠する資料は主として3種類あり、まず1つは千田氏と同じ『浅野文庫諸国古城之図』の「摂津真田丸」である。第2は江戸時代から大正2年にかけて描かれた真田丸跡周辺の絵図面であり、そして第3は、これが氏の独特なのであるが、(文献)資料として永青文庫蔵「大阪真田丸加賀衆挿ル様子」(以下、「加賀衆」と略す)が専ら依拠されている。そして、この第3の「加賀衆」に関する平山氏の考察が、筆者には大変興味深いものであった。

 まず、真田丸が置かれた位置であるが、筆者と同様に平山氏も現在大坂明星学園の敷地がある上町台地東部の丘陵地であったと結論付けている。特に興味深かったのが、この出丸周辺エリアが上町台地に接続する西部を除いて東部と南部が一面の湿地帯で、寄手であった徳川勢による接近目的の塹壕(仕寄せ)構築が困難であったことである。

 そして、真田丸背後の惣構堀は、八丁目口辺りまで東側から台地に入り組んだ清水谷の自然地形を利用して堰き止めた水掘りであったらしく、真田丸南部にも味原池がある他、出丸南部の空堀の一部にも湧水を利用した池(すなわち水堀)があって、真田丸本体(現在の明星学園敷地)とその東部に連結していた宰相山に続く丘陵地を分断する一種の堀切の役割を果たしていたという点である。

 しかも、真田丸は堀の外部を取り囲むように宰相山を含む丘陵地を取り込んで三重の柵(土塁に面する堀際と堀の底、そして堀の外部)が構築されていたようであり、例えば加賀前田利常の軍勢が布陣していた小橋村付近からは相当高台に位置していたようなのである。しかも、小橋村付近は前述のように一面の湿地帯であったというから、これでは徳川方の真田丸攻撃は著しく困難を極めたことであろう。

 平山氏によると出丸の規模についても、南北220m×東西140m説と、堀幅を除いて南北270m余×東西280m説が対立しているとのことであるが、前者の説は空堀と南部の池に囲繞された丸馬出型の真田丸本体(つまり、昔の真田山が在った今の明星学園敷地)だけを示したものであり、これに対して後者の説は、出丸本体東部に隣接した宰相山や西部の八丁目口方面に続く丘陵地を取り込んだ五角形のエリア全体を出丸の縄張りと見なしたものであると考えれば、説明に整合性があって納得できるであろう。

 なお、池を含む真田丸南側の堀は、現在の高津高校北側の段差が恐らくそれに相当する模様なのである。

 また、当時の真田丸の戦いを考える上で従来どうもすっきり納得できなかったのが、真田勢が前田勢の陣地構築を銃撃で妨害したため、慶長19年12月4日早朝に前田勢が攻め寄せて合戦の発端となった篠山が一体どこにあったのかという点であるが、これについても平山氏の考察は非常に興味深かった。

つまり、合戦当時の篠山は味原池南にあった笹山のことではなく、真田山と宰相山を含む惣構東南部に位置していた平野口南部の丘陵地全体を呼称したものでないかというのである。そして、合戦当日早朝に前田勢が攻撃を仕掛けた篠山は、この真田出丸全体を含む丘陵地に隣接して小橋村に布陣していた前田勢の前面に存在していて大坂方が柵を敷設していた「伯母瀬(の柵)山」が恐らくそれに該当するのではないかというのである。

 確かに平山氏のこの考え方によれば、従来の笹山が真田丸から出張るには味原池を挟んでいたため出丸からの援護が困難であったことの不審な点を説得力を持って克服することが出来るし、何しろ小橋村付近の前田勢の陣地前面に篠山が位置していたことに他ならないことになるから、出丸から出張した真田勢がサボタージュ(妨害工作)の銃撃を行うには格好の地点であっただろう。筆者はこの考察に賛同する。

 なお、平山氏によると、真田出丸は堀で囲まれた本体内部の北端に、本体と幅八間(約1.8m×8=約14.4m)の堀で仕切られた小曲輪があったという点では千田氏が依拠した「摂津真田丸」の考察を受け継いでいるから、氏によると真田丸は小曲輪-出丸本体-丘陵全体を柵で囲む外郭部の極めて堅固な三重構造になっていたことになる。

