2015年6月25日木曜日

Vorkers、JTBとHISの社員満足度の違いに関する感想

 昨日のダイアモンド・オンライン(http://diamond.jp/articles/-/73759)に、Vorkersによる第4回連載として、「JTBHIS、有給消化率2倍の差から見える実態」という記事があったので筆者も眺めてみた。ちなみにVorkersとは、就職や転職に関連する企業クチコミ情報を提供するウェブサイトだそうである。

 言うまでもなくJTBは日本の旅行業界を代表する老舗であり、一方のHISは格安旅行で名を成した元ベンチャー企業である。したがって、JTBは高度経済成長期以来の終身雇用制度を維持しているのに対して、HISは社員の年齢に関係無く実力主義的で、若手の裁量権が比較的認められる社風の様であった。

 記事によると、JTBはコンプライアンスと企業倫理が確立された正社員が安心して働くことができる環境である一方で、異動が多く業務も保守的でルーティン化されているものが多いため、専門性が身に付きにくく、個人のキャリア形成がしにくい環境であるそうだ。同社は、典型的な日本型大企業の社風と言えるだろう。

 これに対してHISは、研修より直ぐ現場に配属してOJTで社員を育成するシステムを取っているそうで、数字による実績が重視され、若手社員の離職率も高めであるとのこと。この点で、柳井正さんが代表取締役会長兼社長として率いる「ユニクロ」の持株会社ファーストリテイリングにどことなく似た社風の様だ。

HISについては、社員と元社員のクチコミで、トップダウンによる見切り発車で現場軽視の業務命令に不満が述べられている点でも、柳井氏のカリスマ性が社風に占める割合が大きいと思われるファーストリテイリングのケースに類似していると思われる。

 だが、筆者が興味を持ったのは、こうした両社の社員・元社員のクチコミ情報ではなく、両者のワークライフ・バランスに関する具体的なデータの方である。

 例えば「月間平均残業時間」については、JTBが52時間、HISが58時間であるそうだ。これは同じVorkersの調査したデータによると、JTBの残業時間はIT・通信業界の残業時間とほぼ同等であり、HISのそれは情報サービス、リサーチ業や金融業の残業時間とほぼ同等である。

 ちなみに労災の過労死認定基準となる月間平均残業時間は80時間であり、これを超える残業時間を記録しているのはコンサルティング業、シンクタンク位であるそうだ。ただ、自分もそうであるが、調査研究業務については資料や設備の整った職場に残ってした方が自宅でするよりも集中できて効率的な場合が多々あるので、コンサルタントやシンクタンクで働く研究者は、長時間の残業を自主的に行っている可能性も大きい。

 いずれにせよ、「月間平均残業時間」の点で見れば、JTBHISも他のサービス業よりも残業時間が多いとは必ずしも言えない様だ。ただし、旅行業界の持つ特性から、部署にもよるだろうがゴールデンウィークや夏のハイシーズンには激務を強いられるだろうし、エクスペディアに代表されるオンライン旅行会社と比べてシステムが未だ合理化されておらず、労働集約的で社員個人の犠牲に業務遂行が依存している部分が多く残されている点は、今後改善すべきだろう。

 次に「有給休暇消化率」で見ると、JTBが56.4%であるのに対して、HISは28.1%とかなり低い消化率である。HISさんは、社員の皆さんのワークライフ・バランス改善の観点から、有給休暇消化率を高めていく必要があるだろう。そうした企業努力が、女性の活躍と日本の少子化対策に直結するからだ。

 筆者のような研究者は、先述したとおり自主的残業が多いのであるが、政府が今国会に提出している労働基準法等の改正案では、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプションの来年4月からの導入が、アベノミクスの成長戦略の一環として盛り込まれている。

 この改正案が今国会で成立すれば、年収1075万円以上の高度な専門職を対象に、週40時間の労働時間規制が外され、会社は一切の残業手当や深夜・休日労働に対する割増賃金の支払い義務が免除されることになる。

 制度導入派である財界の意図は、広範囲の裁量権を持つホワイトカラーに対して生産性を向上させ、成果による評価と処遇を行うことにある。しかし、日本企業では個人の職務の詳細なジョブ・ディスクリプション(職務内容記述書)が定められていないため、成果が適切に評価できないし、チームワークでの業務遂行上、個々の役割分担も曖昧なので成果主義が必ずしも馴染まない問題がある。

 その上、残業過多の社内環境が恒常化している場合には、容易に長時間労働とサービス残業が常態化する恐れもある。この危険性こそ、導入反対派が同改正法案を「残業代ゼロ法案」と揶揄する所以である。

