2016年3月11日金曜日

イラク、ハイダル・アバーディ(Haider Al-Abadi)首相への政権交代と政策変更

2014724日、イラク国民議会は、憲法草案起草を手伝ったPUK古参政治家であったフアード・マアスーム博士(Dr. Fuad Ma'soum)を新大統領に選出した。そのマアスーム大統領が、811日、議会のシーア派会派である国民連合内部127人の同意を得て、いわばダアワ党によるマーリキー排除のクーデター成功という形を取って既に国民議会副議長の1人に就任していたシーア派ダアワ党副書記長のハイダル・アバーディ(Haider Al-Abadi)を新首相候補に指名して組閣を命じた。

98日、国民議会は閣僚名簿を承認し、アバーディ政権が正式に発足した。これで20065月の首相就任以来28年間政権を掌握したマーリキー首相は退陣に追い込まれ、新たにアバーディ現政権がイラクに誕生したのである。

アバーディ政権の当初の政治目標は、第1にマーリキー政権時代に拡大したスンナ派とシーア派との宗派間の政治的亀裂を埋めること、第2に官僚組織の腐敗と汚職を無くすこと、そして第3ISとの戦闘で弱さを露呈したイラク軍と治安部隊を再建することであった。

だが、より本質的には、スンナ派の反乱(insurgency)を引き起こし、国内を「万人の万人に対する闘争」に近い安全保障のジレンマ状態に陥らせた失敗国家の弱い中央政府が国民の信認を回復するために必要な、公共サービス、例えば、しばしば断絶する電力や水道、運輸等の基礎的インフラを整備し国民に対して確実に供給することが新政権の最も重要な課題であった。

1の課題については、アバーディ政権は20152月、イラク戦争後の占領時代に制定された脱バアス党法(de-Baathification laws)、正確には20082月に旧法に代って制定された問責・公正法を緩めて、旧バース党員の公職復帰を一層促進しようと試みた。

だが、イラクの現在の政治状況下では、脱バアス党政策と宗派対立を超克するための国民和解政策に関して、各政治勢力間でどの程度旧バアス党員を排除すべきか、あるいは取り込むべきか、その線引きについて激しい対立があるため、逆に中央政府が国民和解政策を推進することが各政治集団の勢力拡大に恣意的に利用されてしまう結果を招き、この政策がかえって政治的亀裂の拡大を促進してしまう効果を持っていると言える。

次に第2の課題については、まず、201411月、アバーディは登録された約5万人の軍・治安部隊要員が実際には任務を遂行していないことを公表した。しかし、アバーディ政権誕生後の注目すべき政治改革案は、2015年夏の最高気温50度を超える酷暑と停電頻発によって各地で起きた、行政に対する国民の抗議デモに対する一種の懐柔策として同年811日に発せられた。実はこの時も、シスターニ師が87日に汚職対策を含む改革案を政府に求めたことが改革案提示の直接のきっかけとなっていた。

この時の改革案は、アバーディ政権発足時に挙国一致体制を作るために宗派・民族間で有力政治家たちに配分された各3人の副大統領職および副首相職を同時に廃止すること、さらには汚職捜査の強化と省庁顧問や大臣職、政府高官警備要員の大幅削減による財政支出の削減、以後の宗派・民族に基づく政府ポスト割り当ての廃止といった、腐敗汚職の元凶とされた既得権益の打破と政治家のいわゆる「身を切る改革」を主たる内容に含んでいた。

これは2014年来の原油価格低迷による歳入の落ち込みとIS掃討のための戦費膨張による財政赤字が、国際通貨基金(IMF)の試算では国内総生産比17%にも上るといったイラク政府の財政危機を乗り越える妥当な目的も伴っていた。

しかし、分極化したイラク国内政治の状況においては、先述したように、民族・宗派集団間の合意に基づいてポストを配分するクオータ・システムこそが、多極共存型民主主義を指向することによって国民和解を達成するための安定装置であったと言える。

したがって、この従来の政治慣行を壊してしまうことは、直ちに各勢力間の均衡を崩してさらなる分裂をもたらす危険があるし、また、アバーディ首相が述べたとおりの能力主義人事がすぐに達成できるはずも無い。