 そして、真田出丸に構築された矢倉下と前田勢の陣地との歩測による距離の計測結果が180歩であったとされ、旧日本陸軍の1歩0.75mで積算すると両者の間に大体約135mの離隔があったと想定される点(同書、217頁)も筆者には大変面白い考察であった。


 確かに、当時の火縄銃(マスケット)の有効射程距離を考慮すれば、前田勢はこの程度真田丸から離れて布陣せざるを得なかったと考えられるからである。

2015年12月4日金曜日

日米同盟の対称化(コミットメント強化)政策に対する反論として、安全保障のジレンマと同盟のジレンマを持ち出すことの理論的問題について(本論)

 さて、昨日筆者が投稿した『文藝春秋オピニオン2016年の論点100』での日本の集団的自衛権行使に関する柳澤協二氏の論説への反論について、筆者の見解を今日は述べてみよう。

再度柳澤氏の論点を要約すると、集団的自衛権行使による日米同盟の「対称化」努力は日米対中国の間に「安全保障のジレンマ」を引き起こし、東アジア地域の緊張を激化させかねない。また、最近のわが国周辺の戦略環境の激変の本質はアメリカの介入意図ではなく能力の欠落に起因するもので、日本本土の戦略環境はソ連が脅威であった冷戦時代と何ら変わりなく、戦略的な対象がソ連から中国に置き換わっただけである。よって、我が国周辺における紛争への対処は従来通りの個別的自衛権を行使することだけで十分足りるし、むしろ現状では、アメリカが「同盟のジレンマ」における尖閣問題等をめぐる日中対立に「巻き込まれる恐怖」を感じていると見るべきだという主張である。

なお、日米安全保障条約(1960年)第5条では、日本の施政下にある領域での日米両国の共同防衛義務だけが規定されているだけだから、確かにNATOと異なり防御同盟として日米同盟が非対称であることは間違いない。だが、次の第6条では米軍の日本国内での駐留権と地位協定に基づく法的地位(特権)の付与が日本側に義務付けられていることから、日米同盟は決して片務的な同盟関係ではない。

したがって、我が国が将来集団的自衛権を限定行使することによって日米同盟を「対称化」させることは可能であるが、同盟を「双務化」するという言葉は日米安保条約の解釈上正確ではない。そのため筆者はこの言葉を用いないのである。

 ここで、重要な論点は、まず第1に「安全保障のジレンマ」の定義を再確認することである。代表的なロバート・ジャービスの定義などによると、「安全保障のジレンマ」とは軍備増強や同盟形成等による自国の安全保障強化措置が、相互不信や先制攻撃の恐怖の連鎖反応を招くことによって、かえって他国の安全を減少させる状況を意味している。

このジレンマを引き起こす原因は、相手国の意図に対する相互不信と恐怖の連鎖とスパイラルである。そして、かかる相互不信は国際システムが無政府状態で合意の履行強制が個々の国家のコミットメント(約束の履行)問題に帰着することから生じ、また、恐怖は自助システムによる安全保障上の自己責任から生じるのである。

 ところが、このジレンマは本来防御的意図しか有しない現状維持国間で生じることから不本意な軍拡競争による緊張激化を引き起こす「ジレンマ」と言えるのであって、相手が現状維持国側に対する力の変遷を望んで均衡化を図ってくる挑戦国である場合には、現状維持国側がむしろ力の不均衡を増大させる能力増強競争を行って、挑戦国の勝算の期待値を引き下げることが戦争を引き起こさないための妥当な政策になるのである。

 そして、筆者の考えでは、現在の中国は東アジアにおける日米同盟に対する挑戦国と見なすのが妥当であるから、柳澤氏の主張するような「安全保障のジレンマ」は本来起こり得ないはずである。その場合に考慮されなければならないのは、あくまでも現状維持国側の能力増強による抑止の効果についてであって、日米サイドが能力増強を控えれば、却って中国の現状変更行動(既存秩序を支えているゲームのルールの変更)を認めるという、誤ったシグナルを相手に送ってしまう危険な安保政策となりかねないだろう。

 さらに最近の実証研究から言えば、安全保障のジレンマによって戦争が引き起こされるという因果関係には懐疑的な見方が有力で、当該ジレンマは単に双方の協力関係を阻害するに過ぎず、軍拡競争や戦争の原因とはならないとするモデルも提唱されている。仮にジレンマによって緊張が激化したとしても、信頼醸成措置(CBMs)などの安心供与を相手国に与える措置を講じれば十分で、これは同盟の能力及びコミットメントの強化による抑止力の向上とは全く別の論点なのである。

