2015年4月25日土曜日

日本史上の戦いに関する考察1.ナポレオンを彷彿とさせる太田道灌の戦略機動

 筆者の専門は、中東の安全保障に関する研究であるが、高校時代から最も好きだった科目は日本史である。日本史上でも数多の戦いが行われたが、国際紛争を研究する際に、同盟の締結や戦争開始の理由、戦略機動のルート等について参考になるのは、東国の戦乱については概ね鎌倉大草紙と永享記の比較的信頼できる2つの資料が参照できる、上杉禅秀の乱(応永23=1416年)以降に過ぎないと思う。

 それ以前の時期については、資料が少ないため、そもそもなぜ戦争が始まったのか、敵味方の兵力、提携関係、戦略的にどのように部隊を移動させたか等々、重要な点がほとんど判然としない。日本全体の人口が1千万人を超えていなかったので、恐らく万単位の兵力を投入した戦闘はほぼ皆無だっただろう。武士が台頭した保元の乱では洛中の市街戦だったが、源平双方とも動員した兵力は京内に手持ちの数百人程度であった。

 平維盛率いる平家軍が木曽義仲など北国の反乱軍討伐のために遠征した時は勅命による官軍だったので、各国の国衙領および荘園から駆り武者を動員できた。そのため、この時は1万人以上の兵力を動員した模様だが、当時は平家が、大黒柱である清盛死後の追い詰められた状況下で、ほぼ全力を投入して乾坤一擲の勝負に出た特殊事情を考慮しなければならない。逆に言えば、兵力が多すぎて統制が取れなかったためにかえって簡単に敗北してしまったのではないかと思われる。軍需物資の調達も、当時畿内を中心に西国は養和の大飢饉後であったため、困難を極めたのではないか。

 源義経が活躍したその後の合戦では、鎌倉側、木曽義仲軍、そして平家軍のいずれも動員兵力は2から3千人程度の印象だ。頼朝の奥州平泉遠征でも同様である。鎌倉側が藤原泰衡側の2、3倍の兵力は動員しただろう。後鳥羽上皇と鎌倉幕府が衝突した承久の乱の際の幕府側動員兵力の吾妻鏡の記録も明らかに過大で、実際にはその十分の一程度の兵力だったと思われる。
 
 このように、鎌倉時代以前については、具体的な紛争や戦闘の分析がほとんどできない。

 南北朝期になると、太平記は当てにならないが、梅松論と難太平記を参照できるので、大きな戦略までは不明であるが、個々の戦闘の際の状況については比較的良くわかるようになってくる。特に今川了俊の書いた難太平記は自分が今までに読んだ史書の中では、カエサルの書いたガリア戦記やヨセフスの書いたユダヤ戦記に匹敵するくらい面白いし、資料的価値もあるだろう。

 了俊自身が九州探題として宮方を追い詰めて大活躍した武人だった上に、失脚後は文化人として名を上げた稀有な才能の持ち主であったから、彼が時の将軍足利義満に対する憤懣から書いた難太平記が面白くないはずがない。日本において資料的価値と文章の面白さの両面で難太平記に匹敵する資料と言えるのは、私見では、太田牛一が書いた信長(公)記と、大久保彦左衛門が書いた三河物語くらいしか無いと思う。

 さて、難太平記を読んでみると、当時も鎌倉時代以前と同じく、兵力の動員は一族や譜代の家人・郎党の中核部隊を除けば、専ら強制ではなく各自の自発的参加による駆り武者方式に依存していた模様である。それゆえ、軍を率いる総大将の人気や名声が戦力に大きな影響を及ぼす。足利尊氏が、北条氏や後醍醐天皇、弟直義との激烈な権力闘争を経ながら最終的に勝利できたのは、彼の家柄と個性に裏付けられた人気と名声が、他の指導者達より優越していたためだろう。

 非常に興味深いのが、大将クラスが前線で実戦に参加し、多数の討ち死にを出している点である。例えば、了俊の父今川範国は駿河手越河原や京周辺、美濃青野原(後の関ヶ原)で自身太刀打ちに及ぶなど最前線で実戦に参加して軍功を上げているし、範国の兄頼国は、中先代の乱の時に相模川渡河作戦に参加して矢20本を身に立てられて討ち死にしている。総大将の尊氏や直義も実戦経験が豊富な様子で、何度も敗戦の際に自害しようとする場面が出てくる。

 こうした大将クラスの戦闘参加は、戦国時代以後は余り見られなくなり、大将は後方の本陣で指揮に専念する近代戦方式をとるようになる。恐らく、南北朝時代までの駆り武者動員体制においては、統一された部隊の編成も不可能であるし、大将の個人的武勇の発揮が戦力を維持するために重視されたのではないか。戦闘に参加する部隊の規模も今日の大隊か連隊程度だったため、指揮官が実戦に参加しても指揮統制上、さほど問題が無かったのかもしれない。

 南北朝時代までは、攻城戦よりは会戦で勝敗の決着が着いた印象を受ける。これが、永享の乱以後の時代になると、明らかに攻城戦が増えてくる。結城合戦あたりから城をめぐる攻防戦で勝敗を決する傾向が顕著となる。市街戦でも、まず敵の機先を制して敵の拠点である屋敷を襲撃する場合が多くなる。襲撃に失敗した後に市街戦に突入するようだ。

 戦国時代になると、大規模な会戦がほとんど無くなり、大名領国の境目の城を奪取するか防衛するかが紛争の大部分を占めている。国単位の広大な領域を一円支配する大名としては、大規模な会戦で兵力を喪失したら、直ちに自家の滅亡につながりかねない危険を認識していたのだろう。
 
 戦国大名同士の例外的な会戦の事例として、例えば桶狭間の戦いと長篠の戦いが挙げられるが、このどちらの場合も紛争の発端は領国境目の城の争奪戦であった。しかも、決戦に敗れた側は、敗戦からさほど経ない短期後に滅亡に至っている。日本国内でも屈指の勢力を誇った今川氏と武田氏だ。

 一貫した戦略機動のモデル・ケースは、長尾景春の乱(文明8~12=1476~80年)の際の太田道灌の部隊移動である。景春に、古河公方足利成氏に対抗するための策源地である五十子陣を攻撃された山内、扇谷両上杉勢が1477年、山内家の本拠地上野国に撤退すると、道灌は江戸城から出撃して、自身と扇谷家の本拠地である江戸城と河越城の連絡を遮断していた豊島氏を江古田原の戦いで破った後、豊島氏の拠点石神井城を攻略した。

 その間、道灌は江戸・河越両城を味方の軍勢に守備させた上で、相模・武蔵両国を転戦して景春与党を相次いで各個撃破していった。1477年7月に古河公方成氏が景春支援のため東上野に侵攻してくると、道灌も上野に転戦して山内上杉の本拠白井城に上杉勢を後退させた。古河公方との和睦成立後、豊島氏が豊嶋郡平塚城で再蜂起したため、道灌は1478年1月平塚城を攻撃し、通説では後退した豊島氏を橘樹郡小机城まで追撃したとされる。

 4月に道灌は小机城を落として豊島氏を滅亡させたと言われ、12月には下総に侵攻して千葉氏を攻撃した。1479年7月には千葉介孝胤の籠城する臼井城を攻略している。最終的には、道灌の活躍によって、上杉方が1480年6月、景春を秩父日野要害で降伏に追い込むことに成功している。

 鉄道や車両の無いこの時代に、太田道灌の部隊が短期間にこれだけの機動力を発揮できたことには正直驚くが、江戸、河越、鉢形などの拠点城郭(水堀だったと思われる江戸城を除いて、土塁と空堀の城)が策源地として機能している点にも、従来とは異質な近代的な軍事作戦の印象を受ける。

 恐らく道灌は、平時から軽装歩兵(足軽)を雇用して江戸城に集結させ、戦闘訓練に勤しんでいたに違いない。従来型の駆り武者動員軍では、道灌のこのような戦略は取りようがない。江戸城と河越城には、戦略機動に必要な補給物資も十分に集積していたのだろう。そうでなければ、このような迅速な軍の展開は不可能である。正にナポレオン軍を彷彿とさせる見事な内線作戦だ。

