2011年3月18日、シリア南西部の都市ダラアにおけるバッシャール・アサド政権に対する抗議デモから始まったシリア内戦は、2015年3月で満4年を経過した。シリア人権監視団によると、2011年3月以降シリア国内で死亡した人数は昨年12月までに20万2354人に上り、そのうち戦闘員を除いた市民の犠牲者は6万3074人であったとされる。また、国連人道問題調整事務所(UN
OCHA)の推計によると、この4年間の内戦を通じて発生したシリア国民の国内避難民は約650万人に達し、また、レバノン、トルコ、ヨルダン、イラク、エジプトを含む周辺諸国に流出した難民数も320万人に上っており、シリアの現状は正に21世紀最悪の人道的危機と言っても過言ではない。
シリア内戦の現状は、サイクス・ピコ協定以来中東に構築されてきた近代主権国家シリアの解体と分裂の4つのフェーズの中に位置付けることができる。すなわち、その第一は、2011年3月の内戦開始から同年8月のいわゆる「血のラマダーン」までの初期段階である。同時期は、「アラブの春」の影響を受けた民主化運動の段階であると言える。
第二は、2011年9月の自由シリア軍結成を契機として武装闘争が開始され、反体制派が首都ダマスカスと最大の都市アレッポの二大都市でアサド政権側に攻勢を仕掛け、2012年末まで続いた反体制派優勢の段階である。同時期にサラフィー・ジハード(イスラーム過激)主義者が流入したことによって「アラブの春」の影響を受けた初期の民主化革命運動が、イスラーム教のスンナ派と(アサド政権を支えるアラウィー派を含む)シーア派との宗派間抗争に置換され、反体制運動の主体が過激主義者に乗っ取られたのである。
第三は、2013年に内戦の国際化が顕著になった段階である。同年4月から米CIAによる反体制派に対する武器支援と訓練が開始され、前年12月に米国務省から外国テロ組織に指定されたヌスラ戦線(Jabhat
al-Nusra)に対してはカタールが支援しているとされた。アサド政権軍のクサイル奪還作戦(6月)では、レバノンのヒズブッラー戦闘員が参戦した。
また、政権側が3月のラッカ陥落を機に、シリア西部と地中海沿岸部の主要地域以外の実効支配を事実上放棄する戦略に変更したことによって、クルド人の民主統一党(Partiya Yekîtiya Demokrat、以下PYD)とISISが、それぞれシリア北部と東部に勢力を浸透させたことで国家解体の傾向が強まった。一方、シリア内戦において双方が化学兵器を使用した疑惑が春から取りざたされたが、8月21日のダマスカス近郊ゴータ地区でのサリン攻撃で1400人以上の民間人死者が出たことにより、アメリカの軍事介入とシリアの化学兵器処理が9月以降国際問題化したのもこの時期である。
第四は、2014年以降のISIS勢力拡大によるシリア国家分裂の段階である。2014年1月、反体制派武装勢力が連合してアレッポ、イドリブなどでISISとの戦闘を開始した。同時期ISISは、シーア派が主導するイラクのマーリキー政権に対する不満が強いイラク西部スンナ派部族地域であるアンバール県に侵攻し、ファルージャを掌握した。イラク第二の都市で北部の石油搬出拠点であるモースル占領後の6月29日、ISISはカリフ制イスラーム国家(Caliphate)の樹立を宣言し、最高指導者バグダーディー(Abu Bakr al-Baghdadi)がカリフに就任したと宣言した。ISISがシリア東部を根拠地としてイラクへ越境し、北部クルド自治区と南部シーア派地域に激しい攻勢をかけたことにより、アメリカ主導の有志連合空軍が8月8日からイラクで、9月23日からシリアでもISIS武装勢力に対する空爆作戦を開始した。また、政権側が3月のラッカ陥落を機に、シリア西部と地中海沿岸部の主要地域以外の実効支配を事実上放棄する戦略に変更したことによって、クルド人の民主統一党(Partiya Yekîtiya Demokrat、以下PYD)とISISが、それぞれシリア北部と東部に勢力を浸透させたことで国家解体の傾向が強まった。一方、シリア内戦において双方が化学兵器を使用した疑惑が春から取りざたされたが、8月21日のダマスカス近郊ゴータ地区でのサリン攻撃で1400人以上の民間人死者が出たことにより、アメリカの軍事介入とシリアの化学兵器処理が9月以降国際問題化したのもこの時期である。
その結果、ISISは9月16日から包囲攻撃を継続してきたシリア北部トルコとの国境線に近い交通の要衝コバニ(Kobane)から、2015年1月26日にPYD傘下のクルド人民兵組織人民防衛隊(The Popular Protection Units、以下YPG)とイラク・クルド自治区から応援に来たペシュメルガ(Peshmerga)によって駆逐された。このクルド人と有志連合軍の勝利の結果、シリアの現状は、アサド政権掌握地区(西部および沿岸部)、反体制穏健派の支配地区(大都市周辺部)、PYD支配地区(北部の西クルディスターン)、そしてISIS支配地区(北部から東部油田地帯、および、イラク国境地帯)の4つに事実上分割される分裂状態に至っている。また、英紙ガーディアンの記事によると、ISIS最高指導者のバグダーディーは3月18日にシリアとイラクの国境付近で有志連合軍に空爆され、重傷を負ったと報じられている。
ISISの実態は、元々イラクで活動していたアルカーイダの分派である「イラクのアルカーイダ」(AQI)と同じである。したがって、その思想的背景は、基本的にAQIのサラフィー・ジハード主義を踏襲している。サラフィー主義(Salafism)とは、すなわち、ムハンマド没後の初期イスラーム時代(サラフ)を理想としてその時代への回帰を求めるスンナ派の厳格主義的な政治思想であり、サウジアラビアのワッハーブ派の影響も受けて聖者崇拝やスーフィズム、そしてシーア派については異端として否定する。サラフィー主義が必ずしも暴力的とは言えないが、サラフィー主義のうち、アルカーイダやISISのように、シャリーア(イスラーム法)を施行するカリフ国家を復活させるための武力行使をジハードと位置付けて優先する、20世紀以降の過激思想をサラフィー・ジハード主義と呼ぶ。
しかし、ISISはアルカーイダから見ても、従来のサラフィー・ジハード主義の範疇に収まらない残虐性と狡猾さを合わせ持った手強い組織である。特に捕虜や服従しない住民に対する無差別的な暴力行為と、アルカーイダ最高指導者ザワーヒリーの裁定に対する不服従のため、2014年2月にISISはアルカーイダから絶縁を宣告されている。その一方で、ISISはアルカーイダのできなかったシリアとイラクにまたがる領域支配を達成して、欧米やアフリカ、東南アジアを含む多様な構成員のリクルート体制を構築しており、その兵力は一説では3万人を超えるとも言われている。ソーシャル・ネットワークを駆使した巧みな宣伝工作を用い、世界中にジハードを拡大することを訴えて人々の恐怖心を煽るとともに、世界中の現状に不満を抱く若者に理想の国家建設の幻想を植え付けることに成功しつつある。ISISは、この1年足らずの間に、ホームグロウン・テロリズムの脅威を世界中に拡散させたと言ってよいだろう。
シリアの平和を回復するためには、究極的にアサド政権を退陣させて、シリアに民主的で穏健な世俗政権を樹立することが必要である。そのためには、アサド政権の攻勢を封じ込める必要がある。軍事的には、シリア空軍の反体制派に対する空爆を阻止するために、有志連合が飛行禁止区域を設定することを検討すべき時期かもしれない。
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