2015年9月2日水曜日

佐野研二郎氏の五輪公式エンブレム取り下げ問題に関する考察

 昨夕、佐野研二郎氏が一連の騒動を受け、自分のデザインした2020年東京五輪公式エンブレムを取り下げる決断をしたことが一斉に報じられた。しかし佐野氏サイドは、今回のエンブレムのデザインに際して誰かの先行作品を模倣した事実は無いと、今なお頑として主張し続けている。

 我々研究者が執筆する論文も佐野氏のようなデザイナーが考案するエンブレムも、著作権法上は同じ「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(第2条第1項第1号)、すなわち、その「著作物性」が認められれば、創作の時点で著作権者に権利(著作者人格権と著作財産権)が発生する。

一連の騒動を筆者が傍から見ていると、佐野氏もその事務所のスタッフにも、著作権法に関する認識が甘かったか、あるいは著作権法の体系自体を不知であったとしか思えない点が多々見られた。恐らく「引用」と「転載」の区別も、佐野氏は事務所内で共有出来ていなかったのではないだろうか。

なぜなら、個人ブログからの写真の無断「転載」がほぼ著作権侵害に直結するリスクも特段配慮されないまま、佐野氏サイドで画像データの処理が行われていたことが先週の土曜日曜日に発覚したからである。

 筆者が思うに佐野氏がデザインした五輪エンブレム自体の著作権侵害については、日本で裁判を起こしても海外で起こしてもいずれのケースでも、原告の請求が棄却される可能性の方が今なお高いだろう。その点では、一連の騒動における本丸の攻防戦では、現時点でも佐野氏と大会組織委員会側が原告側に対してなお優勢を保っている状況と思われる。

 しかし、佐野氏が過去に関与したデザインで次々に浮上してきた先行作品との類似問題を見ていると、佐野氏あるいはその事務所全体の「創作」の手法自体が、研究の世界で言えば素材や資料を収集して帰納的に成果を導く手法に偏っており、芸術作品にむしろ必要であると思われる、啓発されたコンセプトから演繹的に創作物を導く手法を採用していなかったことはほぼ明らかである。

 筆者の属する研究の世界では、先行研究に可能な限り幅広く依拠して、その過去の成果物に少しだけ自分のオリジナルな研究成果を付加することが科学的に正しい手法と見なされている。したがって、先行研究を著作権者に無断で参照して、自分の論文に引用しないわけには行かないものである。先行研究の引用の少ない論文は、決して科学的とは見なされないという性質と慣行がある。

したがって、我々研究者が著作(創作)に当たって注意するのは、もっぱら法的および学術的に正しく引用することに向けられるのであって、決して先行研究者の著作物に依拠しないということではない。ここがデザインを含む芸術作品とは根本的に異なる点なのである。

 つまり、佐野氏とそのデザイン事務所の実際の創作現場における作業では、インターネット上に多数存在している写真などの素材や資料を、必ずしも著作権法に明るくないスタッフを動員して可能な限り幅広く拾い集め、それを上手に組み合わせそして配置し直すという、言わば一種の帰納的な手法に自己の「オリジナル」性を見出していたのだろう。

その手法を活用したが故に、佐野氏のデザイン事務所では、クライアントからの大量の発注に適宜応じることや、実際期限内に仕事を処理することが出来たのだろう。佐野氏のその創作物生産手法の選択ミスにこそ、今回取り沙汰されている本質的な著作権侵害のリスクが潜んでいたと筆者は考える。

騒動勃発以降の佐野氏の一連の発言から考えても、そのニュアンスが大いに窺われると筆者は思う。彼は自分の名前でこれまでに発表した各作品の創作性に関し、ネット上などで再三再四疑義が投げかけられることに対して、恐らく大いに困惑しているというのが彼の本音ではないだろうか。

そうした帰納的な創作手法は、科学的な研究論文の世界では、著作権法上認められた「引用」を活用することによって後発作品に十分な創作性を導くことも可能だろう。しかし、デザインや音楽などの芸術的な作品においては、「引用」という法的に是認された著作物の無断利用が出来ないため、必然的に無断「転載」に頼ろうとする誘惑に駆られることに為りがちだろう。

 佐野氏かあるいは事務所のスタッフの誰かは不明だが、ネット上に散在する写真などの「引用」できない資料を無断で「転載」することの大きな誘惑に勝てなかったことが、今回の五輪公式エンブレムの取り下げという前代未聞の不祥事を引き起こした根本的な原因であったのではないだろうか。

