2015年11月6日金曜日

イランに対する制裁の効果と今後の課題

 『BP世界エネルギー統計2015』のデータによると、イランの原油生産量はEUとアメリカが対イラン独自制裁を強化した20128月以降大きく下落し、禁輸制裁強化前の2011年に日量約437万バレルであったものが、2014年には日量約361万バレルにまで落ち込んでいる[1]

 また、IEA(国際エネルギー機関)が20158月に発表したOPEC原油生産実績のデータでは、イランの原油生産能力は日量約360万バレルだが、6月と7月の生産量はいずれも日量280から290万バレル程度に留まっている[2]。すなわち、イランの余剰原油生産能力は、欧米による禁輸制裁発動以前と比較して、日量で70万から80万バレルはある。

 イランの原油輸出量の落ち込みは生産量の落ち込みに比例していると考えられるから、その分欧米の制裁強化によってイランの外貨獲得源が縮小されたことになるだろう。これは、原油と天然ガスの輸出を主要な外貨獲得の手段としているイラン経済にとっては、大変大きな打撃となってきただろう。

 事実、IMF(国際通貨基金)の統計によると、イランの実質GDP成長率は2011年のプラス3.75%から、2012年にマイナス6.61%、2013年にマイナス1.91%まで急激に落ち込んだのである[3]。また、イランの通貨リアルの対米ドル為替レートは2012年初頭から大暴落し[4]、国内物価は激しいインフレに見舞われて国民生活を圧迫したのである。

 それにもかかわらず、イランは国際社会からの長期間の孤立に堪え、厳しい経済制裁措置に屈することは最後まで無かったと言えるだろう。イランがEU3+3JCPOAを合意するに至った最大の理由は、アメリカの政権がイランを悪の枢軸の1つと位置付けて敵視したブッシュ大統領の共和党政権から、中東からの撤退を公約に掲げて当選したオバマ大統領の民主党政権に変わったことにあると考える。

 いわばイスラーム体制変更の脅威がオバマ政権の誕生によって事実上薄れたという外部環境の変化こそが、イラン国内の権力者集団、特に最高指導者ハーメネイ師が保守穏健派のロウハニ大統領の政権を誕生させることを最終的に容認した主たる理由であったと思われる。

 その意味において、イランに対する国連及び欧米の厳しい経済制裁がイランの妥協を引き出し、その結果としてJCPOAの合意を直接導いたと評価することは早計である。JCPOAは先に述べたとおり、確かにその合意が無かった場合よりは、イランの核武装のブレーク・アウト時間を延ばすことが可能であり、結果的に中東地域の安全保障環境を安定化させることに寄与するものと予想することが出来る。

 しかしながら、イランが今後の履行プロセスで果たして裏切らないかどうかについては、今なお不明であることもまた事実である[5]。特に、国際社会からの孤立を一旦脱したシーア派大国であるイランが、ペルシャ湾岸地域における自国の影響力を拡張しようとする政策を続けた場合は、早晩スンナ派の盟主を自認するサウジアラビアの脅威認識を大いに刺激することは明らかである。

 また、イランのパレスチナ問題やシリア内戦への関与が、従来のようにハマースやヒズブッラーといった反イスラエルを標榜するイスラーム武装集団を支援する形で継続された場合には、イスラエルの生存を直接脅かす脅威となりかねない恐れもある。

 したがって、アメリカとしてはJCPOAと通じて長らく敵対関係を続けてきたイランとの関係を改善するのと同時に、域内の同盟国であるサウジアラビアとイスラエルに対する安全保障上のコミットメントを従来以上に強化していく必要があるだろう[6]

 イランとの関係を良い方向で再構築することは、2011年以来内戦の続くシリアでのアメリカの率いる有志連合による対イスラーム国軍事作戦の遂行を容易にすると同時に、イラン国内の市場としての魅力も大きいことは事実である。

 しかしながら、同時にイランが地域覇権主義に向かうことを抑制し、JCPOAを誠実に履行させるとともに、サウジアラビアやイスラエルに対するコミットメントを強化することを通じてイランの勢力拡大を抑えることも、アメリカなど欧米諸国の今後の重大な責務となるであろう。


[2] IEA, Oil Market Report, August 2015, Table 3, <https://www.iea.org/media/omrreports/tables/2015-08-12.pdf>, p. 6; 岩間剛一「制裁解除が近づくイランの石油・天然ガス開発の現状と今後の可能性」『中東協力センターニュース』20159月号、4頁。
[3] 同上、5頁。
[4] 「アングル:イラン通貨暴落が砕く「学びの夢」、祖国見限る学生も」『ロイター』20121019日、<http://jp.reuters.com/article/2012/10/19/tk0532235-iran-students-idJPTYE89I02420121019?sp=true>2015116日アクセス。
[5] 戸﨑洋史「共同包括的行動計画(JCPOA)-「不完全な合意」に関する暫定的な分析と評価」、8頁。
[6] 同上、9頁、注38

イラン核問題最終合意「包括的共同行動計画」(JCPOA)のプロセスとその評価

 20138月、保守強硬派のアフマディネジャド前大統領に代わって国際社会との関係改善を目指す保守穏健派のハッサン・ロウハニ新イラン大統領が就任した。

 これを契機として、EU3+3とイランは核開発問題を最終的に解決するため、20131124日にスイスのジュネーブで「共同行動計画」(Joint Plan of Action)に暫定合意した。

 この暫定合意の結果、翌2014121日からイランは5%以上の濃度のウラン濃縮活動を停止し、その引き換えに国際社会による対イラン制裁措置が一部緩和されたのである[1]

 だが、最終合意文書(JCPOA)の草案を定めるための交渉は720日の期限までに双方の合意には至らず、同年1124日に交渉期限を2015630日まで再延長して「枠組み合意」を締結するとした共同声明が発表された。

