昨年7月4日に締結された核問題最終合意「包括的共同行動計画」(JCPOA)発効以後のアメリカとイランの接近、シリア内戦とISへの対処をめぐって強化されつつある両国の提携関係構築の動きによるペルシャ湾岸地域での力の均衡の変化が、サウジアラビアの安全保障上の反発と対イエメン軍事活動の強化、そして最近のロシアへの接近行動を引き起こした。
JCPOAの取り決めによって国際社会のイランに対する経済制裁が解除されれば、最終的にはイランの核開発が制限されつつも継続されることになるため、サウジアラビアも早晩核開発あるいは外国からの核導入への道を歩んでいくことになるだろう。
トルコの対イラク戦略も対ISを主たる標的とするものであると言うよりは、やはりシリアとトルコのクルド人勢力を牽制する目的で構築されている。つまり、イラク北東部のアルビル、ドホーク、スレイマニーア、ハラブジャの4県を中央政府から事実上独立して支配するクルディスタン地域政府(KRG)の最有力政党であるクルディスタン民主党(KDP: Partî Dîmokratî Kurdistan)をトルコ政府は支援している。
その理由は、イラクのKDPが左翼主義に立つトルコのPKKと仲が悪いことをトルコが利用するとともに、トルコとイラクの国境地帯が険しい山岳地帯によって分断されているため、必ずしも両国のクルド人勢力同士が簡単に連携できない地政学的状況が働いているからなのである。
イラク戦争後のイラクにおいて採用された政治制度は、多極共存型デモクラシーが指向されているとされる。しかし、この多極共存型民主主義の指向が、今日まで続くイラク国内の民族・宗派間の抗争を助長している。なぜなら、それは社会の亀裂を所与の前提に置いていたため閣内の意思決定を統一することに失敗し、かつてのバアス主義の様なナショナル・アイデンティティを政権が国民に提示することができなかったからである。
2014年9月8日、2006年5月の首相就任以来2期8年間政権を掌握したマーリキー首相は退陣に追い込まれ、アバーディ政権が正式に発足した。アバーディ政権の当初の政治目標は、第1にマーリキー政権時代に拡大したスンナ派とシーア派との宗派間の政治的亀裂を埋めること、第2に官僚組織の腐敗と汚職を無くすこと、そして第3にISとの戦闘で弱さを露呈したイラク軍と治安部隊を再建することであった。
だが、より本質的には、スンナ派の反乱(insurgency)を引き起こし、国内を「万人の万人に対する闘争」に近い安全保障のジレンマ状態に陥らせた失敗国家の弱い中央政府が国民の信認を回復するために必要な、公共サービス、例えば、しばしば断絶する電力や水道、運輸等の基礎的インフラを整備し国民に対して確実に供給することが新政権の最も重要な課題であった。
ISの脅威に対抗し、イラクの領土保全と治安維持を強化する上でアバーディ首相にとって重要であるのが、第3の軍と治安部隊の再建問題である。この点に関して、アバーディ政権の対応は非常に危険なものであった。その理由は、アバーディ政権がISとの戦闘を継続する中で軍・治安部隊の再建に効果を上げることが遅々として進まず、結局2014年6月10日のモースル陥落直後に再動員されたシーア派民兵に対IS掃討地上作戦の主力部隊の機能を委ねてしまったからである。
問題は、指揮統制がばらばらで寄せ集めの戦力に過ぎない人民動員隊が、イランのイスラーム革命防衛隊から大きな支援を得ていることで、脆弱な中央政府や瓦解したイラク政府軍の力ではコントロールできない程強大な勢力となってしまった点であろう。
イラクはよく言われるような第1次世界大戦後に英国が作った完全な人工国家などではなく、古代にその基盤を有する文明の1つの砦であるが、そこでアメリカの占領後に構築された多極共存型民主主義は、前章で指摘したとおり、腐敗と汚職にまみれた非効率的な統治によって国民に十分な治安維持による安心供与と行政サービスを提供することに現時点で成功していない。つまり、少なくとも当面の間、イラクは脆弱な失敗国家の地位を抜け出すことはできないものと思われる。
イランの地政学的強みは、その伝統文化とシーア派イデオロギー、そしてイスラーム革命防衛隊の暗躍による旧ソ連圏や肥沃な三日月地帯へのソフトパワーとハードパワーの行使だけにとどまらず、内陸部にあるカスピ海沿岸諸国とペルシャ湾岸の二大原油・天然ガス生産埋蔵地帯の間にパイプライン網を張り巡らせることで仲介できる点にも注目すべきであろう。
イランの中東における地政学的優位は周辺国から隔絶したものがあるが、弱点は対外関係ではなくむしろ国内の方にある。つまり、イラン国内では、欧米諸国との距離の置き方、経済自由化を進める程度、イラクやパレスチナ問題への介入やヒズブッラー支援の在り方、そして民主主義的な政治改革をめぐって国内で対立が残存している。恐らくこうした国内での対立が、イランの抱える矛盾を示している。
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