政府の思惑とは別に、かえってシーア派主導の不透明な人事と権益の配分が横行して、マーリキー前首相時代と同様なアバーディ首相とその仲間への権力集中が起きてしまう恐れもあるだろう。

実際、宗派横断型の民族主義政党ワタニーヤ連合を率いるアッラーウィー元暫定政権首相はアバーディ首相と同じシーア派に属しているものの、自らが副大統領職を解任されることもあって、首相の改革案を憲法違反であるとして批判したのである。他の野党勢力の多くも、実際にはこの改革案の実行を妨害しようとしていると考えることが可能だろう。

さて、ISの脅威に対抗し、イラクの領土保全と治安維持を強化する上でアバーディ首相にとって重要であるのが、第3の軍と治安部隊の再建問題である。この点に関して、アバーディ政権の対応は非常に危険なものであった。

その理由は、アバーディ政権がISとの戦闘を継続する中で軍・治安部隊の再建に効果を上げることが遅々として進まず、結局2014610日のモースル陥落直後に再動員されたシーア派民兵に対IS掃討地上作戦の主力部隊の機能を委ねてしまったからである。

当初南下するISに対抗して首都北方のシーア派聖地サーマッラーを防衛するためにシーア派コミュニティから再動員された民兵組織は、サドル派のマフディー軍やバグダードの東部に位置するディヤーラー県を拠点とするバドル軍団など、既存組織が中心であった。

しかし、シーア派の一般市民からも多くの義勇兵が参加するようになると、20147月頃にはシーア派民兵組織が次第に緩やかな人民動員隊として統合されるようになった。問題は、指揮統制がばらばらで寄せ集めの戦力に過ぎない人民動員隊が、イランのイスラーム革命防衛隊から大きな支援を得ていることで、脆弱な中央政府や瓦解したイラク政府軍の力ではコントロールできない程強大な勢力となってしまった点であろう。

イラン・イスラーム革命防衛隊のイラクへの軍事介入は、ナジャフとカルバラーにあるシーア派聖廟を直接防衛するために20147月、革命防衛隊の特殊作戦軍であるコッズ部隊(Nīrū-ye Qods)が司令官ガーセム・ソレイマーニー(Qasem Soleimani)少将と共に派遣されて実際にサーマッラー防衛作戦を指揮したことに始まる。

それ以来、ソレイマーニー司令官は人民防衛隊やペシュメルガと協力し、武器や兵力、諜報面で対IS作戦の遂行を事実上主導している。その最も重要な成果が、20153月のティクリートのIS武装勢力からの解放作戦であった。

同作戦では、主力となった人民防衛隊の兵士たちによって、ISに協力したスンナ派住民に対する報復や略奪・放火が行われたとされる。また、バドル軍団が主力となってIS掃討作戦を成功させつつあったディヤーラー県でも解放区におけるシーア派民兵のスンナ派モスク襲撃事件が2014年夏に起きた。

こうした宗派間抗争を助長するシーア派民兵の活動の背景に、イラク国内での影響力を高めようとするイスラーム革命防衛隊コッズ部隊の支援があったことは十分に考えられるだろう。

人民防衛隊の関与した略奪と暴行に反発したスンナ派部族長と政治家が中心となって、対抗措置としてISと戦うスンナ派部族自警団である国民防衛隊が、20152月に公的に結成された。この構想自体は、2006年から2007年に激化した内戦を克服するために米軍によって結成された覚醒評議会がモデルとなっている。

20152月、アバーディ政権も国民統合を再強化する方策として同構想に賛同しており、各県から集めた義勇兵に加えて15万人規模の国民防衛隊を結成するのが当初の素案であった。部族軍結成に当たっては武器に加えて2万人分の給与の支給も準備されることが公表された。

だが、シーア派が多数を占める国民議会においてはスンナ派兵士に広範な武器供与を実施することに反対であり、依然として国民防衛隊の構想はなかなか進展していない。シーア派が主導するイラク中央政府としては、仇敵である旧バアス党勢力の復権やスンナ派地域政府の実力部隊に国民防衛隊が変じる危険性があることが、逆に国家の分断を促進することに繋がりかねないことを強く懸念しているのであろう。

