2015年7月2日木曜日

ギリシャのチプラス政権とユーロ・グループのチキンゲームは、ECBのコミットメントでギリシャの敗北をもたらす。

 ギリシャの急進左派連合(SYRIZA)のアレクシス・チプラス首相は、6月30日、IMFに対する16億ユーロの返済を延滞した。事実上、ギリシャは債務不履行(デフォルト)状態となったのである。

 これを受けたEUは同日、ギリシャに対する金融支援を打ち切ることを決定した。その結果、ギリシャは、欧州中央銀行(ECB)がギリシャ中央銀行を通じて実施している緊急流動性支援(ELA)を追加的に受けることが出来なくなり、ギリシャの銀行システムは深刻な資金繰り困難に陥りつつある。

 ギリシャの銀行システムは預金者の引き出し集中で破綻しかねないため、チプラス政権は6月29日から預金の引き出しを制限する資本規制などを導入し、銀行を休業させた。

また、チプラス首相は7月5日に国民投票を行って、EU側が突き付けた財政緊縮案に対する賛否を問うとしている。その投票では、国民に反対票を投じるよう、首相自らが訴えかけている。

 これはギリシャ国民の緊縮案反対多数の実績を後ろ盾として、EU側に緊縮を緩和する譲歩を求めようという、チプラス首相の一種の瀬戸際外交と言えるだろう。まさに現在の状況は、ギリシャのデフォルトによる借金踏み倒しとEU側の金融支援停止措置を巡って、双方共どちらが先に相手に折れるか、チキン(弱虫)ゲームを展開しているわけである。

 だがこのゲームの先にあるのは、ギリシャのデフォルトとユーロ圏離脱、そしてギリシャの市中銀行が破綻することによる国内経済の大混乱への転落であろう。なぜなら、ECB等の資金援助が無くなれば、ギリシャはどのみち深刻な流動性危機に陥るからだ。

 ユーロを離脱して損をするのは、恐らくギリシャの方だろう。EU側ではギリシャのユーロ圏脱退(Grexit)は既に織り込み済みであり、財務状況から見ても受けるダメージをコントロールすることは可能であろう。そのため、他の債務国に誤ったメッセージを与えないためにも、ギリシャに対して決して甘い対応を採らないと筆者は考える。

 もしギリシャが本当にユーロ圏を脱退したら、自国通貨ドラクマが復活するかもしれない。ギリシャの通貨主権は回復するわけだが、ドラクマは対ユーロでとんでもない価値の下落を引き起こして、ギリシャ国内に激しいインフレを引き起こすだろう。物資の輸入も恐らく困難になって、国内経済は混乱を来すはずだ。ギリシャの主要産業の1つである観光業だけはドラクマ安の観光客増加で潤うかもしれないが、その効果は未知数と言えるだろう。

 そもそもチキンゲームは、囚人のジレンマゲームの利得構造における両プレイヤーの「非協力・非協力」の行動の組の損失を、双方共に耐えがたいレベルにまで増大させた利得構造を持っている。そのため、プレイヤー双方は共に協力しないという最悪の結果を避けたいという点で利害が一致しているが、どちらが協力するかについては利害が不一致である。

チキンゲームでは、プレイヤーA・プレイヤーB間において「非協力・協力」の行動の組と、「協力・非協力」の行動の組で対称的に利得(あるいは損失)が配分されるため、そのいずれもナッシュ均衡となる。それゆえ、どちらが譲歩するかについて、当事者双方の利害が鋭く対立する。

 そうした利害の対立を解決するためには、一方が先に譲歩しないことを相手に宣言し、将来そうした行動を確実に実行するという意思を事前に表明すること(コミットメント)が戦略的に重要となる。なぜなら、相手に先に非協力の立場をコミットメントされてしまったもう1人のプレイヤーは、もはや自分が協力(譲歩)することが最適行動となるからである。したがって、コミットメントは先手を取ったプレイヤーの利得を増加させる。

 これをギリシャとEUの立場に置き換えると、先に金融支援の継続を打ち切ることを宣言したEU側の先手勝ちということになる。それどころか、双方の力関係にはそもそも大きな隔たりが有るわけだから、ギリシャがEU側と対等なチキンゲームを戦うことは初めから無理だったと言えるだろう。