 文明18(1486)年、道灌は主君上杉定正の相模国糟谷館に招かれ風呂場で暗殺されたが、これは道灌の軍事力と名声の高さによる下剋上を恐れた定正の謀略による事件と言われている。暗殺時に道灌は「当方滅亡」と発したとされるが、「当方」が道灌自身を指すのか、主家である扇谷上杉家を指すのかは謎のままである。恐らく後世の人が作った伝承に過ぎないのではないだろうか。

 しかし、太田道灌がその後15年もし生きていれば、扇谷家は下剋上で多分乗っ取られていたであろう。そうなれば、伊勢宗瑞(俗に言う北条早雲)が相模国を席巻できたかどうか、大いに興味が湧くところである。

2015年4月24日金曜日

新卒3年以内に辞める新人に関する考察(補論)

 4月21日に投稿した「新卒3年以内に辞める新人に関する考察」について、筆者は、終身雇用と年功序列を否定する以上、政府と企業が若者の雇用の流動性選好を織り込んで対策を講じるべきであると論じた。

 しかし、論旨がやや舌足らずであったために、筆者が竹中平蔵氏や政府の産業競争力会議が議論しているような、雇用の流動性を高めるために正社員に対する「解雇規制緩和」や「限定正社員」制度を導入することに賛成していると読者に誤解される恐れがあることに気付いた。そこで、この投稿で論点を改めて整理し、筆者の主張をより明確にしたいと思う。

 まず前提として、社員が退職する理由には、自発的なものと非自発的・消極的な場合がある。後者は言うまでもなく、不況期に起きる整理解雇や退職斡旋のケースだ。新卒3年以内に辞める新人のケースは無論そうではなく、前者の自発的退職である。同じ、雇用の流動性に関わる論点であるとしても、両者に対する施策の方針を立てる場合、その前提が全く異なっていることに注意しなければならない。

 第一に、正社員に対する解雇規制を緩和することによって、従来非正規社員が専らコストを負担していた、不況期の「雇用の調整弁」の役割が正社員に拡大されることは間違いないだろう。その結果もたらされるのは、恐らく失業率の上昇と労働者報酬が顕著に下がることだろう。そのため、正社員時代に培われた労働者の能力や技能、意欲が失業期間の長期化に伴って次第に劣化し、長期的に見ると日本経済全体の成長を妨げる要因となるだろう。解雇規制の緩和によって非正規社員の雇用が改善するという主張も、眉唾に思われる。正社員の身分が不安定になることと、非正規社員の待遇が改善されることとの間に論理的な結びつきがないからだ。

 次に、職種や労働時間、勤務地を限定する、いわゆる「限定正社員」制度の創設も、多様なワーク・ライフバランスの実現につながるかどうか明確ではない。不況下においては、限定正社員は、労働契約法第16条と判例に基づく「解雇権濫用の法理」の対象外に多分弾き出されるだろう。企業が解雇しやすい正社員を、新たに生み出すだけの結果となりかねない。

 このように、雇用の流動性を高めるために解雇規制を緩和すると、筆者の考えでは、失業率が高まるとともに労働者報酬が下がって個人消費が伸び悩み、かえって経済成長を妨げる結果を導くと思う。だから、解雇規制緩和によって雇用の流動性を高めようとする施策に、筆者は明確に反対する。
 
 それに、OECDの雇用保護指標(EPL Indicators 2013)によると、日本の指標はアメリカの指標よりは高い(つまり、労働者がより強く保護されている)が、OECD全体の平均よりは低く、むしろ解雇しやすい国なのである。それゆえ、敢えて解雇規制を緩和する必要はないと言えるだろう。

 理論的には、労働市場が流動化していればスムーズな労働移動が可能であるため、失業期間が短縮され、報酬が顕著に下がることもないはずである。しかし、解雇という消極的離職の場合には、労働市場流動化の悪影響として、短期的な失業率の上昇は避けられない。したがって、長期失業率を高止まりさせないためには、十分な失業保険給付に加えて職業訓練や再就職の斡旋といったセイフティーネットを拡充させる必要がある。また、政府が積極的な労働市場政策を推進しなければならないだろう。そうした議論を抜きにして、解雇規制緩和や限定正社員だけを論じても、経済成長は決して実現できないだろう。

 4月21日の投稿で筆者が主張したのは、新卒3年以内に辞めてしまう新人のような自発的退職のケースでは、社員教育に頼るよりもむしろ、今後は新卒者に対するキャリア形成の内発的動機付けを重視することによって、今の若者達のインセンティブを高めることができ、長期雇用が実現可能なのではないかという点にある。アメリカ並みとはいかないまでも、今後は日本企業も職務範囲を少し明確にして、終身雇用と年功序列時代の滅私奉公システムから抜け出すべきだと主張したかったわけである。

 安倍政権が雇用制度改革として打ち出した、「成熟産業から成長産業への失業なき労働移動」はもっともな主張であるが、解雇規制緩和や金銭による解雇を安易に容認することには、筆者はむしろ反対なのである。

イスラーム過激派の「突然変異」ISIS生き残りの可能性

今日の産経新聞で、ISIS支配地域に潜入しようとした疑いのある日本人がまたもや出現し、2月にイラク北部クルド自治区の首都アルビル周辺で自治政府当局によって拘束され、日本に強制送還された後に旅券法違反の疑いで大阪府警の捜査を受けているというニュースが報じられた。

この人は20代の元自衛官で、迷彩服やヘルメット、GPS持参でトルコ経由でイラク入りしたという。詳細は不明だが、ISISに加入して戦闘に参加しようと試みた可能性も否定できない。
この元自衛官は交通事故を起こして禁固以上の刑が確定し、執行猶予中の身分であったにもかかわらず、その事実を申告せずに旅券を取得した容疑があるとのこと。ISISに拘束されれば殺害される恐れがあることは知っているだろうに、何とも理解不能な行動ではある。
この人も恐らく、日本国内で自分の置かれた現状に相当な不満を抱いていたため、こうした現実逃避的な行動を敢えて選択したのであろう。

昨日の記事でISISの強みと弱みを分析した。その結果、ISISがアルカーイダなど従来型のイスラーム過激派組織と比べて実に異質な組織である実態が浮かび上がってきた。
そこで、そうしたISISの異様な行動パターンを「突然変異」と見なすことによって、ISISが社会的に生き残ることが可能かどうか、進化ゲーム理論の枠組みを用いて検証したい。

「突然変異」とは、進化ゲーム理論における分析用語の1つで、近視眼的に目先の高い利得を得られる戦略に追従し、必ずしも長期的に合理的な行動を選択しない多数のプレイヤーが、専ら慣性に従ってゲームを繰り返しプレイする社会を想定した場合に、従来の慣性に逆らって突然行動を変える場合が出現することを意味する細江守紀、村田省三、西原宏『ゲームと情報の経済学』、勁草書房、2006年、273-5
ISISの戦略、行動の選択は、正に進化ゲームにおけるプレイヤーの「突然変異」に他ならない。その点にこそ、ISISが持つ従来のイスラーム過激主義組織にはない強みがあるとともに、また弱みがある。

さて、目下のところISISが支配地を拡大しようとしている地域は、先述したとおり侵略の適地がユーフラテス川やティグリス川の流域にパッチ状に点在しているような環境にある。したがって、ここでは分析のため、ゲームのプレイヤー間の相互作用がパッチ内部に基本的に限定される非ランダムマッチングのゲーム環境を想定する[1]
今、ISIS侵攻以前のそれぞれのパッチには、アラブ人とクルド人が生産従事者として居住していると考える。そして、アラブ人は生産・自立・非武装(すなわち無抵抗)の戦略(行動選択パターン)を取り、クルド人は生産・自立・軽武装(すなわち最低限の自衛)戦略を取るものとする。
そうした平穏なパッチに非生産・依存・重武装の「突然変異」戦略を取るISIS武装勢力が侵入してきた場合、パッチ内の相互作用ゲームの帰結は一体どうなるか。

