トルコの地政学的立場であるが、データを見ると、トルコは軍事費支出において域内でサウジアラビアに次いでおり、イスラーム圏では突出した軍事大国であることは間違いない。
トルコはイランと同様に、中東の最も豊かな農業地帯と技術的に最先端の工業地帯を共に抱えている高原地帯の組織化された強力な国家である。その点で、この両国は、周辺のアラブ諸国がそれぞれの事情で抱えている脆弱性とは無縁の立場にあると考えることができるかもしれない。
だが、トルコについては、ハルフォード・マッキンダー卿(Sir Halford Mackinder)がユーラシアの地政学上最も重要な回転軸であるハートランドであると考えた旧ソ連圏のステップ地帯[1]と、リムランドにあるペルシャ湾岸という、世界の二大エネルギー産出地を架橋する極めて有利な地政学的位置にイランが位置することに比べると、南の地中海と北の黒海に挟まれた押し詰められた広がりの無い陸橋に位置しているため、その周辺地帯への影響力は限定されたものにならざるを得ないのである[2]。
その一方、トルコはイラク、シリア両国の水甕であるティグリス、ユーフラテス両河の上流の源流を支配していることから、イラクとシリアに対しては決定的に有利な立場を持っていることも確かである[3]。
しかしながら、第1次世界大戦でのオスマン・トルコ帝国の敗戦後、ムスタファ・ケマル・アタチュルク(Mustafa Kemal Atatürk)が指導者として推進した西欧型の世俗化、民族国家化を目指したトルコ革命は、21世紀に入るとレジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan)が率いるイスラームに基づく中道保守と経済自由主義の推進による欧州連合(EU)加盟を目指す公正発展党(Adalet
ve Kalkınma Partisi, AKP)が政権を握ると、中東よりも欧州に目を向けたケマリズムは次第に力を喪失して、代ってトルコ民族主義が台頭し始めたのである[4]。
しかし、2014年8月28日のエルドアンの大統領就任後、首相とAKP党首の地位を引き継いだアフメト・ダウトオール(Ahmet Davutoğlu)が外相時代に提唱した新オスマン主義に立つ「ゼロ問題外交」は、トルコがEU加盟を事実上拒否されて以来、大幅な方針転換を迫られている。
ダウトオールが目指した「ゼロ問題外交」は、シリア、イラク、イランなど民族を異にする周辺諸国との和解に向け、トルコの影響力を高めるための対中東外交であった。
だが、現在のトルコはむしろこれら周辺国との対立を再燃させてでも、シリアのバッシャール・アサド(Baššār
al-ʾAsad)大統領の退陣とアメリカが主導する対IS掃討作戦に消極的ながらも協力する方向に方針を転換したのである。
その一方、昨年11月24日にトルコ空軍のF-16戦闘機が、自国領空侵犯を理由としてシリアに軍事介入したロシア空軍機のSu-24M戦闘爆撃機を撃墜する事件を起こすなど、最近のエルドアン政権は強大なロシアとの対立も敢えて辞さない独自の気構えを示している。
こうしたトルコの強硬姿勢への転換は、2014年以来ISへの対応をめぐって極めて不安定な状態に陥った中東の安全保障環境にとって、イランとサウジアラビアの国交断絶と同じ位に悪影響を及ぼしかねない大きなリスクを孕んでいると言えるだろう。
トルコ政府は、自国の東部山岳地帯の分離独立を目標として長く反政府テロ活動を続けているPKKと一時和解に向かったものの、2003年に結成されたPKKの分派であり、シリア内戦の状況下でIS掃討作戦の貴重な地上戦力として米露も支援しているシリアのPYDとその軍事組織であるYPGが、シリア北部(西クルディスタン)を事実上の自治区として分離しようとしていることを自国への波及を恐れて阻止しようとしている。
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