 もっとも現状においても、管理職はいくら残業しても残業代は付かないのだから何も変わらないとも言えるし、そもそも筆者のような研究職は、好きで夜遅くまで職場に残って自主的に仕事をしているわけだから、制度導入趣旨の対象外であるとも言える。それでも、ホワイトカラー・エグゼンプション制度の選択はあくまでも労働者個人の自主性に委ねられるべきであるし、過労死しない程度に労働時間の上限は設けた方が良いのではないだろうか。

 JTBHISの話題から随分と脱線したが、海外旅行にかなりよく行く筆者の感想では、両社のサイトはエクスペディアと比較すると、オンライン予約の使い勝手が未だ十分に満足する水準に達していない。海外旅行オンライン予約のヘビーユーザーとしては、検索一発で空室があるホテルと空席が残っている格安航空券のセットが、バババンと表示できるサイトを作ることを、JTBHISには共に目指してほしい。

 それと、飛行機の座席指定とホテルの朝食セットも検索時点で直ぐ出来るようになれば、海外旅行のオンライン予約サイトとしては、JTBHISもまずまずの使い勝手の良さになると筆者は思う。ちなみにエクスペディアについては、一旦予約が成立するとキャンセル不可が多いのが、同社のシステムの最大の欠点であると筆者は考える。それだからこそ、エクスペディアが格安なのかもしれないのであるが。

2015年6月24日水曜日

シリア、イラクでの有志連合軍の対IS二正面作戦の効果に関する考察

 既に先の投稿で述べたとおり、アメリカが主導する有志連合軍による対IS空爆は、昨年8月からイラクで、そして9月からはIS武装勢力の策源地であるシリアで、それぞれ二正面作戦として現在実施されている。

 その結果、ISメンバーはこれまでに月間約1千人、合計1万人以上が有志連合軍の空爆作戦で殺害されたと米国務省が述べている。ISの戦闘員総数は約3万人と見積もられているから、外国等からの戦闘員補充が継続しているとはいえISの戦闘力にとっては相当なダメージだろう。しかし、昨年6月10日にISがイラク北部の要衝モースルを制圧して以降、なおISはシリア全土の約50%、イラク全土の約3分の1を合わせた約30万㎢の領土を(人口希少であるが)支配下に置いている。欧米諸国の望むIS根絶には、まだほど遠い状況にある。

 アルカーイダなど従来のイスラーム過激派と異なるISの存在意義は、イラクとシリアの間に欧米列強によって引かれた国境線を解体し、一定の領土を支配する「カリフ国」を存続させることにある。

したがって、ISが5月にイラクのアンバール県の県都ラマーディーとシリアの世界遺産都市パルミラ(タドモール)を相次いで占領することに成功したことは、イスラーム世界におけるISの存在意義を象徴的に強化したと言える。逆に言えば、イラクとシリアの現政権にとっては自らの政権存続の正統性をさらに弱める非常に手痛い失態となった。

 特にシリアでは、2011年3月から4年以上続く内戦による死者が23万人以上に達しており(ロンドンに拠点を置くシリア人権監視団の統計による)、イラクとは比較にならない今世紀最大の人道的危機状態にある。シリア政府軍は2月に北部主要都市であるアレッポでの反体制派に対する攻勢に失敗し、アサド政権を支援するヒズブッラーとイランのイスラーム革命防衛隊も同月シリア南部での反体制派制圧に失敗した。

 3月にはヌスラ戦線等が率いる反体制派連合がアレッポ南西にあるイドリブを制圧し、5月にはアサド政権の基盤である地中海沿岸地帯とアレッポを結ぶ交通の要衝であるジスル・アッシュグールも反体制派が押さえた。最近のアサド政権軍の退潮は顕著である。

 他方、ISも6月15日に、クルド人民防衛隊(YPG)の攻撃でラッカ(ISが首都と宣言している)とトルコ国境を結ぶ交通の要衝であるテル・アビアドを喪失した。6月23日には、これも要衝であるアイン・アイーサもYPGが占拠した。これでISは、トルコからラッカへ通じる最重要の補給路をクルド人に絶たれたことになるとともに、アレッポへ繋がる交通路も一部遮断されたことになる。米国家安全保障会議(NSC)元イラク部長のダグラス・オリバンド氏が今月指摘したように、確かにISの領土拡大には限界が見えてきたようだ。

 ISの領土拡大は、政権基盤の脆弱なスンナ派地域では現地住民の支持を何とか得て成功しているが、イラクでもシリアでもクルド地域ではむしろ苦戦していると言えるだろう。

 有志連合軍はこの機を逃さずISの領土拡大を押し戻して、ISの存在意義を破砕する作戦を選択すべきだろう。そのためには、有志連合軍は、シリア国内でISと戦っているアサド政権かヌスラ戦線などの反体制派か、現状において二者択一でいずれも好ましくない相手との事実上の連携を選択せざるを得ないシリアでの作戦遂行よりも、まず、イラクでの対IS作戦を優先すべきであろう。従来のシリア、イラク二正面作戦を少し転換して、まずイラク西部での対IS掃討作戦に重点を置くべき時期ではないだろうか。