この場合、アラブ人とクルド人は共に自立戦略を取っているため、一定期間内に生産された総資源からそれぞれ自立のためのコスト、換言すれば統治に必要な行政サービス・コストを分担していると考えることができる。
他方、パッチに侵入してきたISIS武装勢力は全く生産に従事せず、また環境に依存して恐怖によって資源を収奪するだけの存在なので、統治に必要なコストをほとんど負担しないと考える。ISISが負担するのは重武装と戦闘のコストだけである。 
パッチの先住民であるアラブ人は基本的に非武装なのでISISに抵抗できないし、クルド人は軽武装でISISの支配に抵抗するが、簡単にそれを駆逐することはできない。

こうした状況をモデル化すると以下のようになる。まず、あるパッチにおけるアラブ人の戦略の人数をNa、クルド人の戦略の人数をNk、そしてISISの戦略の人数をNiとし、生産従事者がx人いるときのパッチの総資源生産量を示す関数をRx)、自立のための統治コストをc、自衛のための軽武装のコストをd、そして侵略のための重武装と戦闘のコストをhとすると、当該パッチにおける各戦略の利得は以下の式で表すことができる[2]

アラブ人の利得 UaR(NaNk)/Na+Nk+Ni)-c
クルド人の利得 UkR(NaNk)/Na+Nk+Ni)-cd
ISISの利得     Ui R(NaNk)/Na+Nk+Ni)-h

上式における各利得の第1項は、各プレイヤーが資源の分割によって得られる利得の期待値である。現実には、プレイヤーの強さに依存して資源が分割されるはずであるが、ここではプレイヤーの強さは戦略と独立であると仮定して各プレイヤーの資源獲得量の期待値が等しいものと考える[3]

さて、ISISが侵入に成功したパッチ内で生き残るためには、R(NaNk)/Na+Nk+Ni)>hと、2c+dhという2つの条件が満たされなければならないことは明白である。
前者はパッチ内でISISが獲得する資源に余剰があることを示す条件であり、また後者は先住民の抵抗を抑圧できるための必要条件である。

すなわち、前者の条件が満たされなくなればISISはパッチに居座る利益がなくなるために撤退を選択するだろうし、後者の条件が満たされればアラブ人はもとより、クルド人も自分達の負担するコストが高すぎるため、長期的にISISに抵抗することを止めた方が得策となる。
  その結果、ISISのパッチ支配が継続することになるだろう。

以上の考察から、ISISをその支配領域から駆逐するためには、国際社会が次のような環境を醸成する必要があるだろう。

まず前提条件として、ISIS支配地を相互作用が困難な多数のパッチに分断して、ISISがパッチ内の先住民との間での非ランダムマッチング相互作用だけしかできない状況を作り出すことである。
そのためには、ISIS支配地内の交通を遮断して相互の往来を不可能にさせる作戦をとることが重要である。その意味で有志連合軍の空爆は、ISIS武装勢力自体を直接攻撃するよりも、重要な橋梁や道路を破壊することにむしろ重点を置くべきだろう。

次にR(NaNk)/Na+Nk+Ni)<hの条件を実現して、ISISのパッチ内からの獲得資源に余剰を生じさせないことが重要である。そのためには、特にISISの獲得資金源の重要部分となっているシリア、イラク両国の彼らが支配する油田地帯の石油関連施設をISISから奪還することが必要である。
また、サウジアラビアなどが中心となって現在行っている原油価格を低水準に誘導する政策を持続することは、ISISの収入に大打撃を与える上で極めて有効な措置であろう。

 最後に2c+dhの条件を実現してアラブ人とクルド人のパッチ内でのISISに対する抵抗力を強化することである。そのためには、アラブ人とクルド人の武装勢力の訓練を強化することが必要である。この点については、すでに有志連合の取り組みが強化されつつある。


[1] 本投稿における非ランダムマッチング型の進化ゲーム理論モデルについては、大浦宏邦「農耕戦略の進化モデル-非ランダムモデルによるジレンマの回避-」『帝京社会学』第16 号(2002年)、97-120頁の枠組みを参考にした。
[2] 同上、108頁参照。
[3] 同上、108-9頁。

2015年4月23日木曜日

既存の安全保障秩序を真っ向否定するISISの強みと弱み

  ISIS (The Islamic State of Iraq and Syria)の強みと弱みを客観的に分析すれば、概ね以下のとおりである。
  しかし、本当に彼らが脅威であるのは、彼らが「カリフ国」の復活を宣言して、30年戦争後のウェストファリア体制以後確立されてきた主権国家をプレイヤーとする既存の国際安保秩序に、強烈なアンチテーゼを投げかけていることだ。
 よく言われるように、国家の三要素は、国民、領土、そして主権であるが、その前提となるのは国境線の安定である。しかし、ISISは第一次世界大戦中の1916516日にイギリス、フランス、ロシアの三国間で終戦後のオスマン帝国領分割を密約した、いわゆるサイクス・ピコ協定(Sykes-Picot Agreement)の結果生まれた地域主権国家体制を覆すことを目標に掲げている。
  それゆえにアメリカの率いる有志連合が、躍起になってISISを攻撃しているわけだ。シリアやイラクのような既存の主権国家が解体されてしまっては、欧米が中東のみならず、グローバルな安全保障秩序を管理できなくなるからである。
  逆にその点にこそ、ムスリムのみならず世界中の不満分子がISISに共鳴する、本質的な要因がある。つまり、現状に不満であるからこそ既存の秩序をぶち壊したいという、人間の実存的な欲求を満たしてくれるかもしれないという「幻想」を、SNSを通じてISISが潤沢に提供しているのである。
  そして、困ったことに、ISISが少なくともシリアとイラクの領土の一部を切り取ることに成功して、彼らの母体であるアルカーイダのような根なし草の国際テロ組織になっていないことが問題の解決を一層困難にしている。

   さて、このようなISISの強みをいくつかを列挙すると、次のようになる。

(1) 戦闘員の多様性と豊富なリクルート源の存在
 ISISの総兵力は約2万から31千人と見積もられており、イラク政府軍やペシュメルガと比較して必ずしも多いわけではない。しかし、2014年にイラクやシリアの政府軍から奪った兵器のうちには戦車や重火器、地対空ミサイル等の最新兵器が含まれているため、一部の戦力が重武装している点で敵対する他の武装勢力より比較優位に立っているとは言えるだろう。
戦闘員の構成のほぼ半数である約15千人が外国人であると見なされている。ISISだけではないが、20149月時点でシリアとイラクで戦闘に参加している外国人は総計11千から2千人の間で、そのうちチュニジアからが最多の約3000人、サウジアラビアから約2500人、英国籍者が500人以上で、欧米出身者が全体で3000人以上を占めていると言われる(Mohanad Hashim, “Iraq and Syria: Who are the foreign fighters?,” BBC News Middle East, 3 September 2014, <http://www.bbc.com/news/world-middle-east-29043331>, accessed on February 25, 2015.
中にはチェチェンやボスニアの戦闘で豊富な経験を積んだ戦士も、ISISに含まれている。彼ら外国人戦闘員がイラクとシリアでの戦闘経験を積んだ後に本国に帰国した場合、いわゆるホームグロウン・テロの脅威が一挙に高まるだろう。
ISIS軍事部門で特筆すべき点は、サッダーム・フセイン時代の旧イラク軍の大隊および中隊指揮官レベルの元将校が多数参加しており、彼らの作戦指揮と統制能力の優越性が、特にイラクにおけるISIS支配領域の拡大に寄与していると考えられることである。
中東北アフリカ全域にISISに関連する細胞組織が増加している兆候があり、特にリビアではカダフィー政権崩壊後の世俗派とイスラーム主義者との権力闘争による事実上の内戦状態が続く混乱に乗じて、ISISの分派が東部デルナや中部シルトに進出している。ISIS分派「ISトリポリ州」は2015127日、首都トリポリの高級ホテルを襲撃して9人を殺害した。
  また2015215日、ISIS分派は、人質にしていたキリスト教の一派コプト教徒のエジプト人労働者21人を殺害したとする動画をネットに公開した。その報復のため、エジプト軍が翌16日、隣国リビアのISIS関連組織の拠点を空爆したのは記憶に新しい。エジプトでは、129日に北部シナイ半島の軍事基地や警察署がISIS分派に襲撃され死者が出たことから、ISIS分派に対する掃討作戦が継続している。