 同時に、インターネットが存在しなかった前回1964年の東京五輪時代のような情報へのアクセス環境では、どんなデザインのエンブレムが発表されようとも、こうした取り下げのような国辱的な事態には決して至らなかっただろう。

 佐野氏だけでなく、大会組織委員会やエンブレム選考審査委員の方々にも、そうしたネット時代の炎上リスクに対する危機意識が不足していたことが、新国立競技場建設(費)問題に続く今回の不祥事の連鎖を招いた本質的な原因だったのだろう。

2015年8月31日月曜日

海外旅行経験者向け、欧州2都市滞在格安旅行プランに関する提案(その2)

今日は、筆者が家族連れで20128月に実践した、欧州2都市滞在格安旅行プランの第2案を提示してみたい。今回の案は、音楽の都ウィーンとプラハの二都市間を鉄道で移動して、モラヴィアとボヘミアの大地を車窓から満喫しようとする案である。オーストリア国鉄ÖBBのサイトから事前に切符を購入するので、多少の英語力が必要となる。したがって、海外旅行初心者にはやや難しいかも知れない。

 筆者の実践したプランでは先にウィーンに3泊、そしてその後、ウィーンから特急列車で移動してプラハに3泊であった。もちろん逆にプラハへ先に行くことも出来る。用意する航空券は、往復で着発地がウィーン国際空港かプラハ国際空港となって異なる。

列車のチケットはインターネットでÖBBのサイトで事前にカード決済で購入しておくと、かなりの割引が利用できる。ただし、日本からでは特急列車の指定席が取れないため、そんなに混んではいないが夏の休暇シーズンでは他の旅客とコンパートメント席で相乗りとなる可能性が大きいだろう。

筆者と家族が旅行した2012年夏の時点ではウィーン市内の便利な場所にあるウィーン中央駅が未完成だったので、やや郊外にあるウィーン・マイドリング駅から列車に乗ったので多少不便であったが、現在は中央駅から乗車できるようになって便利になっている。

 ウィーンを発った列車はモラヴィアの中心都市ブルノを経由してボヘミアの首都プラハに向かうので、アウステルリッツの三帝会戦が起きた丘陵地の古戦場付近を通過する。筆者のような戦史好きには、堪えられないシチュエーションを味わうことが出来るわけだ。

 さて、ウィーンへは敢えてオーストリア航空の直行便を選ばなくとも、自分の時間と予算の都合に合致する好きな航空会社の乗り継ぎ便を選択すれば構わないだろう。筆者の場合、施設が充実していて乗り継ぎが快適なスキポール空港を経由したかったので、KLM成田発の便を利用した。

 ウィーン空港に着いたら、観光案内所で真っ先にウィーン・カード(Wien Karte)を購入するべきだろう。地下鉄と市バス、市電が48時間または72時間乗り放題となり、入場割引など210以上のクーポン特典が付いている。18.90または21.90ユーロで、お得な値段である。

ウィーンの公共交通機関は、不思議なことにどれも改札というシステムを採っていない。そのため、カードを購入して最初の乗車で使用開始時刻を入刻しまえば、後は携帯しているだけで一々取り出す必要が無い。これが日本と比較すると何とも不思議かつ便利なシステムで、ただ乗りも出来そうだが、時々係員が検札に回ってくるシステムを採用しているらしい。なお、15歳迄の子供1人はカード購入の大人同伴の場合に無料で乗車できるから、誘致のためか短期間滞在の観光旅行客には非常に有り難い制度である。

買ったばかりのカードを利用して、シャトルバスで城壁撤去後に作られた旧市街を周回する大通りであるリングに向かう。ウィーンの観光名所のほとんどはリング周辺にあり、そのリングはトラムが走っているので、この街はとても観光しやすいのである。なお、シャトルバスはマイドリング駅経由で西駅に向かうものと、ドナウ運河沿いのモルツィンプラッツ(Morzinplatz)停留所行きがあるので間違えないようにする必要がある。