 そのためには、アメリカはバグダードのアバーディ政権が過度に依存しているシーア派民兵組織とイラン・イスラーム革命防衛隊とのアンバール県での対IS 共同作戦を止めさせ、スンナ派の安全を保障して現地の部族勢力を対IS戦闘に参加させる方向性を模索するべきだろう。

 筆者の分析では、今年に入ってからのISは有志連合軍の空爆による戦闘員の減少に加えて、トルコ国内やシリア政府に対する密輸が主な収入源であった石油売却益が大幅に減少していると見られ、資金的にも苦しい状況に陥りつつあると考える。スンナ派取り込みという戦略が明確に規定できるイラクでの攻勢をまず優先し、戦略が規定できないシリアでは当面現状維持を図るのが、有志連合が採ることのできる現実的な選択肢ではないだろうか。

2015年6月22日月曜日

AERA6月22日号、「結婚はコスパが悪い」「同格婚のジレンマ」「独身男子のホンネ座談会」に関する感想

 AERAの6月22日号で、「嫌婚の正体」と題する特集がされていた。「嫌婚」という用語が耳馴れず面白かったので、筆者も読んでみると、最近の婚活男女の方々の意見がよく理解できる内容でなかなか興味深かった。そこで、今日はこの特集について筆者の感想を述べたい。

 まず、結婚に対する価値観の側面から「嫌婚の正体」に迫った「結婚はコスパが悪い」という記事には、なかなか結婚に踏み切れない男女数人の意見が述べられていた。1人は、キャリアアップを優先し、恋愛は後回しにしている「力み過ぎ型」の31歳の男性で、この人は、彼女は今すぐにでも欲しいし、結婚もしたいが、相手が見つからない(10頁)そうだ。

 もう一例は36歳の女性で、「(彼のために)尽くしたけど、ダメになったとき手元に何も残らなかった。(中略)これほど無駄な時間はないと思った」そうだ(11頁)。さしずめこの女性は、「失恋トラウマ型無気力症候群」に陥ってしまったケースであるとでも言えるだろう。

 また、別の40歳商社勤務の男性は、結婚相談所に頼らないと結婚できない自分が許せない(12頁)。この人は、「プライド肥大型」で結婚できないタイプと言えるだろう。

 しかし、この御三方に共通しているのは、「嫌婚」という用語でその価値観を評価するより、むしろ「避婚」という用語で表現した方が的確に思われる。なぜなら、3人とも決して「結婚したくない」わけではなく、何らかの事情で「結婚に向き合えない」状態に陥っているに過ぎないからである。

 関西学院大学社会学部准教授の鈴木謙介氏の記事中の分析によると、かつての女性の「玉の輿」のような「格差婚」が許容された時代から、現代は、パートナーの収入や容姿のような表面的価値のみならず、内面的な価値観やコミュニケーション能力のハードルまで自分と同等を求める「同格婚」の時代であるそうだ(12頁)。

そして、結婚は生活保障手段としての「必需品」ではなく、「嗜好品」になったという。だが、結婚が「嗜好品」ならば、それを結局獲得できないのは、つまり、生活に余裕の無い「つまらない人生」ということを意味しているのに他ならないのではないか。家族がいる安心感はほかでは代えられない(13頁)ばかりか、筆者にとっては夏休みに世界各地に家族旅行する楽しさだけでも、妻子を持つことのありがたさをしみじみ感じるのだが。

 なぜなら、筆者が仕事の出張でハワイやラスベガスに旅行した時、いくら有名リゾート地で現地の関係者に歓迎されても自分1人では全く面白くなかったからである。やはり、海外旅行は家族で行くのが一番楽しいし、日々のストレス発散の絶好の機会にもなる。これこそが筆者の偽らざる実感であり、それだけでも家族を持つ価値は大いにあると思う。

 ところで、この「結婚はコスパが悪い」の記事よりもっと面白かったのが、独身男子のホンネ座談会「できれば原石級の女性に出会いたい」という記事だった。

 同座談会に参加したのは、30代後半から40代前半でなかなかの年収の独身男性4人(AさんとBさんは年収1千万円超、Cさんは年収約600万円、Dさんは約900万円)とのこと。記事によると、彼らの職業も見た目も特段欠点は無いようで、何で独身でいるのか不思議なのだが、記事を読んだところ、失礼ながら筆者の視点で分析しても確かに婚期を逃すタイプの男性達であった。

