2016年4月28日木曜日

舛添都知事の都市外交と海外出張豪遊問題に関する感想

 先の投稿で、筆者は舛添都知事の公用車利用による別荘送迎問題について感想を述べたが、今度は少し前に問題視された、舛添さんの都市外交と海外出張豪遊問題についての感想を述べてみたい。

 実は筆者の様な研究職公務員もかなりの頻度で海外出張を経験してきたが、その場合には必ず現地での訪問者のアポ取りを数か月(少なくとも3か月、多くは6か月くらい)前から実施しておく必要がある。筆者のような研究者の場合、海外研究機関や研究者とのネットワークがあるから、電子メールで直接先方とコンタクトを取って比較的容易に訪問調整をすることが出来る。

 したがって、現地日本国大使館に対して接遇支援を依頼することなど、ほとんどない。そういう意味では、研究職の公務出張は割と気楽にできるのだが、それでも調整には3か月くらいの時間は必要である。公務出張では通常の赤い個人パスポートではなく、公用パスポートを事務方が外務省に申請してそれを出張時に携帯する必要があるのだが、その発行手続きの関係からも数か月の時間が必要なのである。

 舛添さんの公務出張の場合、その頻度を年間4回、つまり3か月に1回程度を考えると、知事を補佐する担当部局である都の政務企画局の職員はほとんど年がら年中、都知事の外国訪問先との調整に追われている実態があるのかもしれない。そして、彼らの場合、我々研究者とは違って電子メールで簡単に訪問調整できるわけでは決してないだろう。

 おそらく、現地日本国大使館の接遇支援を都から依頼する場合が多いのではないか。その点を考えると、豪遊問題の本質が見えてくるように筆者には思えるのである。なぜなら、現地大使館としては国の外交を担当する立場にあるわけでもない都知事の接遇を、全力かつ本気で支援するとは到底思えないからだ。

 実は筆者も、10年以上前に、外交官パスポートを貰ってある外国の日本国大使館に勤務した経験がある。その場合、当然のことながら地方自治体の首長御一行が来訪することなどほとんどなく、彼らのために接遇支援をした経験も全く記憶にない。

 つまり、いくら舛添都知事本人が都市外交を提唱して自分は英語やフランス語が得意だと力説しても、地方自治体の首長に多忙な時間を割いて面会してくれるような暇な要人は滅多にいないのが実態であろう。そんな無駄な仕事のために現地の日本国大使館が全力投球するはずもないし、相手側の政府要人のアポを抑えることも現実には難しいと思う。

 したがって、都知事の訪問調整そのものの大部分は、外交経験不足の政務企画局が押し付けられているのが実態ではないかと思う。その結果、現状の3か月サイクルでは相手国訪問先のアポはなかなか取れないし、日程をタイトに詰め込むことも本来出来ないから、無駄な空港貴賓室を借り受けての舛添知事の待ち時間の暇つぶしや、あまり意味のないスウィートルームでの記者会見などを頻繁に出張日程に入れざるを得ないのではないか。

つまり、舛添さんが提唱している地方自治体首長の都市外交など、外国現地の訪問先にとっては、多忙な時間を割いてまで優先する程の重要性を最初から伴っていないのだろう。結局、都知事が出来る都市外交とは、植樹やシンクタンクでの講演、現地での記者会見、そしてパレードへの参加など、ほとんど儀礼的な内容の日程しか組み込むことは出来ないのが実態なのではないだろうか。

 筆者の様な一般公務員でも、欧米に公務出張する場合には、旅費規定上はビジネスクラスを利用することが出来ると聞いたことがある。しかし、我が国の財政上の経費削減の観点から、一般公務員の公務出張は原則的に通常料金のエコノミークラス利用であるし、大臣を含む特別職の場合でも公務出張である以上ビジネス位の利用までである。安倍総理大臣など政府要人が、政府専用機を外国出張に使うことが出来ること位が公務出張における例外ではないか。

 それを舛添都知事がファーストクラスを恒常的に利用しているというのでは、都の旅費規定上の問題は仮に無いとしても、自ら慎んでビジネスクラスの利用に格下げすべきであろう。また、記者会見に用いること位しかない現地一流ホテルのスウィートルーム利用については、都条例の宿泊費限度額約4万円の規定を5倍程度超過しているのだから、今後は直ちに中止すべきだろう。