 ホテルはリング周辺ならどこでも良いだろう。旧市街観光は、トラムを使えば容易にできる。歴史地区にあるゴシック建築のシュテファン大聖堂や、美術史美術館、ウィーン国立歌劇場など好きな所を観光する。歩き疲れた時は、カフェでチョコレートケーキのザッハートルテを試してみることを推奨する。これはそれほど甘すぎず、サッパリとした味わいのチョコケーキである。食事では、仔牛肉などのカツレツであるシュニッツェル(Wiener Schnitzel)がやはり美味しいと思う。

折角音楽の都に来たのだから、大聖堂近くにあるモーツァルト記念館(彼の住居だった場所)や、ウィーン・フィルの本拠地であるウィーン楽友協会(Wiener Musikverein)は訪問するべきだろう。ウィーン・フィルのコンサートチケットはほとんど入手できないが、世界最高級のコンサートホールである黄金大ホールで演奏家が歴史的衣装を着て演奏するモーツァルト・コンサートを聴くことは可能だろう。

なお、ハプスブルク王家の宮殿、特に郊外の離宮であったシェーンブルン宮殿は見事だから是非観ておくべきだろう。フランスのブルボン王家のヴェルサイユ宮殿とは両国のパワー・バランスの違いからか大分小ぶりだが、こちらにも見事な庭園がある。

 さて、ウィーンからプラハ本駅(Praha hlavní nádraží)までは4時間半から5時間位の所要時間で到着する。プラハ本駅はアール・ヌーヴォーの芸術性溢れるホールを持つことで有名だが、旧市街に面した西口の駅前公園は寂れた治安が良くない雰囲気である。ちなみに国際空港行きのエアポート・エクスプレスのシャトルバス乗り場は、公園と反対側のイタルスカー通りにある。

駅でチェコの通貨コルナに両替(1コルナ=約5円位)するが、両替の際にはボッタくりに注意を要する。ちなみにタクシーのボッタくりも多いから、共和国広場周辺の高級ホテルを予約しておけばタクシーに乗らなくとも徒歩で移動が可能である。チェコは非常に物価が安いので、5つ星ホテルでも朝食付きで割安で宿泊可能である。筆者の場合、共和国広場に面するキングスコートに泊まった。プラハはウィーンと比べると夏でも大分涼しいので、快適に過ごすことが出来る。

共和国広場周辺はトラムも走っていて交通の中心であるし、アルフォンス・ミュシャら著名な芸術家が内部装飾を担当したアール・ヌーヴォー建築の市内最高傑作である市民会館(中にスメタナ・ホールという有名な音楽ホールを持つ)や後期ゴシック建築の印象的な火薬塔が並び建っていて場所がわかりやすい。

共和国広場のもう1つの利点は、パラディウムという市内最大級のショッピング・モールが有って、買い物だけでなく、ここはフードコートも充実しているので安上がりに食事が出来て便利なのである。

 プラハは二度の世界大戦で幸運にもほとんど戦禍に合わなかったため、中世以来の建築物がほぼそっくり残った欧州でも珍しい街である。「百塔の街」「黄金のプラハ」と言われる非常に美しい街並みで、市内はバロック建築、アール・ヌーヴォー建築、そしてキュービズム建築などが混在した一種の建築博物館と言える街である。

 市内の観光名所は、旧市街とカレル橋からヴルタヴァ川を渡ったプラハ城がある丘側の小地区の狭い範囲に集中しているから、2日もあれば徒歩で観光することが出来る。歴史的建築物が建ち並ぶ旧市街広場やカレル橋、その先の丘上に聳え立つプラハ城が見所である。

プラハはウィーンと並ぶ音楽の都で、スメタナ・ホールでは毎日のように何らかのコンサートが開かれているから、折角なので滞在中にチケットを入手してチェコ・フィルなどの一流演奏家の演奏を聴くのも楽しいと思う。プラハでは、当日券が簡単に購入できる。ちなみに筆者の娘が所属するジュニアフィルは、2003年の創立30周年記念英国・チェコ演奏旅行の時、このスメタナ・ホールで演奏を披露したことがある。

 さらに、チェコはビールで有名だから、それを是非堪能すべきだろう。市外観光では、南ボヘミアにあるこれも世界遺産のチェスキー・クルムロフ城に、現地バス・ツアーを利用して出掛けるのが良いのではないかと思う。

新市街にあるヴァーツラフ広場からバスが発着する、チェスキー・クルムロフへの手軽な観光ツアーがある。プラハから片道3時間程で行けるので、このバス・ツアーを利用するのが一番便利であろう。