 彼らが結婚できない原因について、個別に筆者の所見を述べてみよう。まずAさんは43歳の外科医で医者家系に育ち、彼女はいたものの、「医者の娘と結婚しろ」という親の猛反対を無視して彼女に結婚の意思を伝えた時には既に時機を失し、結局彼女に振られたとのこと。

 彼のケースでは、彼女の方がそれほど彼に魅力を感じていなかったと筆者には思われる。この記事の後にCさんとDさんが指摘しているように、婚活中の女性は通常複数人の男性を結婚パートナーの候補者リストに入れており、その間にシビアな序列を付けている場合がほとんどだ。もしAさんが彼女にとって序列第1位の候補者だったならば、もう少し待ってくれたかもしれない。しかし、相手の親の猛反対は後々の面倒事を考えると、結婚相手とするには痛い。恐らくそういう所が、Aさんが婚期を逃した根本原因だろう。

 Aさんは既に43歳の年齢に達しており、いくら年収約1500万円の外科医でも、子供の大学卒業までの時間を考えると結婚相手の女性は簡単には見つからないはずである。

 次にBさんは地方出身者で、長男だから地元の人と結婚しろと親戚から言われ、東京でできた彼女よりもコンサルティング会社で昇進直後の仕事を優先したために振られたそう。この人の場合、筆者には優柔不断過ぎると感じられる。筆者ならば、仕事と彼女の両方ゲットを当然目指す。Bさんは、昨今多い草食系男子の走りと言えるタイプなのかもしれない。

 Cさんの場合、38歳にもなって母親と同居しているのが決定的にまずい。親より彼女を優先しなければ、そもそも結婚できるはずがない。

Dさんは原石級の女性に出会いたいそうだが、そんな曖昧な指標を掲げているようでは現実的な婚活女性達に敬遠されるだけだろう。彼は、合コンで「年収どれくらい?」と直球で聞く女性に引いてしまうそうだが、婚活中の男性サイドも女性の容姿と年齢をシビアに見定めているのだから、口にこそ出さないまでもこうした条件提示はお互い様である。Dさんはナイーブ過ぎて婚期を逃してしまうタイプであると、筆者には思われる。

 いみじくも記事の最後の方でBさんが述べていたように、結婚適齢期の「30代前半の女性は婚活が業務的!」というのが実態なのである。その程度の女性の合理的思考にショックを受けているようでは、彼らはなかなか結婚できないだろう。

2015年6月19日金曜日

三大都市圏私立大学の入学定員超過分に対する、助成金減額の文科省方針に関する感想

先の投稿で筆者が分析を述べた国立大学文系学部及び大学院の廃止・転換に関する文科省の各国立大学法人への通知に続いて、6月18日、文科省は、入学定員を超過した三大都市圏の私立大学に対して、超過した学生数に応じて私学助成金を減額する方針を決定した。

 先に筆者が述べたとおり、地方国立大学の文系学部が廃止・転換されると、文系学部受験生の多くは企業への就職が容易である東京など大都市部の有名私立大学への入学を第一に目指すようになるだろう。文科省も同様の懸念を抱いており、現時点で学生の約65%が集中している三大都市圏の合計約3万3千人の定員オーバーを解消させ、約46%が定員割れを起こしている地方私大へ入学者を回帰させようという方針を示したものである。

 しかし、定員超過分に応じて助成金を減額するというやり方はいかにも無理やり感があり、決して妥当な政策とは言えないだろう。地方の国立大学の文系学部を廃止・転換させる方針を国が打ち出す以上、受験生としてはそれに代替する入学先として早慶など大都市の有名私大を第一に志望するのが人生の選択肢として至極当然である。その受験生の当然な希望を、地方の過疎化を防ぐために政策的に抑制しようというのはいただけない。

 そもそも筆者が入学した80年代前半のように一部の推薦を除いて私大入試が一般入試当日の一発勝負であった時代には、国立大学に抜ける分の合格者数を算定するのが困難であったため、私大が入学定員をきっちり守ることが困難であった。

 しかし、今は早慶両校などの有名私大でも少子化時代の入学定員確保(そして財政維持)策として、一般入試による入学定員数をどんどん削減して、各種推薦入試やAO入試による入学者数が増大しているのが現状である。

 日本の私大の抱える大問題は地方大学の定員割れだけではなく、こうした推薦やAO入試による入学者の学力不足問題も社会に大きな悪影響を及ぼしている。

 実際、推薦合格者数とAO入試による入学者数をコントロールすることは一般入試に比べて非常に容易であるから、文科省は定員超過分に応じた私学助成金削減などという効果があるかどうか不明の弥縫策などに頼らず、堂々と私学に入学定員を守らせるように通知するのが本筋の政策であろう。

 文科省が素直にそれをできないのは、入学定員数が私大の財源の大きな部分を占めている現状では、入学定員数を完全に守らせることが大都市の有力私大の大反発を招きかねないからだろう。

