2016年4月26日火曜日

国家公務員フレックスタイム制導入に関する感想

 男女共同参画社会とワークライフバランス(仕事と家庭生活の調和)の実現を促進する目的で、安倍政権が人事院に対して検討を要請(平成261017日「国家公務員の女性活躍とワークライフバランス推進のための取組指針」)していた事務職を含む一般職国家公務員全員を対象とした所謂フレックスタイム制の本年度からの導入が、国家公務員勤務時間法が改正されることによって実現した。民間、特に中小企業での導入がなかなか進んでいない同制度について、まず国家公務員から率先垂範することが、今回の法改正の背後に意図されているのだろう。

 だが、厳密に言うと、一般職国家公務員には労働基準法が適用されていないため、同法上規定されている労使協定によるフレックスタイム制ではない。あくまでも制度の適用を希望する公務員自身が申告した場合で、かつ、公務の運営に支障が無い範囲内において、始業および終業時刻について当該申告を考慮したうえで使用者側(官庁)の判断で勤務時間を「割り振る」制度であるに過ぎない。

 そうであるとは言いながら、筆者は同制度の導入に賛成である。それは、安倍政権の意図するようなワークライフバランスの推進に必要な労働時間の短縮に直結するからではない。筆者が肯定的に評価しているのは、勤務時間を個々の裁量で変更することにより、通勤ラッシュアワーに巻き込まれることに伴う疲労の蓄積と痴漢冤罪のリスクを軽減することが可能となる点についてである。

 実際問題として、筆者の様な研究職国家公務員には、すでにフレックスタイム制が導入されていた。だが、現実問題として同じ職場に勤務している事務方が従来型の勤務体系に置かれていた関係上、周囲の視線を気にして、これまでは一部の研究職員しか同制度を活用し切れていなかったのである。しかしながら、今回ほぼ全ての職員が制度適用対象となった以上、筆者も大手を振って制度の適用を申告できることになる。

 特に体質的に夜型である筆者のような人間にとっては、昨年78月に安倍政権が提唱して全省庁に原則適用された事実上の12時間早出勤務サマータイム制度「ゆう活」が苦痛でしかなかったこと、また「ゆう活」しても残業は一向に減らなかった現実を踏まえて考えれば、遅出勤務が出来るフレックスタイム制の方が遥かに健康的なのである。

 ところが、この筆者の個人的には好ましい制度についても賛否両論が対立している。特に国公労連が、鋭く制度の導入に反対していた。その見解の主だった内容は、つまり、フレックスタイム制は業務量の調整や労働時間管理が徹底されない限り、却って長時間・過密労働に繋がり、政府や制度を構築した人事院が提唱しているような「ワークライフバランスの充実による職員の意欲や士気の向上」や「効率的な時間配分による超過勤務時間の縮減」などは絵に描いた餅に過ぎず、到底実現することはできないという点にあるようだ。

 また、主として出先機関での窓口業務を想定しているのだろうが、フレックスタイム制の導入によって職場が混乱し、国民に対するサービス低下につながりかねないという、真っ当な反論も出されている様である。

 筆者が思うに、国家公務員の大多数を占めている出先機関の職員にとっては、そう易々と研究職のようにフレックスタイムを申告することは出来ないだろう。特に古いタイプの課長がいるような職場で、もしも若手がそんな「暴挙」に出たならば、たちまち村八分状態に陥ってしまうかもしれない。

それが、専門的で個々の裁量権が相当程度認められた研究職を除いた、一般的な事務方公務員村の恐らく偽らざる現実であろう。個人のワークライフバランスよりチームワークの和を決して乱さないことが、今も変わらぬ事務方の掟なのではないかと思われる。

国公労連の反論では、フレックスタイム制が導入されれば、勤務時間管理に膨大な労力が必要となり、現行の体制では複雑な労働時間管理が困難であるため、職員の健康管理がかえって蝕まれるという「こじつけ的」な議論も提示されている。これは多分、上司が部下の労働時間を個別に管理するのが「かったるい」というのが、裏に潜んだ彼らの本音なのだろう。

なぜなら労働基準法上の本来的意味でのフレックスタイム制では、1日単位や1週間単位で残業計算をする必要が全く無く、4週間の合計労働時間からその期間における所定労働時間、つまり、国家公務員の場合で言うと1週当たり38時間45分×4155時間を引き算するだけで、きわめて簡単に計算できてしまうというメリットがあるからである。

つまり、本当に面倒くさいのは、上司あるいは勤務時間管理者が職員の申告した勤務時間を考慮しつつ、エクセルシートに時間を「割り振る」作業なのである。これは本当に目がチカチカして、職員全員から申告されようものなら担当者は堪ったものではないと言えるだろう。

 そこで、以下ではもう少し冷静になって、フレックスタイム制のメリットとデメリットについて考察してみたいと思う。

 まず、これは時差出勤の場合も同様であるが、フレックスタイム制導入による仕事上のメリットとして、先に述べたとおり、何と言っても通勤時の疲労と痴漢冤罪リスクの軽減に大いに資することが挙げられるだろう。

 職員個人としては、さらに遅出の場合には朝の余裕ができること、通勤ラッシュ時の不快感が減ること、あるいは通勤時間が短縮できる場合も考えられることがある。理論的には、フレックスタイム制で勤務時間に関する個人の裁量権の範囲が広がることによって、ワークライフバランスは向上し得るはずだろう。

 一方、フレックスタイム制のデメリットとして、次のような業務上の課題が生じることも事実である。すなわち、他の部署や外部との調整を要すること、会議の時間が全職員が勤務を義務付けられているコアタイムに限定されてしまうこと、窓口の業務効率と対応能力が低下する恐れがあること、複雑な勤務時間管理に伴う雑務が増加する懸念があること、そして、一同が会した朝礼もできないし、職場村社会における「けじめ」がつきにくいこと、といったところだろうか。

 さらには残業時間が減らないのは、生産性が低く、だらだら残業することを「良し」としてきた我が国のブラックな職場環境が根本原因なのであるから、その原因自体を除去しない限り、フレックスタイム制を導入して勤務時間を操作することだけでは残業時間はあまり減らないかもしれない。

 特に日本の霞が関の官僚たちについては、主として国会対応の関係から、終電までの長時間労働が恒常化しているのが実態なのである。彼らの立場に立って見れば、今回のフレックスタイム制の全面的導入についても、昨年夏の「ゆう活」と同様に、勤務の実態に合致しないために政策効果の薄い、政府の単なる掛け声倒れに終わってしまわないかと心配してしまうのも尤もなことだろう。

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