このようなバグダード中央政府の意向を無視して、イラク軍の訓練に当たるためにアンバール県に駐屯している米軍特殊部隊は、イラク軍に加えて国民防衛隊の主力部隊となる部族兵士の訓練を強化している。また、約35百人のイラク駐留米軍の主たる任務はイラク治安部隊とペシュメルガの訓練と助言であるが、2016会計年度米国防授権法(FY2016 National Defense Authorization Act)の第1223条では、もしイラク政府が民族・宗派の少数派を統治および治安組織に十分統合することに失敗していると大統領が(議会に)報告した場合には、(バグダードの中央政府を介さず)直接ペシュメルガとスンナ派部族治安部隊に対して武器供与ができる権限を大統領に与えているのである。


2016年3月7日月曜日

2016年3月現在の中東の安全保障環境(2)

サウジアラビアにとって最大の脅威は、アラビア半島西南部を占めるイエメンである。イエメンの現在の人口は約25百万人で、サウジアラビアの人口にほぼ匹敵している。イエメンは山岳地帯が多く、国内が分裂しやすいため、内戦に陥りやすい。そして、対IS掃討作戦を通じて北のイラクで影響力を伸ばしているシーア派大国イランが、南方のイエメンでシーア派の反体制武装勢力フーシー派を支援していることは、ヒジャーズにあるスンナ派の二聖都守護者を以て任じるサウジアラビアにとって、シーア派から南北を挟撃されかねない重大な脅威であったと言える。

だが、サウジアラビア軍にイエメンを制圧しきるほどの力は恐らく無い。サウジアラビアは、軍による王政打倒のクーデターを伝統的に恐れ、王家は軍を余り信用していない。サウジアラビア正規軍の兵力は最小限の規模に留められ、兵士は士気が低く、練度も不十分な状態にある。その結果、イエメンに対するサウジアラビアの軍事介入はその出口戦略が見えないまま、曖昧な政治目的の下で空爆を中心に断続的に続けられているのである。

最後にトルコの地政学的立場であるが、データを見ると、トルコは軍事費支出において域内でサウジアラビアに次いでおり、イスラーム圏では突出した軍事大国であることは間違いない。トルコはイランと同様に、中東の最も豊かな農業地帯と技術的に最先端の工業地帯を共に抱えている高原地帯の組織化された強力な国家である。

だが、トルコについては、旧ソ連圏のステップ地帯と、リムランドにあるペルシャ湾岸という、世界の二大エネルギー産出地を架橋する極めて有利な地政学的位置にイランが存在することに比べると、南の地中海と北の黒海に挟まれた押し詰められた広がりの無い陸橋に位置しているため、その周辺地帯への影響力は限定されたものにならざるを得ないのである。

トルコでは、21世紀に入ってレジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan)が率いるイスラームに基づく中道保守と経済自由主義の推進による欧州連合(EU)加盟を目指す公正発展党(Adalet ve Kalkınma Partisi, AKP)が政権を握ると、中東よりも欧州に目を向けたケマリズムは次第に力を喪失して、代ってトルコ民族主義が台頭し始めたのである。

現在のトルコはむしろ周辺国との対立を再燃させてでも、シリアのバッシャール・アサド(Baššār al-ʾAsad)大統領の退陣とアメリカが主導する対IS掃討作戦に消極的ながらも協力する方向に方針を転換した。また、最近のエルドアン政権は強大なロシアとの対立も敢えて辞さない独自の気構えを示している。こうしたトルコの強硬姿勢への転換は、2014年以来ISへの対応をめぐって極めて不安定な状態に陥った中東の安全保障環境にとって、イランとサウジアラビアの国交断絶と同じ位に悪影響を及ぼしかねない大きなリスクを孕んでいると言えるだろう。

現在のイラクを取り巻く地政学上の諸問題には、以下のような複雑な論点と多数の行為者が絡み合っていると思われる。それを一言で結論付ければ、重要な空間が対立する諸勢力によって混雑してしまい、中央政府の調整とコントロールによって適切に利益を分配する余裕が失われているという事である。

例えば、イラクではシーア派とスンナ派、そしてクルド人が相互に宗派間、民族間で対立する状況にあるが、シーア派に対してはイランが、スンナ派に対してはサウジアラビアが、クルド人に対してはアメリカとトルコがそれぞれ自分の国益を伸ばすための勝手な思惑から外部より支援を継続している。これだけを見ても、脆弱なバグダードの中央政府が国内外の情勢をコントロールすることは不可能だろう。