 したがって、文科省がむしろ早急に取り組むべきなのは、学力不十分な卒業生を大量に社会に送り込んでいるかもしれない現状の私立大学の推薦入試とAO入試を改革することの方であろう。その点で、基礎レベルと発展レベルの二段間で構想が進んでいる、日本版SATScholastic Assessment Test、つまり大学進学適性試験)とも言える所謂「達成度テスト」の制度構築を急ぐべきではないだろうか。

2015年6月17日水曜日

下村文科相の国立大学文系学部廃止・再編要請に関する分析

 6月8日、下村文部科学大臣が平成28年度から開始される国立大学改革プラン第3期中期目標計画の策定に関して、全国86の国立大学法人に対して教員養成系と人文社会科学系学部及び大学院の廃止と転換に取り組むことを通知した。今日はこの問題に関して、筆者の分析を述べたい。

 まず、全国各地の国立大学の文系学部を廃止、再編すべきと聞くといかにも唐突な感じがするが、文科省の意図するところはそれほど単純な話ではない。それは、全ての国立大学に対して来年度からの運営費交付金の重点配分策による財政誘導を通じて「ミッションの再定義」を行わせ、それを踏まえた組織改革を促す目的があるからだ。

 改革プランの工程表によると、平成25年から27年度の改革加速期間中に各国立大学のグローバル化とイノベーション機能の強化が定量的な指標等によって検証可能な形に明確化されると共に、学長が主導するガバナンス機能の強化や人事・給与システムの弾力化が進められることになっている。その結果、来年度から開始される第3期中期目標期間において、国際競争力のある高付加価値を生み出す国立大学に発展させる計画が謳われている。

 いわば従来の大学が担ってきた教養教育よりも、企業社会の要請である利益を直ぐに生み出せるような即戦力の特に理工系人材育成を重点に置く教育制度に大学を改革しようという意図が、今回の文科相の要請の背景にある。

 学長が主導するガバナンス機能強化や人事・給与システムの弾力化に関しても、文科省が国立大学に求めているのは企業的な経営合理化の手法を導入することに他ならない。

 問題は、グローバル化とイノベーション機能の強化の担い手となる大学が、「世界最高の教育研究の展開拠点」「全国的な教育研究拠点」、そして「地域活性化の中核的拠点」という3つの枠組みに類型化されたうちの、「世界最高の教育研究の展開拠点」と想定された旧七帝大と筑波大学の8大学に限定され、その8つの大学に運営費交付金が重点配分されそうな気配があることだろう。

 この8つの大学は、いずれも医学と理工系を中心とする研究大学である。その意味で、高付加価値を生み出すことに最も近い国立大学群であることに間違いない。他方、第3カテゴリーである「地域活性化の中核的拠点」は大都市圏を除く地方の国立大学の大部分が含まれると思われるが、これらの大学群に要請されているのは、地域のニーズに応じた人材育成拠点となることである。

 この点で思い起こされるのが、経営共創基盤CEOの冨山和彦氏が提唱したグローバルな人材を育成する「G型」大学と、ローカルな人材に企業実務的な職業訓練を施すような「L型」大学に日本の大学を二分するという、文科省有識者懇談会での提言との考え方の類似性である。

 冨山氏の考え方は以下の通りだ。大学進学率が5割を超え大衆化した日本の大学教育ではほとんどの学生が卒業後職業人となり、研究者になるのはほんの一部に過ぎない。ところが日本の大学教育は伝統的な一般教養主義に基づいて行われており、それは従来の日本型正規雇用制度の下では職場特有の技能教育を大卒一括採用で入社した後のOJTで実施していたため特段問題とならなかった。

しかし、昨今のICT化やグローバル化の進展の結果、企業固有スキルよりも業界横断的な汎用性スキルに習熟した即戦力の人材を産業界は求めているため、企業単位のOJTに依存するよりも公共的な大学教育でそうした職業訓練的な教育を行った方が合理的かつ効率的である、というものだ。

特に地域経済の中心であるサービス業では、簿記や会計に代表される様なジョブ型の実学に長けた人材が求められており、その教育を企業ではなく地方大学に担って貰おうという考え方である。

 こうなると、地方大学のアカデミズムは今後否定されていくことに繋がりかねない。特に、少子化によってその存在意義が縮小している国立大学の教員養成系や、私立大学の教育によって十分代替可能である人文社会科学系の学部と大学院を廃止し、より実学的な学部と大学院に転換させるべきであるという結論が容易に導き出されるだろう。

 さらに、「地域活性化の中核的拠点」たる地方国立大学の位置づけよりもっと中途半端なのが、第2カテゴリーの「全国的な教育研究拠点」たる国立大学である。筆者が資料を参照してみたところ、この第2カテゴリーには大都市部の有名文系国立大学などが含まれているようだ。

