『BP世界エネルギー統計2015』のデータによると、イランの原油生産量はEUとアメリカが対イラン独自制裁を強化した2012年8月以降大きく下落し、禁輸制裁強化前の2011年に日量約437万バレルであったものが、2014年には日量約361万バレルにまで落ち込んでいる[1]。
また、IEA(国際エネルギー機関)が2015年8月に発表したOPEC原油生産実績のデータでは、イランの原油生産能力は日量約360万バレルだが、6月と7月の生産量はいずれも日量280から290万バレル程度に留まっている[2]。すなわち、イランの余剰原油生産能力は、欧米による禁輸制裁発動以前と比較して、日量で70万から80万バレルはある。
イランの原油輸出量の落ち込みは生産量の落ち込みに比例していると考えられるから、その分欧米の制裁強化によってイランの外貨獲得源が縮小されたことになるだろう。これは、原油と天然ガスの輸出を主要な外貨獲得の手段としているイラン経済にとっては、大変大きな打撃となってきただろう。
事実、IMF(国際通貨基金)の統計によると、イランの実質GDP成長率は2011年のプラス3.75%から、2012年にマイナス6.61%、2013年にマイナス1.91%まで急激に落ち込んだのである[3]。また、イランの通貨リアルの対米ドル為替レートは2012年初頭から大暴落し[4]、国内物価は激しいインフレに見舞われて国民生活を圧迫したのである。
それにもかかわらず、イランは国際社会からの長期間の孤立に堪え、厳しい経済制裁措置に屈することは最後まで無かったと言えるだろう。イランがEU3+3とJCPOAを合意するに至った最大の理由は、アメリカの政権がイランを悪の枢軸の1つと位置付けて敵視したブッシュ大統領の共和党政権から、中東からの撤退を公約に掲げて当選したオバマ大統領の民主党政権に変わったことにあると考える。
いわばイスラーム体制変更の脅威がオバマ政権の誕生によって事実上薄れたという外部環境の変化こそが、イラン国内の権力者集団、特に最高指導者ハーメネイ師が保守穏健派のロウハニ大統領の政権を誕生させることを最終的に容認した主たる理由であったと思われる。
その意味において、イランに対する国連及び欧米の厳しい経済制裁がイランの妥協を引き出し、その結果としてJCPOAの合意を直接導いたと評価することは早計である。JCPOAは先に述べたとおり、確かにその合意が無かった場合よりは、イランの核武装のブレーク・アウト時間を延ばすことが可能であり、結果的に中東地域の安全保障環境を安定化させることに寄与するものと予想することが出来る。
しかしながら、イランが今後の履行プロセスで果たして裏切らないかどうかについては、今なお不明であることもまた事実である[5]。特に、国際社会からの孤立を一旦脱したシーア派大国であるイランが、ペルシャ湾岸地域における自国の影響力を拡張しようとする政策を続けた場合は、早晩スンナ派の盟主を自認するサウジアラビアの脅威認識を大いに刺激することは明らかである。
また、イランのパレスチナ問題やシリア内戦への関与が、従来のようにハマースやヒズブッラーといった反イスラエルを標榜するイスラーム武装集団を支援する形で継続された場合には、イスラエルの生存を直接脅かす脅威となりかねない恐れもある。
したがって、アメリカとしてはJCPOAと通じて長らく敵対関係を続けてきたイランとの関係を改善するのと同時に、域内の同盟国であるサウジアラビアとイスラエルに対する安全保障上のコミットメントを従来以上に強化していく必要があるだろう[6]。
イランとの関係を良い方向で再構築することは、2011年以来内戦の続くシリアでのアメリカの率いる有志連合による対イスラーム国軍事作戦の遂行を容易にすると同時に、イラン国内の市場としての魅力も大きいことは事実である。
しかしながら、同時にイランが地域覇権主義に向かうことを抑制し、JCPOAを誠実に履行させるとともに、サウジアラビアやイスラエルに対するコミットメントを強化することを通じてイランの勢力拡大を抑えることも、アメリカなど欧米諸国の今後の重大な責務となるであろう。
[1] BP Statistical Review of World Energy, June 2015, <http://www.bp.com/content/dam/bp/pdf/energy-economics/statistical-review-2015/bp-statistical-review-of-world-energy-2015-full-report.pdf>,
p. 8.
[2] IEA, Oil Market Report, August 2015, Table 3, <https://www.iea.org/media/omrreports/tables/2015-08-12.pdf>,
p. 6; 岩間剛一「制裁解除が近づくイランの石油・天然ガス開発の現状と今後の可能性」『中東協力センターニュース』2015年9月号、4頁。
[3] 同上、5頁。
[4] 「アングル:イラン通貨暴落が砕く「学びの夢」、祖国見限る学生も」『ロイター』2012年10月19日、<http://jp.reuters.com/article/2012/10/19/tk0532235-iran-students-idJPTYE89I02420121019?sp=true>、2015年11月6日アクセス。
[5] 戸﨑洋史「共同包括的行動計画(JCPOA)-「不完全な合意」に関する暫定的な分析と評価」、8頁。
[6] 同上、9頁、注38。