2) 一定の領域を実効支配し、活動資金を独自に調達できること
ISISは、20148月の最盛期の時点で、シリア国土の約三分の一、イラク国土の約四分の一の領域を支配下に置き、少なくとも800万人の住民を恐怖政治によって統治しているとされる。住民に対してシャリーアを厳格に適用しており、ISISが首都とするラッカなどでは宗教警察が市内を周回して違反を監視している。
2015112日には禁止されたサッカー観戦をしただけの少年13人を銃殺で公開処刑した。また、ISISは奴隷制度の復活を公言している。201491日、国連人権理事会は、ISISの行為を戦争犯罪や人道に対する罪にあたると非難する決議を全会一致で採択した。
従来、ISISの資金調達は、専らペルシャ湾岸諸国等の裕福なシンパから得た寄付によっていたとされる。しかし、20148月からは支配地を獲得したことにより、住民や異教徒に対する課税や手数料の徴収、現金を銀行から収奪する手段の他、人質の身代金ビジネスと遺跡からの略奪、公定価格からダンピングした価格設定による石油の密売等の非合法手段によって、ISISには、1日当たり約300万ドルの収入があると見積もられていた。

3) 統治能力を持つイラクの元バース党員と、宣伝工作に長けた技術者等の専門家を抱えていること
ISISのカリフと称するバグダーディーは、恐らく精神的な指導者として最高の意思決定に関与しており、実務はその下にいる元イラク・バース党幹部達が担当していると思われる。その意味では、ある種の官僚機構をISISは保有しており、元イラク軍将校を多数抱えていると言われる戦闘部隊の存在と合わせて、ISISが、アルカーイダ等従来のイスラーム過激派組織とは質の異なる疑似国家組織であることは間違いないだろう。
また、ISISの際立った特徴として、SNSsocial networking service)や動画共有サイトに自分達の活動内容を洗練された形式を用いて多言語で発信することにより、世界中の現状不満分子を自分達のシンパや戦闘員としてリクルートすることに成功していることが挙げられる。
こうした宣伝工作に長けた専門家を抱えていることによって、ISISはアルカーイダに代るイスラーム過激派の代表組織と見なされつつある。さらに各国のマスメディアが、ISISの脅威について彼らが作成した動画を用いて盛んに報道するため、ISISの宣伝工作が相乗効果を持って拡散している現状が出来上がっている。

 それでは、逆にISISの弱みはどの点にあるか。

(1) 敵対勢力に周囲を全て包囲されていること
軍事的には、これがISIS最大の弱みであろう。特に米軍の対ISIS支配地への空爆が始まってから、油田地帯の石油施設が破壊されたこと、また、同時期に原油価格が下落し続けたことによって、ISISの獲得する石油密売収入は大幅に減少したと思われる。軍事施設や戦車、重火器の損害も相当大きいだろう。
2015126日、クルド人民防衛隊YPGによってシリア北部の街コバニから駆逐されて以来、シリアとイラク両国のISIS支配領域は次第に狭まりつつある。現状では、アメリカの率いる有志連合による空爆とクルド人地上部隊等が連携した対ISIS軍事作戦は象徴的な成果を上げたに過ぎないが、軍事的な意味でのISISの退潮は明白である。
  2015年春には、イラクにおいて政府軍とペシュメルガによってISISからモースルを奪還する作戦が実施される予定である。もしもISISがモースルから撤退することになれば、ISISにとってイラクにおける決定的な敗北を意味するだろう。

2) 統治の正統性が認められないこと
20152月現在、ISISを国家承認あるいは外交的に承認している国家は1つもない。もちろん、今後承認する国家が現れる見通しも全くない。エジプトのスンナ派最高権威機関であるアズハルは、20149月、メディアに対してイスラームを悪用するISISを「イスラーム国」と報道することはイスラームに対して不当であるとして、「イスラーム国」の名称を使用しないよう海外メディアに求める声明を発表した。
このように、ISISによるシリアおよびイラクの統治と「カリフ国」の存在については、国際社会とスンナ派最高権威機関の双方が、その正統性を明確に否定している。敬虔なスンナ派宗徒は、ISではなく、アラビア語名の頭文字を取って否定的な響きを持つダーイシュ(Da’ish)とISISを呼ぶことが多い。統治の正統性がないということは、ISISが支配地住民の共感や支持を得ることを困難にする他、いったん戦況が不利となった場合にISIS戦闘員の離反を増大させる結果をもたらすだろう。

3) 支配領域の広大さと比べて人材が不足し、統一性がなく団結できないこと
 ISISにイラクの元バース党員が多数抱え込まれているとはいえ、支配地全てに必要な人材を配置する余力は恐らくない。地理的にもISIS実効支配エリアはシリアとイラクの国境線にまたがる人口希薄な砂漠地帯を多く含んでおり、人口が集中する都市はユーフラテス川とティグリス川流域に点在している状態にある。
したがって、ISISの実効支配はエリア毎に分散することにならざるを得ない。その上ISISの成り立ちから、組織の構成メンバーの母国や出身母体が極めて多様なハイブリッド組織であるため、資金が枯渇すれば直ちに内紛が生じる危険を孕んでいる。ISISは母体がAQIである以上、そもそも分裂しやすく、団結した行動を取りにくいネットワーク型組織なのである。したがってISISは、いったん敵との戦況が不利となれば、直ちに組織が分裂して崩壊する可能性もあるし、逆に世界中にその細胞が拡散する危険性もある。

いずれにしても、国際安全保障上、ISISがきわめて厄介な存在であることは間違いない。

イスラエル・ネタニヤフ政権の対イラン政策体系

 イスラエルは1990年代後半からイランの弾道ミサイル開発計画に注目して、イランが核兵器を開発していることを想定した政策を策定してきた[1]。しかし、そうした政策を明確に体系化したのは2009年に発足した現ネタニヤフ政権である。
 ネタニヤフ政権が体系化したイラン核開発に対する政策は、以下の3つの柱からなっている[2]。すなわち、第一に、エフード・オルメルト前政権から引き継いだ秘密工作活動(政策A)であり、それは核開発に携わっているイラン人科学者の暗殺やイラン核施設内のコンピューター・システムを破壊するスタックス・ネットなどのウイルスを使ったサイバー攻撃による破壊工作であった。だが、こうした秘密工作はイランの核開発を止める程十分な効果を挙げなかった。
 第二に、ネタニヤフ首相を中心に展開したイスラエル単独の外交努力(政策B)で、アメリカなど主要な交渉国にイスラエルの強硬姿勢を示して強い圧力をかけることである。しかし、こうした強硬な外交姿勢がイスラエルをかえって孤立させる結果を招いたとする批判もある。
 そして、第三に、具体的なイスラエル単独の軍事オプション(政策C)の策定である。これはイランの核施設に対する軍事攻撃を継続的に示唆することによって、アメリカなど交渉当事国に対する強硬外交(政策B)推進の梃子とするとともに、イランに直接脅威を与えることでその核計画推進を抑制する目的もある。
  ネタニヤフ政権発足当初の望ましいポリシー・ミックスは、言うまでもなく、上記のABC、つまり、秘密工作と外交努力と軍事オプションを適切に組み合わせて、イランの核開発計画そのものを破棄させることであった。しかし、政権発足当初実施された秘密工作でイランの核開発計画を止めることに失敗したうえ、今年6月末を期限とする最終合意に向けた枠組み合意が締結された結果、今後の交渉期間中のイランのウラン濃縮継続と制裁緩和の道筋がつけられてしまい、イスラエルの目指した制裁強化に向けた外交努力も功を奏さなかった。したがって、イスラエルに残された選択肢は、政策Cの軍事オプションだけである。
  しかし、イスラエル単独で軍事オプションを遂行することは、P5+1(国連安保理常任理事国プラスドイツ)とイランの最終的な包括合意に向けた交渉が行われている現状では極めて困難である[3]。少なくとも、アメリカの事前の同意を必ず取り付けておく必要がある。しかし、オバマ政権の現状ではそれは全く望めない。
  そこで、ネタニヤフ政権としては、政策Cの軍事オプションを実行する場合に自国に有利な国際環境を醸成するためにも、政策Bの外交努力の方針を再構築する必要があるだろう。
  そして、そうして再構築された外交努力にもかかわらず、P5+1をイランに対する制裁を強化する方向に回帰させることができない見通しになったとき、イスラエルは政策Cの軍事オプションをとるか、あるいは今のところ表面に現れてはいないが水面下ではすでに議論されている第の選択肢である核曖昧政策の変更(政策D)という政策オプションをとって、イランとの核抑止体制を構築する方針に転換するかもしれない。
  もしそうなれば、イスラエルは建国以来初の、安全保障上極めて深刻な政策転換の選択を迫られることになるだろう[4]