このカテゴリーの大学群に要請されているのは、「世界最高の教育研究の展開拠点」たる研究大学に要請される様な最先端の研究成果実用化によるイノベーションの創出でも、「地域活性化の中核的拠点」たる地方国立大学に求められる職業訓練的な人材育成でもなく、大学や学部の枠を超えた連携拠点の形成ということだ。

 これは研究者の端くれである筆者の自分が考えても、最も実現困難な要請だろう。特に文系研究者の多くは自分の研究領域である比較的狭い世界に生息しているため、医学や理工系の研究者のような大学や学部の枠を超えた連携拠点を形成することなど、ほとんど想定の範囲外と言えるからだ。

 したがって、第2カテゴリーの大学群が今後最も存続の危機に見舞われるようになると、筆者は考えている。このカテゴリーに属すると思われる大学群の提示している「ミッションの再定義」案を見ても、具体的には学生に対する短期語学留学制度やアクティブラーニング(課題研究やプレゼンテーションなどの能動的学習)、ICT教育の充実などが謳われているだけで、それで国際あるいは全国規模の連携研究の拠点を作れるかどうかについては、筆者には甚だ疑問に思われる。むしろ、国内外から招聘する研究者に対して思い切った高待遇を提示できるような柔軟な予算措置を講じることなどが、連携拠点の形成には必要となるのではないだろうか。

 国立大学改革プラン第3期中期目標計画の行方は、大学だけでなく、入試を受ける受験生にも多大な影響を及ぼすだろう。地方出身の最も学力が高い受験生達は、旧帝大系の医学部や理工系学部を今後益々集中的に目指すようになるだろう。大都市部の有力文系国立大学と各地方国立大学は、日本の高度経済成長期に担ってきた企業エリート養成の役割を大都市部の有名私立大学にさらに代替されていくことが想定できる。

 そうなると、国立大学の医学系や理工系、文系では大都市部の有名私立大学の高い学費を支払うことのできる裕福な親に恵まれた一部の受験生達が、大学受験においてもなお一層有利な立場を築くのではないだろうか。学力格差と親の裕福度の相関関係が、日本でさらに強まると筆者は見立てている。

2015年6月14日日曜日

湊川の戦いでは、宮方の布陣に疑問が有ることについて

 建武3(1336)年3月2日の多々良浜の戦いで勝利した足利尊氏と直義兄弟は、3月3日から4月3日まで太宰府に逗留して再度の上洛の機会を窺っていた。この間、播磨の白旗城に籠城していた赤松円心と備前の三石城に籠城していた石橋和義から、それぞれ宮方の軍勢に攻められて兵糧の備えが無いので、両将に直ちに上洛して欲しいとの援軍要請が来たと『梅松論』は述べている。

 この時、白旗城は新田義貞の率いる軍勢に、三石城は義貞弟の脇屋義助の率いる軍勢に各々攻められていた。この要請を受け、尊氏らは4月3日大宰府を発進して再度の上洛に向かった。まず九州から長府に移動してしばらく逗留し、そこから船出したとされる。

 5月5日夕刻備後の鞆に到着し、尊氏らは再上洛の作戦を練った。その一案は、尊氏と直義の両将共に乗船し、四国九州勢が陸路を発向する案であり、また、両将共に陸路を発向する案、そして、全軍が水軍で進発する案がそれぞれ検討されたと言う。

 この重大な作戦方針は中々決まらなかった模様だが、最終的は少弐頼尚が播磨と備前の新田勢を追い落とすことが肝要であるから、船戦だけでは不十分である。よって、尊氏は水軍を率いて海路を、直義は陸路をそれぞれ発向すべきであると進言したため、この作戦案が採用された。

 5月16日と17日、直義勢は江田行義の籠城する備中福山城を攻撃し、これを陥落させた。直義勢はそのまま備前に攻め込んだため、三石城を攻撃していた脇屋義助の率いる軍勢は囲みを解いて撤退した。そのため、播磨の新田義貞の率いる軍勢も白旗城の包囲を解いて兵庫に退却し、迎撃態勢を再構築しようとしたのである。

 しかし、この時の宮方の布陣が筆者には納得できないのである。新田義貞は水軍を持っていなかった。そのため、足利勢の水軍に背後を遮断されることを恐れたのか、兵庫の和田岬に大館氏明の率いる別働隊を配置し、自らの本陣は福原の辺りに置いた模様だ。

 他方京都から派遣された援軍の楠木正成勢はわずか数百騎の小勢で、義貞本陣から西北に離れた会下山に布陣している。筆者が思うに、この布陣では新田勢と楠木勢の距離が離れ過ぎていて、双方の連携が取れず数に優る足利勢の攻撃で容易に分断されてしまうだろう。