実際、日米対中国の間で安全保障のジレンマが生じていることを仮に認めたとしても、日中海空連絡メカニズムの構築等のCBM合意は徐々に進展しているのだから、柳澤氏の主張するような日米中間の緊張が必ずしも激化しているわけではないだろう。

 第2の論点は、「同盟のジレンマ」についてである。確かに柳澤氏の言うとおり、日本の様なジュニア・パートナーが集団的自衛権を行使してアメリカの軍事介入に協力するようになれば、理論上は「巻き込まれる恐怖」を避けながら、同盟強化によるアメリカのコミットメントの確実な履行を探って「見捨てられる恐怖」を払拭していく難しい安保政策の舵取りを今後強いられるようになるかもしれない。

 だが、同盟関係の維持管理とは、本来パートナー国のコミットメントの不確実性(不完備情報ゲームの性質)を和らげるためのバーゲニングが本質なのである。なぜなら、コミットメントの履行は決して自動的になされるものではなく、その信頼性はあくまでも有事の際の相手国の意思決定次第なのであり、また、同盟による抑止が成功するかどうかは、被抑止国側がコミットメントの信頼性についてどう認識するかにかかっているからである。

 したがって、アメリカの日本に対する拡大抑止を間違いなく履行させるためには、かつてトーマス・シェリングが指摘したようにコミットメントを供与しない「逃げ道」を塞ぐような「仕掛け線」(tripwire)、すなわち、米軍を事前に最前線付近に配備しておくことが重要なのである。実は沖縄への米海兵隊配備には、有事の際にアメリカを地域紛争に「巻き込む」ことを強要する、そうした「仕掛け線」の意味合いがあると筆者は考える。

 その点では、米海兵隊が沖縄に駐留している限り、一定の程度で日本の「見捨てられる恐怖」は弱められているのである。また、有事の際の緊急抑止に関して言えば、紛争の初期段階で戦場に到達できるような緊急展開能力の優勢を保つことが決定的に重要であるから、その意味でも沖縄に米海兵隊を配備しておくことによる「仕掛け線」の設置は、日本の安全保障にとって有意義であるだろう。柳澤氏以上に有名な安保問題の論客である孫崎享氏(元外務官僚)や森本敏氏(元防衛大臣)の言説は、このあたりの点に関して認識不足であると筆者は感じている。

 さらに、平時の一般抑止において被抑止国に対する同盟コミットメントの信頼性を強化するためには、被抑止国の戦争費用を引き上げて攻撃のインセンティヴを逆に引き下げるような、有効な抑止シグナルを相手に伝達する必要がある。

その意味において、同盟国が介入意思と能力を持つことに疑問の余地が無い位に高いコストとリスクを平時から負担しておくことが、有事における実際の便益(介入の有無)を度外視しても、私的情報であるコミットメントのシグナリング効果を増大させるはずである。

筆者が思うに、安倍政権が容認した限定的な集団的自衛権行使の本当の意義は、実はこのような被抑止国に対するシグナリング効果を強化することにあるということなのだ。柳澤氏たち行使容認反対派は、こうした側面を正確に理解してはいないのではないだろうか。

2015年12月3日木曜日

日米同盟の対称化(コミットメント強化)政策に対する反論として、「安全保障のジレンマ」と「同盟のジレンマ」を持ち出すことの理論的問題について(序論)

 毎年年末になると今年起きた国内外の出来事を纏め、いわゆる有識者たちが来年度を予想して論点を語るような(失礼ながら浅薄な)情勢整理本が書店に並ぶようになる。筆者も今日職場近くにある大型書店で、そうした本の1つである『文藝春秋オピニオン2016年の論点100』をざっと眺めてみた。今日はその中の国際情勢と安全保障問題に関する論説について、筆者の感想を述べてみたい。

 まず、筆者の良く知っている知人である池内恵氏と柳澤協二氏の論説が目に留まった。池内氏はイスラーム問題について有名な若手論客として活躍中だが、彼は昨年来のISの台頭でシリアとイラクが「新しい中世」状態に陥っており、よく言われるような中東では民主制ではなく独裁者でなければ統治できないという認識すらもはや成立せず、仮に独裁制に回帰したとしても現在の混沌から逃れることは出来ないだろうという認識を示していた。