[1]浜中新吾「中東地域政治システムとイスラエル―国際システム理論によるイラン問題へのアプローチ―」『山形大学紀要(社会科学)』第42巻第1号(2011年)、14頁。
[2] Shmuel Even, "The Israeli Strategy against the Iranian Nuclear Project," p. 10.
[3] Yoel Guzansky and Ron Tira, "An Israeli Attack on Iran: The International Legitimacy Factor," Strategic Assessment (INSS), Vol. 16, No. 3, October 2013, p. 32.
[4] Adam Raz, “The Value of Nuclear Ambiguity in the Face of a Nuclear Iran,” Strategic Assessment (INSS), Vol. 14, No. 3, October 2011, pp. 21-28.

イラン核開発の目的に関する考察

1.イスラエルの見方

 イスラエルでは、イランの核開発は核兵器製造能力を持つに到達することを目的としていると見なされている。例えばイラン核開発の目的について、テルアビブ大学国家安全保障研究所(Institute for National Security Studies: INSS)シニア研究員のシュミュエル・イーブンは、以下の5つの理由を掲げているShmuel Even, "The Israeli Strategy against the Iranian Nuclear Project," Strategic Assessment (INSS), Vol. 16, No. 4, January 2014, p. 8.

a.    アメリカに率いられた主要国に対する核抑止力を獲得すること。
b.    イスラエルとの核の戦略的均衡を創出すること。
c.     中東におけるイランの地域覇権を達成すること。
d.    イスラーム世界におけるイランの立場と影響力を強化すること。
e.     内政上の目的として、一般のイラン国民および特に体制支持者の間でのイスラーム体制の威信を強めること。

  以上を整理すると、イラン核開発の目的は、まず第1に、核抑止力の獲得(理由A)、第2に、地域における影響力の強化、かつ最終的に地域覇権の達成(理由B)、そして第3に、国内的なイスラーム体制の威信強化(理由C)であると、イーブンは考えていることになる。わかりやすいイメージとしては、ABCAかつBかつC)の目的を達成するための必要条件として核武装があり、その能力に到達するための核開発(換言すればウラン濃縮P)であるということになる。
  しかし、「A(核抑止力の獲得)⇒P(核開発/ウラン濃縮)」の論理式は、その対偶命題「¬P(核開発しない)⇒¬A(抑止力を獲得できない)」が真であるから成立することは容易に理解できるが、「¬P⇒¬B」と「¬P⇒¬C」の論理式が成り立つかどうかについては疑問がある。すなわち、イランが核開発しないからといって地域覇権が達成できないわけではないし、同様にイランが核開発しないからといって体制の威信が強化されないわけでもないからである。つまり、地域覇権目的(B)や体制の威信強化(C)のための必要条件としてイランが核開発をしているという論理式は、必ずしも成立しないのである。この点に関連して、イランの核開発が核抑止力の獲得(A)を目的としたものであることについて、実証的なデータから裏付けることができる。


2.COWデータから読み取れるもの

  COWCorrelates of War)は、ミシガン大学のデービッド・シンガーらが1963年に始めた戦争研究のためのデータ収集プロジェクトである[1]。同プロジェクトによって構築された膨大なデータセットのうち、National Material Capabilitiesversion 4.0[2]の中から、中東主要7か国(イラン、トルコ、イラク、エジプト、シリア、イスラエル、そしてサウジアラビア)の1948年(イスラエル建国年)から2007年までの60年間の軍事費およびCINCComposite Index of National Capability)スコアを集めた。
  CINCスコアとは、各国の鉄鋼消費量、エネルギー消費量、兵員数、軍事費、都市人口、全人口の6つの国家の物質的基盤、換言すればパワーの基礎となる資源について、国ごとの毎年の占有率を合成して算出した指標である[3]。このデータを見ることにより、軍事力とは別次元での各国のパワーの潜在力を知ることができる。
  このデータから読み取れるものは次のとおりである。まず、軍事費の時系列データから見ると、イスラエルは1968年以降軍事費を順調に増大させていることがわかる。これは、196765日から10日の間に起きた第3次中東戦争(六日戦争)の結果、東エルサレムとヨルダン川西岸(ヨルダン領)、ガザ地区(エジプト領)、ゴラン高原(シリア領)、そしてシナイ半島(1982425日エジプトに返還)とイスラエル占領地が戦前の4倍以上に拡大したことが大きく影響していると思われる。2007年時点では、イスラエルの軍事費はサウジアラビア、トルコのアメリカの両同盟国に次ぐ地域第3位の約116億ドルであり、同年のイランの軍事費約745千万ドルの1.5倍以上の額に上っている。 
  他方、イランの軍事費はシャー(パーレビ国王)時代の1978年からイラン・イラク戦争(1980922日から1988820日)の間は急激に増大したが、戦後の1990年代初頭に大幅に落ち込んだ後、90年代後半に再び上昇した後は緩やかに下降し、2003年以後再び上昇しつつある傾向が見て取れる。イスラエルが六日戦争の勝利以降、着実にその軍事的パワーを向上させていることと比較すると、対するイランの方は、19792月に起きたイスラーム革命とその後のイラクとの戦争の激動期を経てきた事情があるとはいえ、自国の軍事的パワーの向上に関して極めて不安定な経緯をたどってきたと解釈することができるだろう。それが、イランを核開発に邁進させる理由であると考えることも可能である。例えば、イランの軍事費は1990年代後半に急増するとともに、2003年以降も明らかな上昇傾向を示しているが、その含意を核開発と関連付けてみると、以下のとおりである。
まず、90年代後半にイランはパキスタンのアブドゥル・カディール・カーン博士のネットワークからウラン濃縮に必要な遠心分離機の技術等を導入するとともに、北朝鮮やロシア、中国の協力で弾道ミサイルの開発を推進した[4]。イスラエルを攻撃圏内に収める射程約1300キロメートルの弾道ミサイルであるシャハブ3の発射実験に初めて成功したのは、19987月である。ほぼ同時期の1999年以降、イランは核開発を加速させたと見られている[5]。弾道ミサイルに通常弾頭を搭載するだけでは、1991年の湾岸戦争におけるイラクのイスラエルに対するスカッド・ミサイル攻撃の事例を鑑みても、その戦略的価値はほとんどないに等しい[6]。核兵器を弾頭に搭載することができて、初めて弾道ミサイルの運搬手段としての戦略的価値が生まれる。したがって、イランが1990年代後半に軍事費を急増させたのは、恐らく核兵器運搬手段としての弾道ミサイルと、それに搭載する核弾頭の開発を意図したためであると見ることが素直な解釈であろう。
他方、2003年以降のイランの軍事費上昇は、核開発が暴露されたことによるイスラエルや欧米諸国との緊張激化の情勢を反映したものであるだろう。核開発をさらに推進した強硬派のアフマディネジャド政権が200586日に誕生したことも、この時期のイランの軍事費の上昇を招いた要因の1つであるかもしれない。いずれにしても、イランの軍事費データを時系列的にみると、核開発を加速した時期とほぼ連動して上昇している傾向が見られる。その含意は、イランは端的にイスラエルに対する戦略的な均衡目的で核開発を進めた、すなわち、前述したように核抑止力の獲得目的でイランが核開発を進めているという論理を裏付けるものである。
次に、イスラエルとイランの物質的能力の基盤を示すCINCスコアに目を向けてみた。スコアの時系列データを見ると一目瞭然であるが、イスラエルは建国以来60年の間に、約0.0011から0.0041程度までしか自国の物質的能力の基盤を向上できていない。これは、ほぼシリアのCINCスコアの時系列的な進展具合と並行して推移しており、そこからイスラエルとシリアの両国は物質的能力の基盤においては同等程度で、他の域内5カ国と比べても小規模に過ぎないという事実である[7]
これに対して、ペルシャ湾岸の一大産油国でもあるイランの方は、1948年時点のスコア約0.004から、2007年時点では約0.013にまでスコアを伸ばしている。イランの物質的能力は、その基盤において域内で経済発展が著しいトルコのスコアに次ぐ規模であり、イスラエルのスコアの約3.37倍なのである。つまり、イランのパワーの物質的基盤はイスラエルのそれの3倍以上であり、能力の分布状況で考えれば、イランは域内大国であるがイスラエルは小国に過ぎない事実を示している。 
もちろん、国家のパワーは必ずしも物質的能力基盤の分布のみによって測定できるわけではない。先に見たとおり、軍事費データだけを見ればイスラエルは2007年時点でイランの軍事費の1.5倍以上を計上しており、1960年代末にはすでに核武装に成功して域内単独の核抑止力を保有している事実を鑑みれば、イランとの軍事的パワーの格差は、むしろ優勢を維持していると言えるだろう。しかし、イスラエルとイラン両国のCOWデータの検証から、両国とも同様に自国の軍事的パワーと物質的能力基盤の双方の指標の間に、戦略的に無視しがたいギャップが存在していることは明らかであろう。