さらに言うと、アメリカのイラク戦争遂行とその後の占領統治によって、第1次世界大戦後のオスマン・トルコ帝国アラブ領土の分割に関する基本枠組み、すなわちサイクス・ピコ協定に基づくアラブ近代主権国家体制が崩壊し始めた事実を考慮しなければならないだろう。

もともと、中東アラブ世界の心臓部とも言える肥沃な三日月地帯は歴史的・文化的に一体化された地域であり、それをイラクとシリアに分割すること自体がそもそも無理だったとも言える。サッダーム・フセイン大統領やハーフェズ・アサド大統領の様な強権体制が崩壊した肥沃な三日月地帯では、その力の空白を埋めるようにISの勢力が台頭している。

換言すれば、現在のイラクは広大で貧しい過密都市に流入するユースバルジを統治する困難に見舞われており、それがイラク戦争後に曲りなりにも構築された脆弱な民主主義を崩壊させる原因となりかねない状況をもたらしている。

そして、ISの様な非対称で無国籍な権力が国家の重荷となった空白地帯に浸透し、マスメディアや情報通信技術を利用して自分達のイデオロギーや要求を世界に宣伝し、拡散させることによって若者の間で喪失されたアイデンティティを強化し、海外からの支援と同志を結集させることに成功しつつある。

こうした準国家的な武装勢力はシーア派でも見られるが、こうした勢力は小型武器で大国の軍事力に非対称に対抗できる程の軍事技術を保有している。ISやヒズブッラーのように、一定の領域を支配できる位の暴力手段を集中させているケースも見られるため、それを脅威と見なす大国が外部から介入している。その結果、地域の混乱とパワーシフトが助長されているのが中東の安全保障環境の実情であろう。

2016年3月現在の中東の安全保障環境(1)

昨年74日に締結された核問題最終合意「包括的共同行動計画」(JCPOA)発効以後のアメリカとイランの接近、シリア内戦とISへの対処をめぐって強化されつつある両国の提携関係構築の動きによるペルシャ湾岸地域での力の均衡の変化が、サウジアラビアの安全保障上の反発と対イエメン軍事活動の強化、そして最近のロシアへの接近行動を引き起こした。

JCPOAの取り決めによって国際社会のイランに対する経済制裁が解除されれば、最終的にはイランの核開発が制限されつつも継続されることになるため、サウジアラビアも早晩核開発あるいは外国からの核導入への道を歩んでいくことになるだろう。

 トルコの対イラク戦略も対ISを主たる標的とするものであると言うよりは、やはりシリアとトルコのクルド人勢力を牽制する目的で構築されている。つまり、イラク北東部のアルビル、ドホーク、スレイマニーア、ハラブジャの4県を中央政府から事実上独立して支配するクルディスタン地域政府(KRG)の最有力政党であるクルディスタン民主党(KDP: Partî Dîmokratî Kurdistan)をトルコ政府は支援している。

その理由は、イラクのKDPが左翼主義に立つトルコのPKKと仲が悪いことをトルコが利用するとともに、トルコとイラクの国境地帯が険しい山岳地帯によって分断されているため、必ずしも両国のクルド人勢力同士が簡単に連携できない地政学的状況が働いているからなのである。

 イラク戦争後のイラクにおいて採用された政治制度は、多極共存型デモクラシーが指向されているとされる。しかし、この多極共存型民主主義の指向が、今日まで続くイラク国内の民族・宗派間の抗争を助長している。なぜなら、それは社会の亀裂を所与の前提に置いていたため閣内の意思決定を統一することに失敗し、かつてのバアス主義の様なナショナル・アイデンティティを政権が国民に提示することができなかったからである。

201498日、20065月の首相就任以来28年間政権を掌握したマーリキー首相は退陣に追い込まれ、アバーディ政権が正式に発足した。アバーディ政権の当初の政治目標は、第1にマーリキー政権時代に拡大したスンナ派とシーア派との宗派間の政治的亀裂を埋めること、第2に官僚組織の腐敗と汚職を無くすこと、そして第3ISとの戦闘で弱さを露呈したイラク軍と治安部隊を再建することであった。