 この池内氏の分析は、なかなか鋭い内容を含んでいる。というのは、中東の現在の国家体制と安全保障環境を規定した英仏(露)のサイクス・ピコ協定の打破をISがスローガンにして、カリフ国の樹立を昨年6月のイラク北部モースルの陥落後に宣言したこと、その後ISが欧米諸国その他からなる有志連合(彼らの言う「十字軍」)の攻撃を一手に引き受けて迎え撃っているという宣伝を流布していることが、昨年来、国際安全保障上の大問題となっている現実の本質的な側面を、非常に上手く表現しているからである。

 ただし、池内氏の述べた「新しい中世」という言葉は他人の受け売りだし、ISの活動による中東近代国家体制における国境線否定の現実が、必ずしもウェストファリア体制以前の中世欧州の様なローマ教皇と教会権力や神聖ローマ皇帝、国王や領主に対する忠誠と義務(換言すれば一定領域内での権威と権力)の錯綜関係への復帰を必ずしも意味してはいないのだから、ややオーバーに言い過ぎている嫌いはあるだろう。

 筆者が問題というか、認識不足で大変頓珍漢な議論であると思ったのは、柳澤氏による日本の集団的自衛権行使に反論する論説文の方である。断っておくが、筆者は2001年の9・11事件の頃から彼とは知人であり、その言説についても十分把握していると思うのだが、最近の彼は昨今の国際安全保障問題の本質を正確に理解しないまま、もっぱら安全保障担当の内閣官房副長官補まで務めた防衛官僚としての経験論に基づく、(筆者に言わせれば浅い)議論を繰り返しているように感じてならない。

 あくまでも『文藝春秋オピニオン2016年の論点100』での柳澤氏の論説から感じたことだけなのだが、要するに彼は、集団的自衛権行使による日米同盟の「対称化」(「双務化」という言葉は日米安保条約の解釈上正確ではない)努力が日米対中国の間に「安全保障のジレンマ」を引き起こして東アジア地域の緊張を激化させかねないし、最近のわが国周辺の戦略環境の激変の本質はアメリカの介入意図ではなく能力の欠落に起因するもので、日本本土の戦略環境はソ連が脅威であった冷戦時代と何ら変わりなく、戦略的な対象がソ連から中国に置き換わっただけである。そして、いわばアメリカが「同盟のジレンマ」における尖閣問題等をめぐる日中対立に「巻き込まれる恐怖」を感じていることだと主張しているのである(この認識はかなり疑問だ)。

これに対して安倍政権は「見捨てられる恐怖」を感じているから同盟の対称化を進めているのであって、柳澤氏の分析ではその本質は現行の国際秩序を維持しようとする意図の弱まったアメリカの対外介入に日本がどう協力するかという問題に過ぎないということらしい。したがって、集団的自衛権行使による日米同盟の対称化の結果、自衛隊は地球の裏側までアメリカの介入に協力させられる危険があるし、そもそも現状の日本周辺の紛争に対処するためには従来の個別的自衛権を行使することだけで十分なのだ、というのが防衛のプロであると自他ともに認める柳澤氏の現状認識なのである。

 はっきり言って、この柳澤氏の言説は国際政治学の理論的に見ても実証的に見ても浅薄で不正確な理解に基づく、非常に頓珍漢な安全保障論である、と筆者は考える。

 実はこの点について筆者の見解を述べたいのであるが、残念ながら今日は時間が足りない。そこで、当該問題に関する本論については明日の投稿で詳しく述べることにしたいと思う。

2015年12月2日水曜日

ロシアの対トルコ輸入禁止措置の経済制裁発動は、紛争の機会費用に関するリベラリズムの前提を覆す可能性がある。

ロシア政府は12月1日、Su-24M戦闘爆撃機撃墜の報復措置として、トルコに対する制裁のリストを公表したが、そのリストによると、農産品の他にも鶏肉や塩など計17品目の輸入を来年1月1日から禁止するということである。

ロシアはウクライナ問題をめぐる対立からEUからの農産品の輸入も制限しているため、今後の物価の上昇による市民生活への影響が懸念されていると報じられた(NNNニュース、12月2日)。また、地元メディアによると、ロシアからトルコに天然ガスを供給するパイプライン建設計画についても、「交渉が停止される」との話が伝えられているそうだ。