 実際に5月25日の湊川の戦いの戦況でもその通りに推移したため、孤立した楠木勢は足利勢に包囲されてほぼ壊滅している。

 この合戦に臨む前、楠木正成は、後醍醐天皇に、足利尊氏と和睦し新田義貞を誅伐することを奏聞している。もしこれが事実とすれば、新田義貞は最初から援軍の楠木勢を頼りにしていなかっただろう。逆に楠木勢も、新田勢との連携を最初から期待しておらず、半ば玉砕覚悟で直義勢に立ち向かう覚悟で会下山に布陣したのではないだろうか。

 宮方の作戦ミスは、湊川を主たる防御ラインに置いたことだろう。ここは神戸市内では山際から海岸線まで最も開けたところで、大軍の敵を迎え撃つには適切な場所とは言えない。筆者が思うに、宮方は初めからもっと東側の生田の森を側面において、生田川に防御ラインを敷いた方が良かったのではないだろうか。

 生田川の防御ラインは、源平のいわゆる一の谷の戦いの際にも最も攻防が激しかった所で、それだけ土地が狭隘で大軍を迎え撃つには神戸付近では最適の場所であろう。

 海岸線と山が迫った狭隘の場所で少数の軍勢が大軍の敵を撃破した最も有名な戦例は、小アジアに侵攻したマケドニアのアレクサンドロス大王の軍勢がアケメネス朝ペルシャ帝国のダレイオス3世の率いる数倍の大軍を撃破した、紀元前333年10月頃に起こったイッソスの戦いだろう。

 この時、自軍の背後を突かれたアレクサンドロスは転進して北上し、狭隘な地勢のピナロス川南岸に布陣して、北岸に布陣したダレイオス3世のペルシャの大軍を迎え撃って、自ら山際の右翼から主力のヘタイロイ(王の側近である封建領主層によって編成された重装)騎兵あるいは近衛歩兵部隊を率いて渡河攻撃し、一気にペルシャ軍を撃破している。

 生田川付近は、イッソスの戦いにおけるピナロス川周辺とよく似た地形だ。それ故、新田義貞は楠木正成の援軍と共に最初から生田川の東側の狭隘な土地に生田の森を側面において布陣し、むしろ足利勢の水軍を大輪田の泊に上陸させた上で迎撃した方が良かったのではないだろうか。

 もしもそういう布陣をしていたならば、新田義貞は主力部隊を率いて右翼の山際から生田川を渡河し、狭隘の土地に引き込まれた足利勢を背後から襲うことが可能だったのではないか。これは、イッソスの戦いにおけるアレクサンドロス大王の作戦と全く同じである。もっとも、当時のマケドニア軍は打撃戦力として優秀な騎兵部隊を持っていたため、こうした作戦が可能であったのかもしれない。

 湊川の戦い当時の宮方の軍勢に、それだけの打撃戦力があったのかどうかについては、なお検討の余地があると思われる。

2015年6月12日金曜日

孫呉の兵法通りに勝敗が決まった多々良浜の戦い

 先に投稿したように建武3(1336)年正月の京都合戦で敗北した足利尊氏、直義兄弟の率いる軍勢は、播磨の国人赤松円心の進言で2月12日酉の刻(午後6時頃)から戌の刻(午後8時頃)にかけて慌ただしく兵庫から船出して西国に向かった。数は300艘余りだったとされる。『梅松論』によると、船に乗り遅れた人々は陸路西下したという。

 尊氏らは播磨灘の難所を渡海して2月12日室の津に到着し、14日まで逗留して軍議を開催した結果、宮方の追撃を阻止するため中国四国各国へ一族と地元の武将をセットで配置して迎撃と再上洛の準備に当たらせた。

 尊氏は2月15日備後の鞆の浦に到着し、この地の小松寺で勅使の三宝院僧正賢俊から持明院統の光厳上皇の院宣を下される。これで、とりあえず朝敵の汚名を雪いだことになった。これも、西下前に赤松円心の進言を入れた結果である。

 2月20日、尊氏らは長門国赤間が関で、筑前の太宰少弐貞経入道妙恵の嫡子頼尚の率いる軍勢500騎余りの出迎えを受けた。事前に少弐氏の参戦を促す御教書が、尊氏から送られていたわけだ。これは少弐氏が、肥後の宮方菊池氏に対抗する意図だっただろう。

 尊氏一行は29日、筑前国芦屋の津で九州に上陸したが、実はこの時既に妙恵は菊池武敏の率いる軍勢に攻められ、居城の有智山城で一族家人500人余りとともに自害していたのである。つまり、『孫子九地篇』でいう所の「争地」(そこを奪取した方が有利となる要衝の土地)である太宰府は、既に宮方の軍勢に占拠されてしまっていた。