3.まとめ

  前節における実証的なCOWデータの検証から、中東地域においてイスラエルは物質的能力の基盤が小さいにもかかわらず軍事的パワーの規模は大きく、それとは逆にイランの方は物質的能力の基盤が大きいにもかかわらず軍事的パワーの規模は小さいという、両国とも戦略的に無視しがたいギャップを抱えている事実が明らかとなった。
  前述したとおり、イスラエルは1960年代末に恐らく核武装を達成し、域内で単独の核抑止力を確保することによって、自国の物質的基盤の脆弱さを戦略的に克服した[8]。それに対するイランは、792月のイスラーム革命以来アメリカとの対立を続けてきた結果、シャー時代の莫大なアメリカからの軍事援助が途絶えることで8年間にわたるイラクとの戦争に苦戦するとともに、イスラエルとサウジアラビアというアメリカの域内同盟国に対する軍事的パワーの劣勢を強いられてきた。そうした軍事的パワーの脆弱さを、1990年代後半以降の核開発を通じて補填しようとした。同時にイランは、シリアのアサド政権とレバノンのヒズボラ、そしてパレスチナのハマスという、イスラエル領土に隣接するイスラエルの敵対勢力を支援し影響力を行使することで、イスラエルに対する戦略的な梃子を維持してきた。
  イランとしては、19676月の六日戦争以来イスラエル有利に配分された占領地等の資源を、戦略的な梃子として利用できる自らの代理勢力に再配分させるとともに、自国の保有する物質的能力分布に見合った軍事的パワーを獲得することが合理的な戦略的判断となる。核開発を通じてイスラエルに対する核抑止力を獲得することと同時に、代理勢力への資源再配分をイスラエルの犠牲において強いることが、恐らくイランの究極の目的であろう。
 したがって、この最終目的を達成するためには、国際社会から厳しい制裁措置を受けてもイランはウラン濃縮等の核開発を停止しないのが合理的な選択だろうし、事態が悪化していく危機的状況の下では、恐らくイスラエルとの核軍拡競争も辞さないと思われる。


[1] COW Project History, <http://www.correlatesofwar.org/>, accessed on March 17, 2014.
[2] Ibid.
[3] Correlates of War Project National Material Capabilities Data Documentation Version 4.0 (Last update completed: June 2010), <http://www.correlatesofwar.org/>, accessed on March 17, 2014;  浜中新吾「中東地域政治システムとイスラエル―国際システム理論によるイラン問題へのアプローチ―」『山形大学紀要(社会科学)』第42巻第1号(2011年)、8頁。
[4] 浜中、同上13頁。
[5] 浜中、同上13頁。
[6] イラクは湾岸戦争中の1991118日から42日間に、合計18回スカッド・ミサイルをイスラエルに向けて発射した。この攻撃でイスラエルでは226人が負傷し、14人が死亡したが、ミサイルの直撃による死者はわずか2人に過ぎなかった。Steve Fetter, George N. Lewis, and Lisbeth Gronlund, “Why were Casualties so low?” Nature, Vol. 361 (28 January 1993), pp. 293–296, <http://drum.lib.umd.edu/bitstream/1903/4282/1/1993-Nature-Scud.pdf>, accessed on March 17, 2014.
[7]浜中「中東地域政治システムとイスラエル―国際システム理論によるイラン問題へのアプローチ―」8-9頁。
[8] 浜中、同上911頁。

2015年4月22日水曜日

イランの核開発継続と中東での核拡散の危険性

 今朝のNHKニュースで、イランの核開発に関連する一連の制裁が緩和されることを見越して、イランの観光産業や株式市場が活気を取り戻しつつある様子が放送されていた。それ自体は日本にとって大変望ましいことである。日本とイランの両国は、元来非常に友好的な関係を築いてきたからである。それがイランの核開発問題発覚をきっかけとして、図らずも我が国が国際的な対イラン制裁措置を継続する事態に立ち至って今日を迎えている。
 イランの核開発問題は、20028月に秘密の核開発関連施設の存在が暴露されてから、10年以上の日時が経過している。この間、結果的にイランの時間稼ぎに国際社会が翻弄されてきたのが、これまでの外交交渉の実態だ。この問題が、イスラエルによるイランに対する軍事攻撃が取りざたされるまでに発展したのは、20102月に、イランが約20%濃縮ウラン開発技術の獲得に成功して以降である。今年6月末を期限とする包括合意に向けた交渉の重要な論点は、イランの核武装化が阻止できる程度にそのウラン濃縮設備を制限できるかどうかにかかっている。イランは包括合意と同時に制裁が解除されるべきであると主張しているが、米英仏などはイランの合意履行を確認した上での段階的な制裁緩和を主張しており、期日までに合意が形成できるかどうかは未確定である。
 アメリカのオバマ大統領は、中東からの撤退を推進するためにイランの平和的な核開発を事実上認める方針であろう。これには、アメリカの中東における最重要の同盟国であるイスラエルとサウジアラビアが猛反発しており、アメリカの対イラン接近は、地域情勢をさらに不安定化させる懸念がある。イスラエルにとってイランの核開発は、地域における核の独占体制を脅かす「実存的な脅威」と見なされているし、サウジアラビアにとってシーア派大国であるイランの影響力拡大は、聖地メッカとメディナを抱えるスンナ派の盟主として許しがたい事態であろう。少なくとも、サウジアラビアはイランの核開発に触発されて自国の核武装化を進める危険があるし、イランとサウジアラビアが核を入手すれば残る地域大国のトルコも同様の核開発政策に舵を切る蓋然性がある。正に、中東に核のドミノ現象が起きるという恐ろしい事態が起きかねない。多極化した核抑止体制を管理することは、米ソ冷戦期のような二極体制における核管理に比べて遥かに難しいことは自明であるからだ。
 その意味で、イランの核開発問題は現在進行中の危機であり、その解決に至る道筋はある種のシナリオを作る知的作業と同様である。シナリオの作成には、データの収集から帰納的に行う方法と、一定の思考の枠組みを構築してから演繹的に推論を重ねて行う演繹的な方法の二種類があるが、イラン核開発問題については2002年の発覚以来過去10年間にわたるデータの集積によって、ある段階までの主要アクターの行動の選択肢を論理的に推論したミクロな論点の解はすでに確立されつつあり、残された不確定要因をめぐって分岐するシナリオを演繹的に導くことが可能である。例えば、いくつかの問と解を、以下のように導くことも可能であろう。

