2015年9月16日水曜日

欧州難民問題と日本の生涯未婚(嫌婚)率上昇-その政策的関連性についての考察

 915日、ついにハンガリー政府が、セルビア側から入国する難民申請者を強制送還する方針を明らかにした。同国政府は、不法入国者に対して禁固刑に処する可能性にも言及している。ハンガリーは自国へのこれ以上の難民流入を阻止するため、ルーマニアとの国境線上にも有刺鉄線を付した越境防止柵を拡張することも示唆している。極めて強硬な措置である。

 この夏以来激化した欧州難民危機問題は、今春起きたギリシャ債務危機問題と並んで、その本質はEU統合の理念と現実の乖離から生じたものである。それ故に、各加盟国ではそれぞれ自国の利害と欧州統合の理念との間のバランス判断に基づいて、独自の対応を模索している最中であると言えるだろう。

 これまで多数の難民や移民を受け入れてきた英国やスウェーデンでも、ハンガリーなど中東欧諸国の難民対策に共感する、反EU・反移民政策を掲げる極右、極左政党の政治的影響力が強まっている傾向が見られるようになった(英国独立党やスウェーデン民主党など)。

 彼らポピュリスト政治家たちは、欧州統合や人道主義の理念、少子化に伴う労働力の確保を優先するよりも、むしろ難民と移民の流入で国内の失業率や社会保障費支出が増大すること、そして治安が乱れてテロの危険が高まることを懸念している。英国では、来年にも実施されると予想されるEU離脱を巡る国民投票の行方にも、最近の難民危機問題が大きな影響を及ぼすと思われる。

 したがって、今年のEUは、ギリシャ債務危機問題と難民危機問題を契機として、創設以来最大の解体と分裂の危機を迎えたと言っても過言ではないと筆者は考える。

 他方、我が日本国の法務省は、915日、今後5年間の外国人受け入れの方針を定めた「第5次出入国管理基本計画」を公表した。それによると、昨年認定者11人だった難民認定制度については、従来通り紛争理由での申請を認定せず、新たに「紛争退避機会」として人道的配慮によって1年毎に在留許可を与える制度を新設するそうである。

 また、就労目的の申請に対する審査を厳格化すると同時に、技能実習制度に対する管理監督機関を設けてその不正を監視し、また、高い専門性や技術を持つ外国人については、経済成長に寄与するとして在留許可を拡大する方向性を示した(『朝日新聞デジタル』916日記事)。

 こうした法務省の基本方針からは、日本国として難民に対する庇護権を拡大することや、これから急速に進む少子高齢化に伴う若年労働力の減少を移民労働力で補うという政策転換については、まだ先送りすると言う意思が見えてくるのではないだろうか。

 そこで昨日、筆者の興味を引いたのが、Yahoo!ニュースとAERA編集部が共同企画した「みんなのリアル~1億人総検証」の第1弾である、「なぜ嫌婚?独身たちの主張なき抵抗」という記事なのであった。筆者には、日本も他人事として無視できない難民危機問題と嫌婚問題の間に、大きな政策的関連性があると思えたからである。

 記事の内容は、社会学者とブロガーの女性2人と男性学専門家の男性1人というお三方の「結婚は愛かコスパか」をテーマとした対談なのであるが、なかなか示唆に富む記事であった。

 まず議論の前提となるのは、2000年代に入ってからの日本における生涯未婚率の急上昇のデータである。1970年代の高度経済成長期には、生涯未婚率が男女とも5%を切っていて、日本は先進国でも珍しい程の驚異的な「皆婚時代」であったという。これに対して、2010年には45~49歳と50~54歳の未婚率平均値を取ると、男性で20%以上、女性で10%以上の未婚率に達している。

 このうち、都市居住者で仕事と一定の年収が有るにもかかわらず結婚したがらない「嫌婚派」については、コスパ重視の趣味志向であるとの社会学者・水無田気流さんのご指摘であった。

 また、かつての「皆婚時代」に主流を占めていた会社の世話好き上司等による「お膳立て婚」の時代から、SNSが発達した現代は、相手に対する十分な情報収集の結果選択した「恋愛」を経由した上での「自己責任婚」の時代に変貌しており、結婚相手の理想像が「ハイパーインフレ状態」を起こしているそうなのだ。

最近指摘される所の、男女ともに自分と同レベルの相手を求める「同類婚志向」も、この緻密な情報収集による恋愛経由の「自己責任婚」時代の傾向が反映されているらしい。

 面白いのが、それでいて男女ともに「皆婚時代」の「ジェンダー・セグリゲーション(性別分離)」の価値観に今なお束縛され続けており、男は女性に積極的にアプローチしてデートでも奢ってやって、将来は「一家の大黒柱」となるような昭和の男的な気概が求められ、逆に女性は「専業主婦」になって家庭を守ると言ったテンプレートに対するプレッシャーに晒されているという、水無田さんの分析である。

 それにも拘らず、「皆婚時代」のようなお膳立てされた誰でもいいから結婚しようでは今はダメであって、大恋愛を経由した上での結婚でなければいけないことになってしまったらしい。

 筆者が思うに、「同類婚」に拘りすぎると、選択肢が狭まりすぎて結婚相手が見つかりにくくなる。殊に俗に言うハイレベル同士の男女間では、ほとんど結婚相手を見つけ出すことが出来なくなってしまうのではないか。おまけに大恋愛まで経なければならないとすれば、これはもう浜の真砂の中から真珠を見つけ出すくらい困難な事業になってしまうに違いない。

 その結果、日本での生涯未婚率、換言すれば嫌婚率が上昇し続けることになる。そして、増々日本の少子化が進んで、いつか国内の若年労働力を補充するために移民を受け入れることを真剣に考えなければならない時代が到来することだろう。