 筆者の分析では、チプラス首相がどうあがいても、このゲームでのチキン(弱虫)はギリシャ側が引き受けるしかないと思われる。

2015年6月30日火曜日

イラン核協議の本質は透明性と制裁解除の交換取引、妥結のポイントはイランが参照点を現状に持って来られるかどうかに係る。

 P5+1とイランの核問題に関する最終合意を巡る外相級協議は、ウィーンで630日の交渉期限を迎えて大詰めの段階に至っている。現在、7月7日迄の数日間、交渉期限を延長することが模索されているようだ。

 交渉では今年4月に合意された枠組み合意をさらに押し進め、イランが原爆1個分の濃縮ウラン製造にかかる期間(ブレークアウト・タイム)を少なくとも1年に延長することをより確実にするために、P5+1はイランに濃縮ウランの備蓄量や遠心分離機数を削減させるだけでなく、さらなる透明性の向上を求めている。

 そこで、P5+1はイランに対して、かつて高性能爆薬による核爆弾の起爆装置開発実験を行った疑惑のある首都テヘラン近郊に所在するパルチン軍事施設への査察の立ち入りを要求している。これに対してハーメネイ最高指導者らイラン側は、国家主権に直結する軍事施設への立ち入りについては頑なに拒否する姿勢を崩していない。

 イランの核開発プラグラムの透明性向上の代償にP5+1が与えようとしているのは、イランの履行状況を勘案して実施される予定の経済制裁の段階的な解除である。だが、この提案に対してもイランは、最終合意内容の実行初日に全制裁措置の即時解除を要求している。

 こうしたイランの強硬姿勢は、筆者が以前に投稿したプロスペクト理論の視点によると、イランが制裁以前の状態を参照点(reference point)に置いて交渉に臨んでいると見ることが可能だろう。つまり、イランの考える現状は、制裁以前の状態から見れば損失の領域に位置しており、したがって現在のイラン側は、リスクを恐れない危険な状態にあるということになる。

 イランにとって交渉でのP5+1の要求は、自分の過去の行動を解消し、現在の行動を中止すること、すなわち損失の受入れを強制されていることに他ならない。だが、イランが制裁以前の状態を参照点に置くことは、損切りのタイミングを逸して勝てる見込みの少ないギャンブルに次々に打って出るハイリスクな状態を逆に招きかねないと筆者には思われる。

 イランは、参照点を制裁下の現状において交渉するのが適切であろう。プロスペクト理論による分析からは、イランが参照点を制裁下の現状に適切に移動させることができれば、イランは損切りに成功して、これ以上の制裁継続による損失を逃れることが可能になる。

 だが、そのためには交渉に当たるロウハニ大統領とザリーフ外相が、妥協を拒むハーメネイ師や議会の強硬派と国民に対して、P5+1からどれだけの譲歩を引き出したか納得のいくように説得しなければならない。これがイランの交渉当事者にとっては、極めて困難な課題となるであろう。

2015年6月29日月曜日

オワハラ問題とホワイトカラーの労働生産性の低さとの関係に関する考察

 昨今の売り手市場の大学生の就活において、一部の企業が「就職活動を終われば内定を出す」と学生に誓約書を書かせ、事後の就職活動を阻止して半ば強制的に自社に拘束するような言動をしていることを、「オワハラ」と称するそうだ。

 筆者の就職活動は1985年のバブル期以前であったが、当時から企業による就職内定者の拘束はあった。人事担当者としては、採用予定人数を確保しなければ仕事にならないのだから、売り手市場においては容易に採用内定者に対する拘束が起こり得るだろう。

 筆者の分析では、経団連加盟の大企業が今年度大学新4年生に対する採用試験と面接の開始時期を8月以降に繰り下げるルールを導入しても、恐らく秋口までには内定者をほぼ確保できるだろう。そういう大企業に学生の多くを送り出す一部のエリート大学にとっても、新ルールの影響は昨年までの状況とほとんど変わりなく、就活長期化に伴う学生の学業に及ぼす悪影響も少ないと思われる。