だが、より本質的には、スンナ派の反乱(insurgency)を引き起こし、国内を「万人の万人に対する闘争」に近い安全保障のジレンマ状態に陥らせた失敗国家の弱い中央政府が国民の信認を回復するために必要な、公共サービス、例えば、しばしば断絶する電力や水道、運輸等の基礎的インフラを整備し国民に対して確実に供給することが新政権の最も重要な課題であった。

ISの脅威に対抗し、イラクの領土保全と治安維持を強化する上でアバーディ首相にとって重要であるのが、第3の軍と治安部隊の再建問題である。この点に関して、アバーディ政権の対応は非常に危険なものであった。その理由は、アバーディ政権がISとの戦闘を継続する中で軍・治安部隊の再建に効果を上げることが遅々として進まず、結局2014610日のモースル陥落直後に再動員されたシーア派民兵に対IS掃討地上作戦の主力部隊の機能を委ねてしまったからである。

問題は、指揮統制がばらばらで寄せ集めの戦力に過ぎない人民動員隊が、イランのイスラーム革命防衛隊から大きな支援を得ていることで、脆弱な中央政府や瓦解したイラク政府軍の力ではコントロールできない程強大な勢力となってしまった点であろう。

イラクはよく言われるような第1次世界大戦後に英国が作った完全な人工国家などではなく、古代にその基盤を有する文明の1つの砦であるが、そこでアメリカの占領後に構築された多極共存型民主主義は、前章で指摘したとおり、腐敗と汚職にまみれた非効率的な統治によって国民に十分な治安維持による安心供与と行政サービスを提供することに現時点で成功していない。つまり、少なくとも当面の間、イラクは脆弱な失敗国家の地位を抜け出すことはできないものと思われる。

イランの地政学的強みは、その伝統文化とシーア派イデオロギー、そしてイスラーム革命防衛隊の暗躍による旧ソ連圏や肥沃な三日月地帯へのソフトパワーとハードパワーの行使だけにとどまらず、内陸部にあるカスピ海沿岸諸国とペルシャ湾岸の二大原油・天然ガス生産埋蔵地帯の間にパイプライン網を張り巡らせることで仲介できる点にも注目すべきであろう。

イランの中東における地政学的優位は周辺国から隔絶したものがあるが、弱点は対外関係ではなくむしろ国内の方にある。つまり、イラン国内では、欧米諸国との距離の置き方、経済自由化を進める程度、イラクやパレスチナ問題への介入やヒズブッラー支援の在り方、そして民主主義的な政治改革をめぐって国内で対立が残存している。恐らくこうした国内での対立が、イランの抱える矛盾を示している。

2016年3月6日日曜日

地政学的に見た中東安全保障環境の現状

前投稿までの考察から、今日のイラク情勢の混乱の原因を、よく言われるようにアメリカのイラク占領統治の失敗や、マーリキーとアバーディと続いたシーア派主導の中央政府の政治運営失敗に単純に帰してしまうとすれば、それは恐ろしく皮相な見方と言わざるを得ないだろう。

なぜなら、ジョージ・W・ブッシュ米前大統領やマーリキー首相、アバーディ首相やその側近政治家たちの能力だけで、イラクを取り巻く地政学的な諸問題をうまく解決することは多分困難だったからである。

現在のイラクを取り巻く地政学上の諸問題には、以下のような複雑な論点と多数の行為者が絡み合っていると思われる。それを一言で結論付ければ、重要な空間が対立する諸勢力によって混雑してしまい、中央政府の調整とコントロールによって適切に利益を分配する余裕が失われているという事である。

例えば、イラクではシーア派とスンナ派、そしてクルド人が相互に宗派間、民族間で対立する状況にあるが、シーア派に対してはイランが、スンナ派に対してはサウジアラビアが、クルド人に対してはアメリカとトルコがそれぞれ自分の国益を伸ばすための勝手な思惑から外部より支援を継続している。

これだけを見ても、脆弱なバグダードの中央政府が国内外の情勢をコントロールすることは不可能だろう。問題処理の困難さは、マーリキーやアバーディといった政治指導者たちの個人的資質や能力によって克服できる水準を遥かに上回っている。