問1.イスラエルの攻撃でイランの反撃はあるか

(1) イランはホルムズ海峡を封鎖するか

 ホルムズ海峡は、ペルシャ湾の出入り口を扼する世界で最重要のチョークポイントである。2010年のわが国の輸入原油の86.6%は中東原産であり、その約9割がホルムズ海峡を通過しているから、ホルムズ海峡の通航の自由は、日本にとって死活的な利益である。
 このホルムズ海峡を、イランが封鎖するかどうかという問題は、国際法的側面と軍事的側面の双方からアプローチしていく必要がある。国際法的にみると、ホルムズ海峡は国連海洋法条約によって定義された国際海峡(国連海洋法条約第37条)であり、たとえ外国軍艦であっても、沿岸国への事前通告またはその事前許可なしに自由に通過通航権(同条約第38条)を行使できる。したがって、イランがホルムズ海峡を封鎖することは、国連海洋法条約上あるいは慣習国際法上、全くの国際法違反と見なされる。
 次に軍事的側面に着目すると、まずイランの持つ、いわゆるA2ADAnti-Access and Area-Denial)能力が問題となる。ペルシャ湾におけるイラン軍およびイスラーム革命防衛隊(IRGC)と米軍との戦力差を考えると、イランは米軍との正面衝突を回避し、テロ、ゲリラ戦術を織り交ぜた非対称戦略で臨んでくるはずである。ホルムズ海峡封鎖に有効な手段は、やはり機雷敷設と小型の高速戦闘艇、あるいは最近能力を向上させている無人航空機によるゲリラ戦的な攻撃と、沿岸や島に配備されている短距離対艦巡航ミサイルによる海峡通過の妨害等であろう。現在では、イランは、ペルシャ湾とホルムズ海峡、オマーン湾までのごく限定された海域においてA2AD作戦を実行できる程度の十分な非対称戦力(潜水艦、小型高速戦闘艇、対艦ミサイル、無人航空機、そして機雷2000~3000個)を配備していると見られている。つまり、イランは、限定された期間内であれば、ホルムズ海峡を封鎖する能力を持っている。
 具体的にホルムズ海峡封鎖が想定される場合の機雷処理については、イランが1度に700個の機雷を敷設した場合では、掃海に要する期間は約40日となる。イランによるホルムズ海峡封鎖は、欧米諸国による対イラン軍事行動のレッドラインとしてすでに明示されている。201271日からEUはイラン産原油の全面輸入禁止措置を実施しているが、71日以降、イランはホルムズ海峡封鎖を実行していない。欧米諸国がホルムズ海峡封鎖を対イラン攻撃のレッドラインと明示している限り、今後もイランが敢えてホルムズ海峡を封鎖する冒険に出てくる可能性は低い。また海峡封鎖は、イラン自身の原油輸出も妨げることになる。

(2) ヒズボラ、ハマスの反撃はあるか

図:主要な主体間の位置関係(筆者作成)

                   (地域における核抑止体制の現状変更)                                              ・イラン








            ・サウジ
←(親イスラエル) 
   ・シリア
・アルカイダ
   ・ヒズボラ
       ・ロシア
       ・中国
        ・ハマス
・パキスタン
   
 核移転? 
        (親イラン)→




・トルコ

   ・EU(フランス、ドイツ)
 ・EU(イギリス)
・アメリカ

      ・イラク
  ・イスラエル  
                   (地域における核抑止体制の現状維持)

 ヒズボラとハマスの対イスラエル反撃の可否については、最近のヒズボラ、ハマスから、イスラエルに対するロケット弾攻撃と、その報復としてのイスラエル側の反撃の有り様の事例が参考資料となる。こうした事例に鑑みると、イスラエルがイランを攻撃したからと言って、自動的にヒズボラが反撃するとは考えにくい。特にヒズボラにとって重要なスポンサーであるシリアのアサド政権が、国内の内戦で手一杯でイスラエルとの戦争に踏み切る余裕のない時期に、ヒズボラがイスラエル軍の対シリア報復攻撃を招きかねないようなイスラエルへの挑戦を簡単に行うことは合理的でない。
 次に、ハマスの反撃については、20122月以後のハマスとイラン、シリア両国との関係悪化の問題と、同年11月に起きたガザ地区からイスラエルに対するロケット弾攻撃の再開、それに対するイスラエル空軍機によるガザ地区への報復空爆の問題とを、それぞれ独立に再検討する必要がある。20122月以降ハマスはイラン、シリアとの関係断絶に方針を転換し、親米スンニー派諸国との関係強化に軸足を移しつつある。それゆえ、イスラエルがイランの核施設を攻撃しても、ハマス軍事部門がイランの要請でイスラエルにロケット弾を発射することはないであろう。

問2.サウジアラビアは核武装しようとするか

 サウジアラビアとしては、イラン、イスラエル両国が核武装した後の状況においては、自国も核武装するのが合理的な選択である。三者間で交渉することなく、長期間、下記の利得行列で表現されたゲームを繰り返すものとする。本来ならば利得の割引率を考慮しなければならないはずであるが、ここでは単純に、ゲームを行うごとに毎回同じ利得を獲得できるものと考える。三者の過去の実績から、三者の長期戦略は、
イランは、「逆しっぺ返し」(reverse Tit-for-Tat)戦略をとるものとする。この戦略では、初回は裏切るが、2回目のゲーム以降、前回相手が協調していれば自分も協調し、相手が裏切っていれば自分も裏切る。
 イスラエルは、「トリガー」戦略をとるものとする。この戦略では、相手が裏切るまでは自分も協調し続けるが、相手が1度でも裏切ったら、永久懲罰として自分も裏切り続ける。
 サウジアラビアは、「しっぺ返し」(Tit-for-Tat)戦略をとるものとする。この戦略では、初回は協調し、2回目のゲーム以降、前回相手が協調していれば自分も協調し、相手が裏切っていれば自分も裏切る。

表A: 三者間繰り返しゲームの利得(筆者作成)
                    パターン反復1  パターン反復2  パターン反復3
                      ↑→→↓    ↑→→↓        ↑→→↓   ↑→

1回目
2回目
3回目
4回目
5回目
6回目
7回目
8回目
イランの戦略
D

C

C
C

D

D
D

D

C
C

D

D
D

D

C
C

D

D
D

D

C
C

D

D
イスラエルの戦略
サウジアラビアの戦略
イランの利得
4

2

-2
-3

-1

3
3

1

-3
-3

-1

3
3

1

-3
-3

-1

3
3

1

-3
4

2


 計-2
イスラエルの利得
サウジアラビアの利得

 このゲームを何度繰り返しても、偶数回と奇数回のセットで獲得利得が相殺されるパターンが反復される結果となる。もし奇数回でゲームを終了すれば、三者の獲得する利得は、初回のゲームで獲得可能な利得だけを反映するので、(イラン、イスラエル、サウジアラビア)で(4,2,-2)となる。これではサウジアラビアが著しく不利であるため、ゲーム自体が成立しない。もし、ゲームが偶数回で終了した場合には、三者の獲得利得は(イラン、イスラエル、サウジアラビア)で(4-3,2-1,-2+3)=(1,1,1)で均衡する。これが望ましい結果である。その場合は、ゲームはイランのC(核兵器の先制不使用宣言)、イスラエルのD(核兵器の保有宣言)、そして、サウジアラビアのD(核武装)の戦略が、それぞれ選択されて終了する。

問3.中東における核抑止体制は確立できるか

 表B:イラン、イスラエル、サウジアラビアの戦略と利得の一覧表(筆者作成) 注 C:協調D:裏切り

イラン
イスラエル
サウジアラビア
利得ベクトル
C 核兵器の先制不使用宣言

C 核兵器の先制不使用宣言

D 反シオニズム・地域覇権主義 
D 反シオニズム・地域覇権主義 
C: 核曖昧政策の継続 
D: 核兵器の保有宣言 
C: 核曖昧政策の継続 
D: 核兵器の保有宣言 
C: 非核武装の継続 
C: 非核武装の継続 
C: 非核武装の継続 
C: 非核武装の継続 
2,4,1

-1,3,0

4,2,-2

3,1,-3
C: 核兵器の先制不使用宣言

C: 核兵器の先制不使用宣言

D: 反シオニズム・地域覇権主義 
D: 反シオニズム・地域覇権主義 
C: 核曖昧政策の継続 
D: 核兵器の保有宣言 
C: 核曖昧政策の継続 
D: 核兵器の保有宣言 
D: 核武装

D: 核武装


D: 核武装

D: 核武装
-2,0,4

-3,-1,3

1,-2,2

0,-3,-1

表C: 三者間の戦略形ゲームの利得行列(筆者作成)