 つまり、現在欧州が危機に陥っている難民・移民の受け入れ問題は日本にとっても決して他人事ではなく、このまま日本人男女の生涯未婚率が上昇し続けて少子化がさらに進展していけば、労働力として政策的に外国人を受け入れざるを得なくなる時が来るかもしれないのである。

2015年9月14日月曜日

都立高入試、学力検査7対内申3の割合に統一する制度変更に関する感想

 来年度都立高入試から、標記のとおり、例年2月末の筆記試験で実施される学力検査が全日制高校で原則5教科、内申との割合が7割の比重を持つように入試制度が簡略化されるそうである。ちなみに筆記試験の無い実技科目4教科については、内申点の算出において主要5教科の2倍に拡大するとのことである。なお、別途推薦入試が行われることは変わらないそうだ。

 実は筆者は70年代末に神奈川県立高校を卒業したため、神奈川方式の高校入試制度として悪名高い所謂ア・テスト(入試での「学力検査」とは別に行われる「中学校学習検査」のこと)を、中学2年生の3学期に受験した経験がある。

 この神奈川方式とア・テストなのだが、今回の都立高入試制度変更の趣旨とは全く逆の意図を持った制度と言えると思う。そこで、今日はその点について、筆者の感想を述べてみたい。

 当時の神奈川県の高校入試制度では、公立高校間の学力格差をなるべく解消し、入試における塾や業者テストの影響力をなるべく排除する目的で、中学校2年生の3学期にア・テストと称して、実技科目を含む何と9教科全てで筆記試験を実施していたのであった(様々な批判を受けて、ア・テストは1997年に廃止された)。

 筆者が高校受験した当時の割合では、中学22学期と中学32学期(だったと記憶している)の内申点合計が50%、ア・テストと入試当日の学力検査がそれぞれ25%の比率で換算され、受験生各自の合否が決定されたのである。

 そして、このア・テストが何とも不思議なテストで、実技科目についても全て筆記試験で行われた。そして、中学校2年生時点での生徒の学習到達度の測定がア・テストの目的とされていたため、試験の出題自体は非常に簡単な問題が多く、確か各教科50点満点で学区トップ校を目指す生徒の場合、およそ8割から9割は得点できる程度のレベルに過ぎなかったのである。

 問題は、ア・テスト終了時点で高校入試換算点の4割以上が決まってしまい、その時点で各生徒が進学できる公立高校がほぼ決定してしまったことである。神奈川方式の高校入試では、何と75%がその生徒の中学校時代での成績に左右され、高校側の選抜材料はわずかに25%に過ぎないことになる。

しかも、各生徒が中学2年を終わる時には進学すべき公立高校がア・テストの成績で「輪切り」で既に決定されており、3年生になってから頑張っても逆転はほぼ不可能であった。この早過ぎる選抜が、生徒や親たちの多くの批判を当時招いていたのであった。

 筆者のケースで言うと、中学2年生の時に少し勉強をさぼって油断していたため、ア・テストの成績が余り芳しくなかった。本音では、実技科目の筆記試験などバカらしくて、本気で取り組む気分を持てなかっただけなのであるが。

 しかし、当時流行った「15の春を泣かせるな」の標語のとおり、神奈川方式の効用としては、確かに中学の勉強だけをしていれば学区トップ校に合格することが出来たので、当時ほとんどの場合に塾や業者テストに頼る必要が無かったことは言えるだろう。公立校と併願する私立高校でも、当時はア・テストの成績で今言う所の事前確約が取れることも多々あったと思われるので、その意味でも高校入試の激化を一定程度緩和する効果が有ったと言ってよいと思う。

 そこで、今回の来年度からの都立高入試制度改革との比較であるが、都立高入試では主要5教科についてはもはや中学校の内申点はほとんど考慮されないと言ってよいと思う。中学時代の内申点については、実技4科目に焦点を絞って各自が取り組めば十分なのではないだろうか。

 今後、都立日比谷高校を狙うような高い学力を持つ生徒にとっては、来年度の入試から当日の学力検査一発の勝負になる公算が大きいだろう。彼らの場合、内申点でさほどの差は付かないと思われるからだ。逆に言えば、単純明快な学力重視の高校入試に回帰する方向で、今回都立高校が制度を統一する舵を切ったと言えるのではないだろうか。

 現時点では神奈川県の公立高校入試制度の方がなお複雑なようだが、いずれ神奈川県でも都立高校と同様の入試制度を踏襲していくことになるのではないかと筆者は思う。過去の入試制度変更では、多くの場合そうだったと言えるからである。

 その他にも、関西の関大一高の不透明な入試制度で最近問題になったが、中学との「事前相談」による一般入試不合格者より遥かに低得点の事前合格確約者の大量輩出に関しても、公立高校入試制度が一発勝負の学力重視に舵を切ることで大きな影響を与えるだろう。

 これらの高校は大抵の場合公立高校の併願校であり、少子化時代に生徒を確保するために事前の併願確約を実施しているからである。ただ、その「事前相談」に塾とそのテストの成績が絡んでくると、問題が一挙に不透明化するのだろう。

 筆者としては、高校入試では内申点など軽視して、学力検査一発勝負にかけるのがむしろ正しい方向性だと思う。長い人生では、ただ1日の勝負に向けて1年以上の努力を積み重ねる貴重な経験を、中学生の早い段階から体験させておくことが、むしろその生徒にとって有意義だと考えるからだ。

 ただし、学力検査一発勝負を重視すればするほど、高校入試における塾や予備校、そして業者テストの役割が高まっていくことには親と教師も十分な注意を払っておく必要があるだろう。大学入試と高校入試が、内申点軽視で次第に同じようなものになっていくからである。