そもそも、都の人事委員会では、都民の批判を浴びて自分達の責任問題になりかねないような、都条例で規定された都知事の宿泊費限度額オーバーの承認など、端からしているわけはないと筆者は考える。実態としては、多分、政務企画局が起案した予算執行計画案の書類に関して、言い訳程度に都の人事委員会に諮っているという程度の簡単な手続きしか踏んでいない可能性が高いと思う。

 筆者の外国出張の経験では、現地訪問先で相手側との実質的な意見交換をする日程をタイトに組み込んでいないような、曖昧な事前調整しかできない程度の公務出張は、ほとんど税金の無駄遣いである。政策効果は、ほとんど期待できないといっても過言ではない。

 舛添都知事の都市外交に関する公務出張については、現在の報道から筆者が感じるところでは、その費用対効果のバランスが大きく崩れているような、政策効果の乏しいものであるという残念な感想を抱かざるを得ないのである。

舛添都知事の公用車による別荘送迎問題に関する感想

 今週発売の『週刊文春』は、舛添要一都知事が2015年内にほぼ毎週末に計48回、自身が経営する舛添政治経済研究所が神奈川県の温泉地湯河原に所有する別荘に公用車を使って出向いていたことを批判するスクープ記事を掲載した。今日はこの問題について、筆者の感想を述べてみたい。

 まず、公用車を自宅との送迎に専属で利用できる立場にあるのは、各省庁で言えばいわゆる「政務三役」(大臣、副大臣及び大臣政務官)等の特別職に当たる幹部公務員だけである。都知事は当然特別職だが、今回の問題発覚で筆者がまず気になった点は、舛添知事が世田谷区にあるご自宅に立ち寄った後、改めて湯河原の別荘に向かうことが多かったと指摘されている点がある。

 なぜなら、公用車の使用に当たっては、舛添さんが釈明したように、出発地あるいは到着地のいずれかで実際に公務を行っていれば、規則上の問題は生じないからである。したがって、都庁で金曜日に公務を行った後に舛添さんが別荘に直接向かったのであれば、原則として問題にならないはずである。この点については、いずれの報道でも問題視していないようである。

 だが、筆者が疑問に感じたのは、知事がいったん自宅に立ち寄ってから改めて湯河原に向かうことが多かったといった点である。なぜなら、常識的に考えて自宅まで公用車が送った以上、そこから都庁に自動車を返す必要があるはずだからである。舛添氏が自宅からさらに別荘まで送らせたということになると、知事の自宅を新たな出発地と見なせばそこで公務を実施するはずはないから、到着地である別荘を公務地であると、どうしても強弁せざるを得ないことになるだろう。

 実際、今日の定例記者会見における舛添都知事の釈明では、別荘で静養していることを事実上認めたようだが、同時に公用車は「動く知事室」であると述べ、また、別荘に資料を持ち込んで公務をしていると昨日述べている。これは、彼がいったん自宅を経由していることが多かった事情から、到着地の温泉別荘で公務をしているとどうしても説明せざるを得ない事情が絡んでいると筆者は見ている。

 次に筆者が問題だと感じたのは、毎週末の頻度で隣県である神奈川県最南西部にある湯河原の別荘まで、金曜日午後2時半ころに都庁を出発していた点である。筆者の見るところ、都の最高責任者である都知事が金曜の真昼間から執務室にいないという事では、恐らく重要書類の決裁がかなり滞ってしまうのではないかと考える。

 都知事の決裁業務がどの程度のものなのか即断できないが、役所という所は、どこでも決裁権者の承認のハンコが貰えなければ業務を遂行することが一切出来ないものである。しかも、筆者の経験上からも、金曜午後は土日の休日を挟んで2日の間が空くことから、割と決済を週内に貰ってしまおうとして公務繁忙なことが多く、その時に肝心要の決裁権者が不在では、結局翌週初めに都知事が登庁してくるまで、あるいは非常に重要かもしれない仕事を開始できないことになってしまう不利益がある。

 今回の舛添都知事の金曜午後早くからの湯河原行きが、都庁職員内部からの『文春』に対するリークによるものであるらしいことから考えても、都庁職員内で金曜午後に知事の決裁が取れず、仕事が停滞して憤慨している人が少なからず存在していることをうかがわせるのである。