 問題なのは、大企業の採用活動終了後からしか自社の採用活動を行うことができない中小企業と、そうした企業に学生の大部分が就職する一般大学であろう。中小企業にとっては、採用活動スケジュールを遅らせる大企業の新ルールに自社は拘束されないにしても学生の卒業前までに内定者を十分確保できるかどうか見通しが立てにくいし、一般大学としては4年生の就活長期化に伴って学業はそれだけ疎かになり、大問題となりかねない。

 筆者の大胆な意見では、大卒一括採用中心の日本企業の雇用慣行を変えなければ、企業の採用活動時期をどう弄ってもこの「オワハラ」問題の本質的解決には結びつかないと思う。「オワハラ」を無くすには、内定者の4月一斉入社を止めて、ドイツのように大学卒業後に就職するシステムに変えてしまえば、学生も大学の学業に専念できるし、企業もモチベーションの低い学生をエントリーシートと面接で非効率的に選抜するリスクを避けることができるだろう。

 筆者が思うに、日本の主として大企業が大卒一括採用に未だ拘るのは、終身雇用制度と年功序列による正社員の長期雇用を前提として即戦力よりも学生の潜在的能力を重視しているためであり、同期社員の一括入社後行われる研修とOJT、そして人事考課に基づく配置転換によって、長期的に社員の職務遂行能力を高める余裕があったからである。

 しかし、最近の大企業では、従来の職能給に職位給をプラスした年功型賃金体系を廃止し、レート範囲を定めた職務価値給に役割・成果給を加味した役割給に制度移行しつつあると思われる。いずれは、欧米同様の範囲レート型職務給がホワイトカラーの多くに適用される時代に移行していくのではないだろうか。

 仮に、ホワイトカラーの賃金体系が過渡期の役割給を経て段階的に職務給に移行していくという筆者の見立てが正しければ、職務能力の無い大卒一括採用制度は、企業の合理的な採用活動では無くなるだろう。ドイツのように、大学卒業後に求職者が高めた即戦力としてのジョブ遂行能力によって通年採用する方が、企業にとって合理的な採用活動となる時代が来るかもしれない。

 そういう時代には、企業が内定者を拘束するための「オワハラ」などというものは、概念自体が存在しなくなるだろう。

 ただし、ドイツのように大学卒業後高めたジョブ遂行能力だけが就職するための拠り所になった場合には、求職者には卒業後の実務経験を積むことが必須条件となる。例えば、大学卒業後に海外に留学したり、専門学校に通ったり、半年から1年くらいの長期の企業インターンシップに高い倍率を潜り抜けて採用されることが必要となるだろう。

 確かに15から24歳までの若年労働者層の完全失業率は、2011年時点でアメリカは17.3%、イギリスが20.0%、フランスが22.1%と軒並み高いのに対して、日本のそれは8.0%と非常に低い。これはもしかすると、日本企業の大卒一括採用制度による若年層に対する安定的な雇用維持の結果であるかも知れない。ちなみにドイツは、8.5%であった。

 だが、日本企業ではホワイトカラーの労働生産性が極めて低い問題がある。2013年のOECD調査では日本の1時間当たり労働生産性は加盟34か国中20位、また、1人当たりの労働生産性も主要先進7か国中20年連続で最下位であった。

 つまり、日本のホワイトカラーは、労働に対する強いモチベーションに欠けているわけだ。筆者が思うに、その原因は恐らく、職務が曖昧でキャリア形成が必ずしもできないままに人事異動であちこちに配転される日本企業の強固な雇用慣行があるため、自分の仕事に十分な誇りを持てず、労働意欲が湧かないということに主たる原因があるのだろう。

 こうした人事制度と雇用環境が改善されないまま、賃金体系だけが根拠不明な成果給にされたのでは日本企業のホワイトカラーとしては堪ったものではないだろう。まず、ホワイトカラーのモチベーションを高め、労働生産性を向上させることが日本企業にとっては喫緊の課題であろう。

 そうしたホワイトカラー予備軍を大卒一括採用で大量に入社させる、金太郎飴のような日本企業の採用活動を見直せば、内定者を拘束するために「オワハラ」など違法行為ギリギリの活動をする必要も無くなるのではないだろうか。