 国際政治学におけるリベラリズムの前提によると、経済相互依存下にある国家間関係においては、紛争の機会費用が高まるため、双方の関係悪化がもたらすコストの負担を考慮して紛争のエスカレーションが抑制され、その結果平和が保たれると考えられている。

 これはリベラリズムが、国益とはもっぱら国内アクターの選好に由来し、絶対利得、換言すれば経済的利益の最大化を国家が追求するはずであると考えていることを前提としている。すなわち、リベラリズムの前提では、国家間で絶対利得が求められるため双方の利益が合致することで協調がもたらされ、武力紛争の機会費用が考慮されてそれを回避することが国家間の共通利益になると楽観視されているからである。

 だが、今回のロシアの対トルコ経済制裁措置は明らかにロシアの絶対利得を減少させるものだろう。なぜなら、報道されているとおり、ロシアはトルコとの経済相互依存状態にあるからだ。したがって、ロシア政府がトルコからの物資の禁輸措置を選択することは、自ら自国に損となることを承知でトルコとの友好関係を毀損したことになる。

 両国間で経済相互依存が深まれば経済的損失が大きくなるために双方の紛争が抑止され、協調が維持されるとするリベラリズムの考え方はかなり疑問視されると言わざるを得ない。この事実が、今回のロシアの対トルコ制裁の発動を見ても明らかなのではないだろうか。

 筆者が思うに、現実主義の考え方である、A国の利得が直ちにB国の損失に結び付くとするゼロサム的な「相対利得」の追求が国際政治の前提であるため、国際協調は困難であるとする見方は国際関係を一面的に捉え過ぎている。

 だが、同様に国家が「絶対利得」を常に追求するため、他国との協調を重視し、紛争の機会費用を考慮して紛争のエスカレーションを回避するというリベラリズムの考え方も、甘すぎる一面的な見方であると言わざるを得ないだろう。

 問題の本質は利得の形態ではなく、その時に当事国の置かれた戦略環境による政策の選択肢の幅にあるのだろう。こうした視点に立てば、今回のロシア政府によるトルコへの禁輸制裁措置の発動に見られるように、自ら経済的な絶対利得を縮小しても安全保障上の相対利得の損失を最小限に抑えることを選択するという、一見損な政策を採ることも国際政治では有り得るということなのである。

 ロシアとしては、トルコのエルドアン大統領があくまでもロシア空軍機のトルコ領空侵犯の主張を取り下げず、現時点で一切の謝罪や金銭的賠償にも応じる気配を見せていないことから、有効な争点分割が出来ないためバーゲニングが不可能な状態に陥っているとも考えられる。

 ロシア側はあくまでもSu-24M機が領空侵犯をした事実は無かったと主張し、トルコ側はNATOの支援も受けてロシア機の自国領空侵犯を主張しているため、この争点を他の争点での譲歩と交換することが今のところ出来ないだろう。いわゆる争点のリンケージという、紛争当事者間における交渉上の知恵を働かせることが不可能な状況なのである。

 だが、分割不可能な争点のほとんどは両国の置かれた政治的文脈に規定されたものであって、決して物理的に争点分割が出来ないわけではない。特に今回の国家の領域主権に関わる領空侵犯の様な安全保障問題については、個々の紛争自体は取るに足らないような些細な行き違いに起因したものであっても、国内政治における「観衆費用」を高めて自国が容易に引き下がれないような状況を作り出すことによって相手の譲歩を引き出すバーゲニング・パワーを創出するためにも、トルコとしては安易な妥協を避けなければならないはずである。

 しかし、それによって、必ずしも両国の紛争が武力衝突にエスカレートしていくわけでもないだろう。筆者の見立てでは、今回の紛争原因はもっぱらトルコ側のクルド問題に関する安全保障のジレンマにあると考えるが、それは脅威認識の相手をトルコからの分離独立を志向している国内反体制派PKKや、ISと戦っているシリアのクルド人民防衛隊(YPG)を支援しているロシアと考えた場合には、極めて間接的で非対称な相手と言わざるを得ないからである。

 ある意味では、その点にこそ、今回のロシア軍機撃墜問題が抱える複雑怪奇で解決困難な相手国の意図に関する「相互不信」と「恐怖」のスパイラルに基づく安全保障のジレンマが隠されているわけであろう。