 また、昨日来の報道でよく耳にするのが、危機管理上の問題である。確かに都知事が毎週金土日の3日間都内に不在であって、自動車で到着するまで渋滞が無くとも約2時間はかかる湯河原に居るというのでは、いざ災害やテロが東京で起きた時に対応が著しく困難になってしまうだろう。筆者も本来神奈川県人で、湯河原温泉には時々自家用車で行くことがあるが、はっきり言うと小田原までは都内から比較的スムーズに行けるが、そこから先の真鶴と湯河原の間は海岸線に山が迫っていて道路がほぼ一車線しかなく、ゴールデンウィークなどには軽くその間を走行するのに1時間くらいかかってしまうほど渋滞する。

 この点、舛添都知事は都内の奥多摩から都庁に戻るより湯河原から戻る方が早いと言い訳していたが、筆者の実体験では全くそんなことは無い。渋滞に引っかかれば、下手をすると湯河原から都内に戻るまで、4時間くらいかかってしまうことも決して珍しいことではないだろう。

 ともかく、都知事の職にある以上、24時間都内に在住していることが公的責務であると舛添氏は認識を改めるべきだろう。もし、東京で熊本や大分が現在見舞われているような震度の直下型地震が土日曜日に起きた場合を考えると、舛添氏がいかに問題は無いと強弁しようとも、彼がスムーズに都内に帰還できる確率は非常に少なくなる。

3人の副知事がたとえどんな完璧な体制下にあって輪番で不在の知事を補佐しているとは言っても、災害やテロが現実に勃発した際の混乱した状況下に自治体最高責任者の知事が不在ということでは、都が迅速かつ一元的な対応を講じることはほとんど不可能となってしまいかねない。もしそうなれば、舛添さんの政治生命は即座に失われてしまうことにもなりかねない。舛添都知事ご本人は、そういったリスクを真剣に考えたことがあるのだろうか。

 これは、知事の別荘との送迎に係る公用車利用を、タクシーでの往復運賃に換算して約400万円に上る血税の無駄遣いであるといった観点からの批判よりも、はるかに重大な問題であると筆者には思われてならないのである。

2016年4月26日火曜日

国家公務員フレックスタイム制導入に関する感想

 男女共同参画社会とワークライフバランス(仕事と家庭生活の調和)の実現を促進する目的で、安倍政権が人事院に対して検討を要請(平成261017日「国家公務員の女性活躍とワークライフバランス推進のための取組指針」)していた事務職を含む一般職国家公務員全員を対象とした所謂フレックスタイム制の本年度からの導入が、国家公務員勤務時間法が改正されることによって実現した。民間、特に中小企業での導入がなかなか進んでいない同制度について、まず国家公務員から率先垂範することが、今回の法改正の背後に意図されているのだろう。

 だが、厳密に言うと、一般職国家公務員には労働基準法が適用されていないため、同法上規定されている労使協定によるフレックスタイム制ではない。あくまでも制度の適用を希望する公務員自身が申告した場合で、かつ、公務の運営に支障が無い範囲内において、始業および終業時刻について当該申告を考慮したうえで使用者側(官庁)の判断で勤務時間を「割り振る」制度であるに過ぎない。

 そうであるとは言いながら、筆者は同制度の導入に賛成である。それは、安倍政権の意図するようなワークライフバランスの推進に必要な労働時間の短縮に直結するからではない。筆者が肯定的に評価しているのは、勤務時間を個々の裁量で変更することにより、通勤ラッシュアワーに巻き込まれることに伴う疲労の蓄積と痴漢冤罪のリスクを軽減することが可能となる点についてである。

 実際問題として、筆者の様な研究職国家公務員には、すでにフレックスタイム制が導入されていた。だが、現実問題として同じ職場に勤務している事務方が従来型の勤務体系に置かれていた関係上、周囲の視線を気にして、これまでは一部の研究職員しか同制度を活用し切れていなかったのである。しかしながら、今回ほぼ全ての職員が制度適用対象となった以上、筆者も大手を振って制度の適用を申告できることになる。

 特に体質的に夜型である筆者のような人間にとっては、昨年78月に安倍政権が提唱して全省庁に原則適用された事実上の12時間早出勤務サマータイム制度「ゆう活」が苦痛でしかなかったこと、また「ゆう活」しても残業は一向に減らなかった現実を踏まえて考えれば、遅出勤務が出来るフレックスタイム制の方が遥かに健康的なのである。

