2015年4月21日火曜日

定年と世代の葛藤について

春は出入りの季節だ。私の勤務先でも、定年退職する先輩と入れ替わりに、数は少ないが新人が入ってくる。
 ここ数年に定年退職された先輩の多くは、1950年代前半生まれの、俗に言う「しらけ」世代「モラトリアム」世代に当たる人達だ。彼らはその前の第1次ベビーブーマー(団塊の世代)程の人口圧力も受けず、過当競争や暴力的な政治闘争を経験せずに成熟した。例外はあるが、社会適応力が比較的高く、大人しい世代である。
 彼らの直後に社会に参入した後輩が、「共通一次」「新人類」世代の我々である。我々「新人類」世代は社会制度に懐疑的で、他人の自我に介入することを避け、極めて個人主義的だ。高度経済成長を背景にクルマなどの物質的大量消費を享受できた。
 同時に、我々は団塊の世代が先鞭を付けてくれたポップ・カルチャーを大量に浴びて育ってきた。メンコやベーゴマ、ローラースケートで遊んだ経験もあれば、アニメやインベーダーゲーム、ロックやテクノポップを大量に消費し、日本社会の貧しさと豊かさ、集団から個への変化を鮮烈に経験したのが我々の世代である。それだけに、先輩や後輩の世代とのコミュニケーションが不得意な傾向も併せ持っている。
 団塊の世代を「熱気」と喩えれば、新人類は「醒め」、最近定年を迎えた先輩世代は「良識」といったところか。そういうわけで、団塊と新人類の強烈な個性に挟み撃ちされてきた諸先輩の皆様、大変お疲れ様でした。
我々「新人類」世代の大学生活を描いた漫画として、安童夕馬(樹林 伸)作『東京エイティーズ』を挙げておきたい。実はこの作者と私は、全く同時期に同じ大学で同じ学部に通っていたのである。サンプラザ中野くんも学籍だけ置いていた。
 そのためか、この漫画には自分的にお腹一杯になる位、80年代前半当時の我々世代の学生・社会人生活の雰囲気が描かれているわけです。今から思えば、馬鹿馬鹿しくなるほどバブリーだったと思う。


 世代間の葛藤で思い出したのが、昨年NHKBSの名作ドラマ枠で毎週連続放送された山田太一氏脚本の「男たちの旅路」シリーズである。
簡単に解説すれば、故鶴田浩二扮する特攻隊帰りのガードマン吉岡司令補が、水谷豊や桃井かおり扮するそれこそ「モラトリアム」世代の部下の若者達と交流しつつ、お互いの生き様をぶつけ合うというドラマ。
 大正生まれの吉岡さんはバリバリの戦中派で、ふわふわした若者が嫌いでしばしば説教する。その説教の内容が確固たる信念に裏打ちされた筋の通ったものなので、次第に部下の若者を感化し、最後は惚れさせてしまうという内容。社会から孤立しながらも陳腐にならない吉岡さんがカッコ良過ぎる。
 ちなみに桃井かおりさんの父親は軍事評論家の故桃井真氏で、女優をする娘さんを心情的に認めていなかった模様。桃井真さんは、聞くところによると非常に厳格で頑固な人だったらしい。戦時中は陸軍中野学校出の諜報部員だったから、桃井真さんと(私を含む)甘ちゃんの戦後派とでは、筋金の入り方が違うというわけだ。故桃井真さんの生き様も吉岡司令補を彷彿とさせるという結論でした。
 それにしても、同シリーズ中で根津甚八(スマッシュヒットを飛ばした歌手役)の歌う「墓場の島」は、その陰鬱さ加減が最高だった。この曲は、シリーズ中屈指の名作とされる「車輪の一歩」でもBGMに多用されていた。

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