 3月1日、尊氏一行は頼尚勢を先陣にして芦屋の津を出発し、酉の刻(午後6時頃)宗像大宮司の宿所に到着する。その夜半、既に菊池勢は太宰府を進発したという注進が続々尊氏の元に届けられたが、頼尚の進言で翌日合戦に臨むことになり、3月2日辰の刻(午前8時頃)宗像を出陣した。未の刻頃(午後2時頃)に尊氏は香椎宮を通過し、丘陵地から多々良浜の干潟を遠望した所、筥崎八幡宮の松原を背後にして足利勢の数倍の人数と思われる菊池勢が小川(多分戦場南端を流れる須恵川)を越えて北向きに布陣していたとされる。

 尊氏の作戦は以下の通りであった。それは遥々下向した遼遠の地での「最後の合戦」(決死の覚悟であったらしい)で未練を残さないため、尊氏は馬廻りの武者達と共に多々良川北岸の丘陵地に置いた本陣を守備し、予備の打撃戦力として後置する。

代わりに直義が大将となって、先陣の軍勢(高師泰ら関東勢と大友、島津勢他)300余騎を率いて多々良川を渡河して敵を攻撃するというものだ。

それと別に直義勢の東には、敵討ちで士気が高い少弐勢500余騎が布陣したとされる。足利勢は武装も完全ではなく、徒歩立ちの兵力が大半を占め、合計わずか1千騎程度の無勢であった。

そうした劣勢にも拘らず、この日の夕刻(酉の刻)迄数時間の激戦で足利勢が菊池勢を打ち破り、亥の刻(午後10時頃)には直義と少弐頼尚の率いる先陣の軍勢が太宰府を奪還することに成功した。この多々良浜の合戦における足利方の勝因は、一体どこにあったのか。実は当日の両軍の勝敗の行方は、孫子と呉子の兵法通りの展開だったのである。

 『孫子九地篇』には、沼沢地のような行軍が困難な「圮地」では、「行軍を休まず軍を早く進めよ」と述べている。筥崎宮から「圮地」である多々良浜に先着していた菊池勢は、そこに布陣したため、この孫子の教えを守っていない。そのため、北から吹き付けた砂塵に軍勢が混乱して、足利勢の攻撃を阻止することに失敗している。

 次に、『呉子料敵』では、敵を攻撃する時として、「敵軍が遠方から到着し陣地が定まらない時」、「敵軍が疲れ切っている時」がそれぞれ挙げられている。また、「敵軍が渡河しようとしてその半分が渡り終えた時」に攻撃すべしと述べている、「敵半数が渡河を終えた時を見計らって攻撃せよ」という鉄則は、『孫子行軍篇』にも同様の記述がある。

 菊池勢は合戦前夜に太宰府を発進して多々良浜に進撃したため、夜間の4、5時間行軍を続けたことになる。その前の2日間は有智山城攻略に費やしたため、軍勢は相当疲労していたはずだ。したがって、尊氏の多々良川渡河による攻撃作戦は、『呉子料敵』の前者2つの原則通りの作戦遂行だったことになるだろう。

 逆に菊池武敏は、直ちに通過すべき「圮地」の多々良浜にわざわざ布陣して迎撃態勢を取った過ちを犯したばかりか、「敵半数が渡河を終えた時を見計らって攻撃せよ」という孫子と呉子の教えも遵守していない。

筆者には、菊池武敏が軍勢を率いる大将として余り兵書に親しんでいなかったように思われる。彼がこの日実施すべきだったのは、直ちに多々良浜を通過して、足利勢に先んじて多々良川北岸の丘陵地帯を制圧することだったはずである。

 『孫子行軍篇』には、平地に布陣する時は「動きやすい平坦な場所を選択し、右後方に丘陵地を置いて前方を戦場とし、後方を丘陵地に続く高所とするよう布陣する」とある。右後方に丘陵地を置くのは、右利きが多い兵士達が左前方から攻撃してくる敵軍を迎撃しやすくするためと言われる。この日足利尊氏が予備軍を後置した本陣は、正にこの孫子の教え通りの布陣であった。

 その結果、全体的に統制が取れておらず裏切り者も出した宮方勢にあって鋭く反撃したのが菊池勢のわずか300騎程度に過ぎなかったため、尊氏が予備軍を率いて追加攻勢を仕掛けると、さしもの菊池勢も敗退せざるを得なかったのであった。

 ただし、この合戦当日の菊池武敏は「圮地」に布陣するという決定的なミスを犯したものの、筥崎松原を背にして陣を敷いたことは、『孫子行軍篇』にある「沼沢地で敵と遭遇して交戦状態に突入した場合には、飲み水と牛馬のための草が入手できる森林を背にして布陣すべき」という教えについて、辛うじて適っていたことだけは評価できるだろう。