2015年11月27日金曜日

撃墜されたロシア軍機搭乗員を射殺した、トルクメン人反体制武装勢力の戦闘員資格から見た追加的考察

 昨日の投稿で、筆者は今回のロシア空軍機撃墜をめぐるトルコとロシアの対立が、安全保障のジレンマに起因したトルコの対露脅威認識(恐怖)のエスカレートに基づく先制攻撃の意味合いがあるのではないかという点を指摘した。

 実は、今回の事件をさらに複雑にしている国際人道法上のもう1つの難しい論点がある。それは、シリア領内のトルクメン人反体制武装勢力によって、撃墜後パラシュートで脱出した2人のSu-24M(複座戦闘爆撃機)搭乗員のうち1人が降下中に射殺されてしまったことである。さらに、この搭乗員救出に向かったロシア軍捜索ヘリコプター2機のうち1機が迫撃砲による攻撃を受けて破壊・不時着したため、海兵隊員1人が死亡したとの情報もある。

 難しい論点とは、このロシア軍機搭乗員を殺害したトルクメン人武装勢力メンバーが国際人道法上の合法的戦闘員(Lawful Combatants)と言えるかどうかという問題なのである。

なぜなら、彼らが法的に戦闘行為への参加資格を持つ合法的戦闘員でないと見なされる場合には、取りも直さず不法戦闘員(Unlawful Combatants)ということになり、今回のロシア軍機搭乗員(や海兵隊員)殺害行為が単なる犯罪行為になってしまうからである。

 さらに問題を複雑にしているのは、今回の撃墜事件の引き金になったと思われるロシア軍のトルクメン人武装勢力に対する空爆作戦が、シリア政府軍地上部隊のトルクメン人に対する攻撃を支援する目的で行われていたと考えられることである。

 なぜなら、戦闘における敵対行為においては、攻撃によって得られる軍事的利益に対し、攻撃によってもたらされる人的、物的損害が過度にならないよう努めなければならないという、均衡性の原則が働くからである(井上忠男『戦争のルール』、宝島社、2004年、45頁)。

したがって、いわゆる民間人の巻き添え(付随的)損害(collateral damage)の発生をほとんど防ごうとしないシリア政府軍や、それに協力しているロシア軍のような紛争当事者による攻撃は、均衡性を失した違法な攻撃と見なされてしまうのである(井上、同上)。

 まず、前者のトルクメン人武装勢力の戦闘員資格について考察してみよう。前提として、シリアの現状の様な賛否両論はあるが一応正統政府であるアサド政権と、その支配に抵抗する国内武装勢力との武力紛争である「内戦」は原則として国内問題とされ、一般的には国際紛争とは見なされず、武装勢力が合法的戦闘員と認知されるためには、ハーグ陸戦規則の定めた戦闘員資格を満たすよう指揮官の下で組織的行動をしていることや戦闘服を着用して公然と武器を携行していること、そして何よりも戦争に関する法規と慣習を遵守して合法的に戦闘することが必要なのである(井上、同上、43、122-3頁)。

 例えば、かつてのベトコンの様なゲリラは正規の戦闘員ではないが、抵抗運動に関与する不正規兵として民兵(パルチザン)と同様に、一定の条件(例えば軍事目標だけを攻撃し、テロリストのような無差別攻撃をしないこと等)を満たせば、ロシア軍やシリア政府軍の将兵の様な正規兵と同様の合法的戦闘員と見なされるわけである。

 ただし、内戦においては捕虜という概念自体が存在しないから、ゲリラは敵に捕らえられても捕虜とは扱われない(井上、同上、43頁)。これが内戦と国家間戦争との大きな相違点であるが、今回ロシア軍機搭乗員を殺害したトルクメン人武装勢力は、果たして合法的な不正規兵であるゲリラと言えるのか、これが問題であろう。

 先述したとおり、内戦における抵抗活動は国際人道法を順守して行われなければならないが、ゲリラと認められるためには政府軍兵士を人道的に扱い、拘束者を公正な裁判なしに処罰してはならない。