さらに言うと、アメリカのイラク戦争遂行とその後の占領統治によって、第1次世界大戦後のオスマン・トルコ帝国アラブ領土の分割に関する基本枠組み、すなわちサイクス・ピコ協定に基づくアラブ近代国家体制が崩壊し始めた事実を考慮しなければならないだろう。

もともと、中東アラブ世界の心臓部とも言える肥沃間三日月地帯は歴史的・文化的に一体化された地域であり、それをイラクとシリアに分割すること自体がそもそも無理だったとも言える。

同じように、サイクス・ピコ協定など英仏両国の勢力圏分割の取決めによって近代主権国家として建国されたトルコとイスラエルでは、その後の歴代世俗政権が民族主義化政策を強力に押し進めた結果、100年後の現在ではいちおうトルコ人、イスラエル人という国民意識が芽生えてきた。

ところが、イラクやシリアなど肥沃な三日月地帯のアラブ国家では、バース党世俗政権が近代主権国家統治に必要不可欠な統合された国民意識を醸成できず、結局は宗派や部族意識が残存したまま、サッダーム・フセイン大統領やハーフェズ・アサド大統領の様な、秘密警察と治安部隊を利用した強権統治体制を築き上げて自国民を大量虐殺することで国家の統一を維持せざるを得なかったのである。

そうした強権体制が崩壊した肥沃な三日月地帯では、その力の空白を埋めるようにISの勢力が台頭している。IS2014年以来同地域に浸透した背景には、やはり重要な空間が対立する諸勢力によって混雑してしまっていることがあるだろう。

例えば、大中東圏、すなわち東南アジアを除くイスラーム世界の人口は今後20年間で12億人超に増大し、その中心部に位置するアラブ世界では人口がほぼ倍増すると見込まれている[]

ロバート・カプランは、以下の様に述べている。すなわち、この地域は世界の確認石油埋蔵量の70%、天然ガス埋蔵量の40%が集中している。また、過激主義イデオロギー、群衆心理、重なり合うミサイル射程圏、儲け主義のマスディアによる偏向報道など、さまざまな不安定要因が働く地域でもある。中東は人口構成に占める若者の割合が突出して多い「ユースバルジ(若者の膨らみ)」のさなかにあり、人口の65%35歳未満である。1995年から2025年までの間に、イラク、ヨルダン、クウェート、オマーン、シリア、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、イエメンの人口は2倍になるだろう。若年人口は、アラブの春でも見られたように、混乱と激変を後押しする原動力となることが多い[]

つまり、カプランの地政学的考察を援用すれば、現状のイラクは広大で貧しい過密都市に流入するユースバルジを統治する困難に見舞われており、それがイラク戦争後に曲りなりにも構築された脆弱な民主主義を崩壊させる原因となりかねない状況をもたらしているのである。

そして、ISの様な非対称で無国籍な権力が国家の重荷となった空白地帯に浸透し、マスメディアや情報通信技術を利用して自分達のイデオロギーや要求を世界に宣伝し、拡散させることによって若者の間で喪失されたアイデンティティを強化し、海外からの支援と同志を結集させることに成功しつつある。

ISの様な準国家的な武装勢力はレバノン南部を実効支配するヒズブッラーなど、スンナ派のみならずシーア派でも見られるが、こうした準国家武装勢力は小型武器で大国の軍事力に非対称に対抗できる程の軍事技術を保有している。

ISやヒズブッラーのように、一定の領域を支配できる位の暴力手段を集中させているケースも見られるため、それを脅威と見なす大国が外部から介入している。その結果、地域の混乱とパワーシフトが助長されているのが中東の安全保障環境の実情であろう。


[] カプラン『地政学の逆襲』148頁。
[] 同上、298頁。

トルコの地政学的立場に関する考察

トルコの地政学的立場であるが、データを見ると、トルコは軍事費支出において域内でサウジアラビアに次いでおり、イスラーム圏では突出した軍事大国であることは間違いない。

トルコはイランと同様に、中東の最も豊かな農業地帯と技術的に最先端の工業地帯を共に抱えている高原地帯の組織化された強力な国家である。その点で、この両国は、周辺のアラブ諸国がそれぞれの事情で抱えている脆弱性とは無縁の立場にあると考えることができるかもしれない。