 ところが、この筆者の個人的には好ましい制度についても賛否両論が対立している。特に国公労連が、鋭く制度の導入に反対していた。その見解の主だった内容は、つまり、フレックスタイム制は業務量の調整や労働時間管理が徹底されない限り、却って長時間・過密労働に繋がり、政府や制度を構築した人事院が提唱しているような「ワークライフバランスの充実による職員の意欲や士気の向上」や「効率的な時間配分による超過勤務時間の縮減」などは絵に描いた餅に過ぎず、到底実現することはできないという点にあるようだ。

 また、主として出先機関での窓口業務を想定しているのだろうが、フレックスタイム制の導入によって職場が混乱し、国民に対するサービス低下につながりかねないという、真っ当な反論も出されている様である。

 筆者が思うに、国家公務員の大多数を占めている出先機関の職員にとっては、そう易々と研究職のようにフレックスタイムを申告することは出来ないだろう。特に古いタイプの課長がいるような職場で、もしも若手がそんな「暴挙」に出たならば、たちまち村八分状態に陥ってしまうかもしれない。

それが、専門的で個々の裁量権が相当程度認められた研究職を除いた、一般的な事務方公務員村の恐らく偽らざる現実であろう。個人のワークライフバランスよりチームワークの和を決して乱さないことが、今も変わらぬ事務方の掟なのではないかと思われる。

国公労連の反論では、フレックスタイム制が導入されれば、勤務時間管理に膨大な労力が必要となり、現行の体制では複雑な労働時間管理が困難であるため、職員の健康管理がかえって蝕まれるという「こじつけ的」な議論も提示されている。これは多分、上司が部下の労働時間を個別に管理するのが「かったるい」というのが、裏に潜んだ彼らの本音なのだろう。

なぜなら労働基準法上の本来的意味でのフレックスタイム制では、1日単位や1週間単位で残業計算をする必要が全く無く、4週間の合計労働時間からその期間における所定労働時間、つまり、国家公務員の場合で言うと1週当たり38時間45分×4155時間を引き算するだけで、きわめて簡単に計算できてしまうというメリットがあるからである。

つまり、本当に面倒くさいのは、上司あるいは勤務時間管理者が職員の申告した勤務時間を考慮しつつ、エクセルシートに時間を「割り振る」作業なのである。これは本当に目がチカチカして、職員全員から申告されようものなら担当者は堪ったものではないと言えるだろう。

 そこで、以下ではもう少し冷静になって、フレックスタイム制のメリットとデメリットについて考察してみたいと思う。

 まず、これは時差出勤の場合も同様であるが、フレックスタイム制導入による仕事上のメリットとして、先に述べたとおり、何と言っても通勤時の疲労と痴漢冤罪リスクの軽減に大いに資することが挙げられるだろう。

 職員個人としては、さらに遅出の場合には朝の余裕ができること、通勤ラッシュ時の不快感が減ること、あるいは通勤時間が短縮できる場合も考えられることがある。理論的には、フレックスタイム制で勤務時間に関する個人の裁量権の範囲が広がることによって、ワークライフバランスは向上し得るはずだろう。

 一方、フレックスタイム制のデメリットとして、次のような業務上の課題が生じることも事実である。すなわち、他の部署や外部との調整を要すること、会議の時間が全職員が勤務を義務付けられているコアタイムに限定されてしまうこと、窓口の業務効率と対応能力が低下する恐れがあること、複雑な勤務時間管理に伴う雑務が増加する懸念があること、そして、一同が会した朝礼もできないし、職場村社会における「けじめ」がつきにくいこと、といったところだろうか。

 さらには残業時間が減らないのは、生産性が低く、だらだら残業することを「良し」としてきた我が国のブラックな職場環境が根本原因なのであるから、その原因自体を除去しない限り、フレックスタイム制を導入して勤務時間を操作することだけでは残業時間はあまり減らないかもしれない。

 特に日本の霞が関の官僚たちについては、主として国会対応の関係から、終電までの長時間労働が恒常化しているのが実態なのである。彼らの立場に立って見れば、今回のフレックスタイム制の全面的導入についても、昨年夏の「ゆう活」と同様に、勤務の実態に合致しないために政策効果の薄い、政府の単なる掛け声倒れに終わってしまわないかと心配してしまうのも尤もなことだろう。