しかし、シリア内戦でも同様であるが、実際には政府軍側も反体制側も多くの違反をするのが通常である。特に反体制側の兵士が政府軍に囚われた場合は悲惨で、国家反逆罪で裁判にかけられて処罰されることが有ればむしろまともであり、大抵の場合には暴行や拷問が加えられて、裁判もなく処刑されてしまうのが通常であろう。

 その報復として、反体制側も政府軍兵士に対して違法な非人道的行動に出がちなのである。その極端なケースがISによる「捕虜」の惨殺である。今回、トルクメン人武装勢力が被撃墜機から脱出した後の無抵抗な遭難ロシア軍パイロットを狙撃して殺害したことは、ジュネーヴ条約第1追加議定書第42条に違反する非人道的な違法行為であるため、アサド政権やロシアが彼らを「不法戦闘員」や「テロリスト」と見なして攻撃しているのもあながち否定できない論理なのである。

 ところが、そのシリア政府軍やロシア軍の作戦自体も均衡性の原則から見て違法行為である疑いが非常に強い問題があるのだ。樽爆弾を反体制派が支配する市街地に無差別に投下するシリア空軍機の空爆や、ヒューマン・ライツ・ウォッチが述べたようにロシア空軍機がクラスター爆弾を投下したことが事実であれば、こちらも明らかに均衡性を欠いた違法な攻撃であると言えるだろう。

 つまり、筆者の見るところ、シリア内戦における紛争当事者はいずれも国際人道法に反する違法な攻撃の応酬を繰り返しているのが現状であり、それは人為的な誤爆の多い無人攻撃機を空爆に多用している米軍等の有志連合軍側にもある程度言えることなのである。

その意味で、シリア内戦への諸外国の介入がまさに報復の連鎖反応を引き起こし、双方の安全保障のジレンマによる紛争エスカレーションの危険が差し迫っていることこそ、今回のトルコ軍機によるロシア空軍Su-24M戦闘爆撃機撃墜事件から考察できる本質的問題であると、筆者は考えている。

2015年11月26日木曜日

トルコ空軍機によるロシア空軍機撃墜事件に関する考察―同床異夢の三者間における齟齬について

 11月24日現地時間の午前9時20分頃、トルコ南部ハタイ県上空を領空侵犯したとされるロシア空軍のSu-24M戦闘爆撃機がトルコ空軍のF-16戦闘機に撃墜された。今日は、同事件に関する筆者の現時点での分析を述べてみたい。

 まず、双方の主張の食い違いについてであるが、撃墜したトルコ側は国籍不明機(ロシア軍機)の領空侵犯に対し、撃墜前に5分間で10回の退去警告を発進したと主張している。一般的に領空侵犯に対する対処措置としては警告前置主義が慣習国際法上成立しているため、トルコの主張通りであったとするならば今回の空対空ミサイルによる攻撃と撃墜は合法的措置であったことになる。

 だが、撃墜されたロシア側(救出されたパイロットを含む)の主張によると、ロシア軍機はトルコ領空を侵犯しておらず、一切無警告のままトルコ軍機の不意打ちによってシリア領内で撃墜されたということである。

 したがって、ロシア側の主張が正しいとすれば、トルコは違法な実力行使によってロシア軍機を一方的に撃墜したことになる。双方が自らの主張を裏付ける記録を提示したようだが、事実関係については恐らく真相は何も証明できず、双方の主張が食い違ったまま今後も推移していくことだろう。

 古代共和政ローマ時代の賢人であったマルクス・トゥッリウス・キケロは、次のような名言を残している。すなわち、「黙して隠された敵意は、公然と言われた敵意より恐れられる」、「事故の原因は、事故そのものよりも興味深い」、そして、「武器がものを言うとき、法律は沈黙する」ということである。

 また、国際法の父と言われるフーゴー・グロチウスはその名著『戦争と平和の法』の中で、次のようなキケロの言葉を引用している。それは、「ほとんどすべての危害は、恐怖にその淵源を有する。他人に危害を加えんと企てるものは、もし彼がこれを行わないならば、彼自身が害を蒙るべきことを恐れるからである」ということである(井上忠男『戦争のルール』、宝島社、2004年、38頁)。

 この最後のキケロの格言は、安全保障のジレンマに陥った国家が先制攻撃に至る心理を的確に表現したものだ。そして筆者の見るところ、今回のトルコ側のロシア軍機撃墜事件に至った心理は、恐らくこのような安全保障のジレンマによる先制攻撃の実施にあったと思われる。