だが、トルコについては、ハルフォード・マッキンダー卿(Sir Halford Mackinder)がユーラシアの地政学上最も重要な回転軸であるハートランドであると考えた旧ソ連圏のステップ地帯[1]と、リムランドにあるペルシャ湾岸という、世界の二大エネルギー産出地を架橋する極めて有利な地政学的位置にイランが位置することに比べると、南の地中海と北の黒海に挟まれた押し詰められた広がりの無い陸橋に位置しているため、その周辺地帯への影響力は限定されたものにならざるを得ないのである[2]

その一方、トルコはイラク、シリア両国の水甕であるティグリス、ユーフラテス両河の上流の源流を支配していることから、イラクとシリアに対しては決定的に有利な立場を持っていることも確かである[3]

しかしながら、第1次世界大戦でのオスマン・トルコ帝国の敗戦後、ムスタファ・ケマル・アタチュルク(Mustafa Kemal Atatürk)が指導者として推進した西欧型の世俗化、民族国家化を目指したトルコ革命は、21世紀に入るとレジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan)が率いるイスラームに基づく中道保守と経済自由主義の推進による欧州連合(EU)加盟を目指す公正発展党(Adalet ve Kalkınma Partisi, AKP)が政権を握ると、中東よりも欧州に目を向けたケマリズムは次第に力を喪失して、代ってトルコ民族主義が台頭し始めたのである[4]

しかし、2014828日のエルドアンの大統領就任後、首相とAKP党首の地位を引き継いだアフメト・ダウトオール(Ahmet Davutoğlu)が外相時代に提唱した新オスマン主義に立つ「ゼロ問題外交」は、トルコがEU加盟を事実上拒否されて以来、大幅な方針転換を迫られている。

ダウトオールが目指した「ゼロ問題外交」は、シリア、イラク、イランなど民族を異にする周辺諸国との和解に向け、トルコの影響力を高めるための対中東外交であった。

だが、現在のトルコはむしろこれら周辺国との対立を再燃させてでも、シリアのバッシャール・アサド(Baššār al-ʾAsad)大統領の退陣とアメリカが主導する対IS掃討作戦に消極的ながらも協力する方向に方針を転換したのである。

その一方、昨年1124日にトルコ空軍のF-16戦闘機が、自国領空侵犯を理由としてシリアに軍事介入したロシア空軍機のSu-24M戦闘爆撃機を撃墜する事件を起こすなど、最近のエルドアン政権は強大なロシアとの対立も敢えて辞さない独自の気構えを示している。

こうしたトルコの強硬姿勢への転換は、2014年以来ISへの対応をめぐって極めて不安定な状態に陥った中東の安全保障環境にとって、イランとサウジアラビアの国交断絶と同じ位に悪影響を及ぼしかねない大きなリスクを孕んでいると言えるだろう。

トルコ政府は、自国の東部山岳地帯の分離独立を目標として長く反政府テロ活動を続けているPKKと一時和解に向かったものの、2003年に結成されたPKKの分派であり、シリア内戦の状況下でIS掃討作戦の貴重な地上戦力として米露も支援しているシリアのPYDとその軍事組織であるYPGが、シリア北部(西クルディスタン)を事実上の自治区として分離しようとしていることを自国への波及を恐れて阻止しようとしている。

  そのため、イラクのKRGに対してはその領内にあるPKKの活動拠点を越境攻撃する一方で、キルクークの油田地帯を抑えたKRGからイラク中央政府の意向を無視して独自に原油を輸入するなど、むしろイラクのクルド人とは積極的に関係を強化する動きを見せている。これは、恐らく自国のPKKやシリアのPYDの活動を牽制して、クルド人の民族自決をイラク国内のKRG支配領域だけに封じ込めてしまおうとするトルコの隠された意図が裏にあるのだろう。

[1] ハルフォード・ジョン・マッキンダー(曽村保信訳)『マッキンダーの地政学-デモクラシーの理想と現実』(原書房、2014年)121-32頁。
[2] ロバート・D・カプラン(櫻井祐子訳)『地政学の逆襲』(朝日新聞出版、2014年)325頁。
[3] 同上。
[4] 同上、333-34頁。