 201542日、スイスのローザンヌで開催された外相級協議で、EU3+3とイランの双方がJCPOA「枠組み合意」に到達した[2]。その後最終合意に向けて細部を詰める作業が双方で継続され、期限を3回延長した連続交渉を経て、2015714日、20028月の問題発覚以来13年後にして歴史的なイランとのJCPOA最終合意が締結されたのである[3]

 JCPOAでイラン側が順守すべき事項は、以下の通りである。(1)ウラン濃縮については、使用する遠心分離機数を現状の約19千基からナタンツの第1世代1R-15060基のみに10年間制限する。その濃縮度は少なくとも15年間は3.67%を超えないようにし、その備蓄量は300kgに抑制する[4]。その結果、イランが核武装を目指したとしてもそのブレーク・アウト時間は現在の23か月から約1年に延長されると言われる[5]

 なお、IAEAによる対イラン査察の実施において課題であった核爆弾の起爆装置開発等の軍事的側面(PMD: Possible Military Dimensions[6])、具体的には首都テヘラン近郊にあるパルチン軍事施設に対する査察の実施については、JCPOAで明確に規定されていない問題がある。

 またイランの裏切りに対する懐疑論者の主張では、未申告施設へのIAEA立入りに関するイランとの主張の対立が合同委員会に諮られた場合に、結論が出されるまで最大24日間を要する規定についてイランの証拠隠滅を可能にすると言う批判もある[7]。なお、イランの核開発を自国に対する実存的脅威と位置付けるイスラエルのネタニヤフ首相は、JCPOAは歴史的合意などではなく歴史的過ちだと主張している[8]

 JCPOAを肯定的に見るか否定的に見るかの評価のポイントは、イランのブレーク・アウト時間が今後10年間は約1年に抑制されることでイランの核の脅威が削減出来るかどうかの点に係っている。JCPOA懐疑派は、中長期的に見てウラン濃縮活動制限期間が終了した後にはイランが自由に核開発を再開することが可能となるから、JCPOAは事実上イランを核敷居国(threshold states)として国際社会が公認したことに他ならないと批判する[9]

 だが、交渉問題の専門家であるロバート・ジャービスがJCPOAを肯定的に評価して指摘したように、仮にイランとの交渉が決裂してJCPOAが成立しなかった場合、イランが核兵器製造により近づいたことは明白であり、その場合効果が怪しいイスラエルの軍事攻撃を招いて地域情勢をより不安定化させた危険は、合意が無かった場合よりも遥かに大きかったことは間違いないだろう[10]

 2015720日、国連安保理は決議2231号(S/RES/2231)を全会一致で採択してJCPOAを承認した[11]。そして、合意承認から90日後の1018日に「採択日」を迎え、JCPOAは正式に発効した。

 今後のプロセスとしては、1215日に予定される「履行日」(Implementation Day)を期限としたIAEA事務局のPMD評価結果に関するIAEA理事会報告によってイランの合意履行が確認された後、2016年以降国連とEUの対イラン制裁措置が逐次解除されていくことが予想されている[12]。なお、アメリカは対イラン核関連制裁の適用を停止するに留まる。

 ただし、いかなる時点においてもイランが合意の履行を怠った場合で、35日以内に合同委員会他が問題を解決できなかった時には国連安保理に提起でき、安保理が30日以内に制裁停止の継続を決定しない場合には国連制裁が再適用されるという、スナップ・バック条項がJCPOAに規定されている[13]

 また、IAEAによる査察と透明性を確保するため、イランは「採択日」から8年以内の「移行日」(Transition Day)までに200312月に署名した包括的保障措置協定の追加議定書(Additional Protocol)の批准を目指し、それまでの期間は追加議定書を暫定適用することが約束された。そして、「採択日」から10年後の「安保理決議終了日」(UNSCR Termination Day)に、JCPOAを承認する安保理決議が終了することになっている[14]


[2] 戸﨑洋史「イラン核問題「共同包括的行動計画」枠組みの合意」『軍縮・不拡散問題コメンタリー』日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター、201546日、<http://www.cpdnp.jp/pdf/disarmament/2015%2004JCPOACPDNP.pdf>.
[4] Ibid.
[5] 立山良司「イラン核合意と中東の地域秩序-合意の意味と地域パワーバランスへのインパクト-」CISTEC JournalNo. 15920159月)、99頁。
[6] GOV/2011/65, 8 November 2011, <https://www.iaea.org/sites/default/files/gov2011-65.pdf>, Annex, pp. 1-12.
[7] 立山「イラン核合意と中東の地域秩序」、100頁。
[8] Isabel Kershner, “Iran Deal Denounced by Netanyahu as ‘Historic Mistake’,” The New York Times, July 14, 2015, <http://www.nytimes.com/2015/07/15/world/middleeast/iran-nuclear-deal-israel.html?_r=0>, accessed on November 6, 2015.
[9] 立山「イラン核合意と中東の地域秩序」、100頁。
[10] Robert Jervice, “Turn Down for What?” Foreign Affairs, July 15, 2015; 邦訳「イランとの核合意をどう評価するか-合意を拒絶する理由はなかった」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』20159月号、72-75頁。
[11] S/RES/2231 (2015), 20 July 2015, <http://www.un.org/en/sc/inc/pages/pdf/pow/RES2231E.pdf>.  
[12] 戸﨑洋史「共同包括的行動計画(JCPOA)-「不完全な合意」に関する暫定的な分析と評価」『軍縮・不拡散問題コメンタリー』日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター、201583日、<http://www.cpdnp.jp/pdf/disarmament/2015%2007JCPOACPDNP.pdf>2頁。
[13] 同上、2頁。
[14] 同上、2頁。