 トルコ側の心理状態を解説すると、今年9月以降開始されたロシア軍のアサド政権支援のための空爆作戦遂行によって、エルドアン大統領が強く退陣を求めるバッシャール・アサドの体制が強化されることによって自国の安全保障が脅かされたとする脅威認識によるものだろう。

 しかも、ロシア軍のこれまでの空爆目標は、ISに対すると言うよりは、むしろアサド政権を支えるための自由シリア軍などイスラーム過激派以外の反体制派を抑えることに向けられたものだった。実はISとシリア政府軍が直接対峙している戦線は、現時点でそう多くはない。ISの勢力圏とアサド体制側の勢力圏は相当程度離れており、必ずしも双方が接触していないからである。

 事実、今回ロシア軍機がトルコ軍機に撃墜された場所は、トルコからシリアに突き出た地中海沿岸のハタイ(アンタキヤ、つまり古代セレウコス朝シリア時代に首都であったアンティオキア)地方とシリア領内でトルクメン人が居住する山岳地帯の国境エリアで、シリア側に約4km入った地点とされている。ちなみにこの撃墜場所は、ロシア軍の空軍基地がある港湾都市ラタキアからは約65km離れた地点とも言われている。

 つまり、今回撃墜されたロシア軍機は、ISではなく、シリア領内のトルクメン人反体制派武装勢力を空爆のターゲットにしていた蓋然性が高い。トルクメン人はトルコ系で、トルコとしては同一系統民族に対するロシアの攻撃を阻止したいし、これまでも同地帯でのロシア軍機の領空侵犯を含む行動に警告を発していた事実がある。

 また、ロシアのシリア内戦介入の意図を一言で表現すると、「親アサド・親クルド」の性質が色濃く、反ISの性質はむしろ二義的意味しか持っていない。プーチン大統領の意図はシリアの傀儡政権であるアサド体制を断固護持して、シリア内戦での主導権をアメリカから奪って国際社会における大国としてのロシアの地位を復活させることに有るのだろう。

同時に、ロシア軍が対IS空爆作戦で有志連合に協力するように見せかけて、ウクライナ問題やクリミア併合問題で対立する欧米諸国やトルコ、ペルシャ湾岸諸国を分断する意図もプーチンは併せ持っているに違いない。フランス同時多発テロ直後の対ISテロ戦争強化の情勢は、ロシアの欧米接近と有志連合分断工作を容易にする絶好の好機だからだ。

 これに対して有志連合の一員であるトルコの意図は「反アサド・反クルド」の追求であり、これはアメリカやフランスの意図である「反IS・反アサド」の優先順位とも微妙に食い違っている。トルコのエルドアン政権にとっては、国内におけるクルド人政治勢力がシリア内戦でのクルド人反体制派の活躍に刺激されて活動を活発化させることを抑えることが最優先の課題であって、その点でISによるトルコ国内でのテロ攻撃に付け込まれている側面がある。したがって、欧米諸国のように反IS作戦を徹底することが、かえって国内不安定要因となりかねない大きなリスクを抱えているのである。

 かつて旧ソ連は、NATO加盟国であるトルコを不安定化させるためにトルコからの分離独立を目指すクルド労働者党(PKK)を支援していた。また、16世紀から19世紀にかけて何度も露土戦争を戦った歴史を両国が持っているように、不凍港を求めて南下政策をとったロシア帝国はトルコにとって元来が不倶戴天の敵であったと言える。

 シリア内戦とクルド問題に対するロシアの態度が、トルコのエルドアン政権の脅威認識を刺激して今回のロシア軍機撃墜、その領空侵犯の真相は別にして、恐らくトルコ側の予防的先制攻撃を引き起こしたのではないかと筆者は推測している。

 その意味で、立場上トルコを擁護せざるを得ない米仏両国を含むNATO諸国とロシアとの間で、今後の対IS空爆作戦での連携を深めることは困難になったことは確実である。

 というより、先述した通り、欧米とトルコ、ロシアの三者間でシリア介入と対IS作戦に関する意図がそもそも食い違っていたことから、この三者が密接に協力することなど本質的に困難であって、かえって三つ巴の争いが今後水面下で展開するのではないかと筆者は考える。特に、当分の間、ロシアのトルコに対する反撃が十分想定されるのではないだろうか。