サウジアラビアの戦略オプション

C
D

イスラエルの戦略オプション
イスラエルの戦略オプション

C
D
C
D
イランの
戦略オプション
C
2,4,1
-1,3,0
-2,0,4
-3,-1,3
D
4,2,-2
3,1,-3
1,-2,2
0,-3,-1

三者の支配戦略が交わる点DCDの利得ベクトル(1,-2,2)が支配戦略均衡点となる。同時にDCDは、他のプレイヤーの戦略を所与とした場合に、どのプレイヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利得を得ることができない戦略の組み合わせであり、三者は戦略を変更する誘因を持たない。したがって、DCDはナッシュ均衡でもある。このゲームがただ1回限りで終了するならば、イランが核武装後に反シオニズム・地域覇権主義の姿勢を堅持する状況下で、「イスラエルは現行の核曖昧政策を続ける」、そして「サウジアラビアは核武装を目指す」、という命題が解となる。

問4.イスラエルは現行の核曖昧政策を続けるか

 道義的には、イスラエルの核に関する透明性を高め、国際的責任を負わせる点でイスラエルが曖昧政策を破棄することが望ましい。一方、イスラエルが曖昧政策を捨てて明示的な抑止戦略に移行するとしても、相手のイランやアラブ諸国の意図が必ずしも明確でない状況では、非対称で不均衡な核抑止体制しか構築できない可能性も大きい。そして、現状のイランの核計画は、イスラエルに対する抑止力ではなく、むしろ地域で覇権を獲得することを第一の目的としているように見える。イランの目的が地域覇権の獲得ならば、イランは核兵器による脅しを背景に、パレスチナとペルシャ湾岸の過激派組織を支援するかもしれない。核抑止戦略は、テロ組織による攻撃や通常戦を抑止する効果を持たないから、イスラエルは通常戦力の優位を確保し続けなければならない。その一方で、イランとの核戦争に発展しかねないような、通常戦力による広範囲の軍事行動を差し控えなければならない矛盾に陥ることになる。
また、イスラエルが自国の核戦力と戦略ドクトリンを明示することは、エジプト等周辺アラブ諸国を大いに刺激することは間違いない。イスラエルが核保有を公式に表明すれば、核不拡散条約(NPT)から脱退するとアラブ諸国は牽制している。こうした展開は、イスラエルにとって安全保障上のジレンマとなるから、明示的な抑止戦略に移行するより現行の曖昧政策を続ける方が、イスラエルにとってむしろ得策である。


問5.イラン、イスラエル、サウジアラビアの核軍備管理交渉は可能か

 この問題については、プレイヤー三者の最近の軍事費のデータを基に三人協力ゲームの特性関数形ゲームを定義して、そのプレイヤー間の提携の最大の不満を最小化するような利得の配分、すなわち仁(nucleolus)を解として求める。重要なことは、プレイヤー間でどのような提携が結ばれて、その結果獲得された利得をプレイヤー間でどのように配分すべきか、ということである。提携とは、協力関係を結んだプレイヤーの集合のことである。そして、各提携に対して、提携外のプレイヤーの行動に関わらず獲得可能な利得の総和の最大値を与える関数を、特性関数と呼ぶ。

(1) 三者の望ましい軍事費負担の解(仁の計算)

プレイヤーの集合N={イラン、イスラエル、サウジアラビア}である。以後、N={IR, IS, SA}と表す。

 表D. 各プレイヤーの軍事費およびその平均(2002-2011年)注 単位:億ドル(小数点以下四捨五入)

02
03
04
05
06
07
08
09
10
11

IR
65
80
98
121
135
110
74
n/a
n/a
n/a
平均 7年) 98
IS
160
160
153
147
157
152
146
147
142
152
平均(10年)152
SA
243
245
273
328
374
431
423
435
452
462
平均(10年)367
  出典:The SIPRI Military Expenditure Database, <http://milexdata.sipri.org/result.php4>.

 各プレイヤーの期間中の平均軍事費は、概算すると、IR98100IS=152150SA=367350で、平均して約600億ドルが、3者が毎年負担する軍事費の総和である。いま、計算を簡単にするために、各プレイヤーの平均軍事費をそれぞれ50で除すると、各プレイヤーのコスト負担はIRIS:SA=237の比となる。そこで、特性関数vIRISSA)=2+3+712とする。
            N=IR, IS, SA
            v(IRISSA)2+3+7=12
            v(IRIS)=3-2=1
            v(IRSA)7-2=5
            v(ISSA)7-3=4
            v(IR)=v(IS)=v(SA)=0
(※単独提携では利得を獲得できない。)

利得配分の集合A={利得ベクトルX=(Xir, Xis, Xsa)Xir+Xis+Xsa=12(全体合理性), Xir, Xis, Xsa0(個別合理性)}
 この条件の下で、イラン、イスラエル、サウジアラビアの三者は、どのように協力し、軍事費を分担すべきだろうか。いま、2つの配分について、それぞれ各提携の全員提携に対する不満を、大きいものから順に並べたベクトルを作って大きな成分から比較する。最初に異なる成分のより小さいベクトルの方が、より受容的である。そして、それ以上、より受容的な配分が存在しないような配分の全体を仁(nucleolus)と呼ぶ。したがって、仁は、最大の不満を最小にする、各プレイヤーにとって望ましい配分である。そこで、本章の事例における仁を求めると、X=(4, 3.5, 4.5)となる。計算の初めに50で除したので50倍すると、(200, 175, 225)がイラン、イスラエル、そしてサウジアラビア三者の、最大の不満を最小化する望ましい軍事費負担ということになる。

(2) 仁を達成するための三者の軍備管理交渉は成り立つか

 イラン、イスラエル、サウジアラビアの望ましい毎年の軍事費の配分額(仁)は、イランが約200億ドル、イスラエルが約175億ドル、そしてサウジアラビアが約225億ドルである。これは、イランは毎年の軍事費の支出を約2倍に増額し、イスラエルは約25億ドル、すなわち、毎年イスラエルがアメリカから受領している軍事援助総額に相当する額の軍事費を増額しなければならないことになる。その一方で、サウジアラビアは、年平均で約125億ドルもの軍事費削減を実現しなければならないことになる。仮にこれが望ましい金額だとしても、実際に三国の軍備管理または軍縮交渉では実現できないだろう。したがって、この問題についての解は、「三国の軍事費配分の大幅な見直しを伴う場合には、不可能である」。

問6.中東ペルシャ湾岸地域における核拡散が起きるか

これまでの考察を総括すると、以下の結論が得られるだろう。
  (1) 「イランの核武装化を止められるか」→「核武装化を止められない」
(2)  「ヒズボラ、ハマスの反撃はあるか」→ヒズボラ「反撃の可能性は否定できないが、自動的に行われることはなく、その時のシリア情勢等ヒズボラ周辺の情勢如何による」→ハマス「イランの要請に従って反撃が自動的に行われることはなく、ハマスの対イスラエル攻撃が再開されるかどうかは、ハマス独自の判断に基づいて行われる」
(3)  「イランはホルムズ海峡を封鎖するか」→「恐らくしない」
(4)  「イスラエルは現行の核曖昧政策を続けるか」→「イスラエルは現行の核曖昧政策を続ける」が、「サウジアラビアは核武装を目指す」
(5)  「イラン、イスラエル、サウジアラビアの核軍備管理交渉は可能か」
  →「三国の軍事費配分の大幅な見直しを伴う場合には、不可能である」

以上の結論から推論すれば、「地域に核拡散は起きるか」どうかについての解は、「地域に核拡散は起きる」であろう。その理由は、(1) イランの核武装化を止められず、(2) イスラエルが核の曖昧政策を続けるとともにサウジアラビアが核武装を目指す環境が醸成され、(3) イラン、イスラエル、サウジアラビアの核軍備管理交渉が必ずしも期待できない状況にあっては、サウジアラビアのみならず、エジプトやトルコも自国の核武装を恐らく検討すると思われるからである。
  このように、中東地域に核拡散が起きる最悪のシナリオが導かれると想定した場合、地域の安定を図るためには、イランの核武装化を国際社会が何としても阻止しなければならないだろう。