2015年12月31日木曜日

イラク政府軍ラマーディー奪還に関する考察

 1228日には、先の投稿で分析した「慰安婦問題」最終合意のほかにもう1つ、イラク情勢に関して大きなニュースが入った。それは、イラク政府軍が518日にIS(イスラーム国)によって奪われた西部スンナ派居住地区アンバール県の県都ラマーディーを約7か月ぶりに奪還したことである。ラマーディーは首都バグダードの西方約110kmのユーフラテス川両岸にまたがる戦略的要衝であり、シリアとヨルダン両国に向かう道路の要の地点に位置している。

 しかも、今回の作戦には331日の北部ティクリート奪還の際に起きたようなシーア派民兵によるスンナ派住民に対する略奪、暴行は起きなかった。今回の政府軍のラマーディー奪還作戦では、IS拠点に対する空爆で政府軍の攻勢を支援したアメリカの圧力によって、シーア派民兵は動員されなかったためである。したがって、シーア派民兵に対して強い影響力を持つイランのイスラーム革命防衛隊の奪還作戦への関与も多分なかったのだろう。

 政府軍はシーア派民兵に代わって地元のスンナ派部族を支援戦力として活用したようであり、動員した兵力は1万人以上だったらしく、市内に残存していたIS戦闘員がわずか300人程度だったと言われているから、圧倒的な政府軍兵力が西方に迂回してユーフラテス川を渡河することをISが結局阻止できなかったというのが戦況の推移だったようである。

IS戦闘員約300人は、多くの塹壕とトンネルに籠って防衛線を張り、主として狙撃で政府軍を迎撃する作戦を選択した模様だ。また、住民を人間の盾とし、地雷や仕掛け爆弾を設置するとともに、自爆攻撃を相次いで敢行して政府軍の進撃を阻止しようとしたらしい。これは、市街戦において極めて有効な戦術を、兵力劣勢なIS側が採ったものであろう。

したがって、政府軍は極めて慎重に包囲網を縮小しながら、1222日の攻勢開始から約1週間の時間をかけて市街中心部に攻め込んだものと見られる。この双方の戦いぶりから見ると、その圧倒的な兵力差から考えても、依然としてISの戦闘力はさほど弱まってはいないようだ。

 結局、ラマーディーからのIS駆逐に効果的だったのは、有志連合軍による従来以上の激しい空爆の実施であったのだろう。ロシア空軍による民間人の付随的損害を配慮しない対価値無差別爆撃ほどではないにしろ、最近の有志連合軍の空爆も相当に強化されたカウンター・フォース爆撃となってきたからである。

 そのため、ISは都市部に分散して塹壕に立て籠る消極作戦しか選択できなくなっている公算が大きい。かつて1千人以上のIS戦闘員がいたラマーディーでの兵力減少度から考えると、イラク国内の一部都市からは撤収する作戦をISが採り始めたのかもしれない。とすれば、来年2016年のイラクでの対IS戦線における勝敗の行方は、北部の主要都市モースルを政府軍が奪還できるかどうかにかかってくるだろう。

 ISとしても、北部の要衝モースルを仮にイラク政府軍やクルド民兵のペシュメルガの攻勢によって奪還されるようなことになれば、もはやイラク国内にとどまって活動を続けることは非常に困難になる。したがって、ISはラマーディーとは異なってモースルについては、絶対にこれを死守しようとするはずだ。来年の決戦は、恐らくモースルの攻防戦になると筆者は考えている。

 もし、イラク政府軍が来年モースルを無事奪還することに成功すれば、もはやISの宣言した「カリフ国」は事実上シリア国内だけに封じ込められることになるだろう。その後は、アメリカ主導の有志連合は、トルコとエジプトへの対IS作戦での支援を重点的に強化すべきではないかと筆者は考える。

 なぜなら、ISのみならずアサド政権擁護のために反体制派全体を無差別に攻撃しているロシアの軍事介入が既成事実化している以上、直ちにシリア情勢を改善する手立てが見当たらないからである。結局、IS「カリフ国」を消滅させることに成功したとしても、シリアは地中海沿岸部のアサド政権支配地域と南北に分断された反体制派支配地域、そしてトルコ国境沿いに長く伸びたクルド人自治区に三分割するしか妥当な解決策はないだろう。

 ロシアのシリア内戦介入は、直接的には自国のイスラーム過激派の活動を予防的に抑えることを第一の目的としているのかもしれない。だが、地政学的には、クリミア半島のセヴァストポリ軍港を基地とする黒海艦隊の唯一の地中海への進出(補給)拠点であるタルトゥース港の施設を確保する目的も重要だろう。

シリア内戦への介入をめぐってクリミアとウクライナ問題での欧米との対立を棚上げする目的がプーチン大統領にあるとすれば、セバストポリ軍港を失うことがロシアの黒海における制海権をNATO加盟国であるトルコに奪われることを同時に意味していることにもっと注目すべきだろう。NATO加盟国が東方にどんどん拡大している現状を阻止するためにも、ロシアとしてはセバストポリ軍港を有するクリミア半島を併合してしまう必要があるだろうし、その延長線上にタルトゥース軍港を持つシリアに軍事介入して自国の権益を確保する必要があったのかもしれないからだ。

 そこで、欧米としてはユーラシアのハートランドであるロシアのこれ以上の権益拡張を阻止するためにも、地政学上リムランドであり、かつ橋頭堡国家でもあるトルコ(重要な基地があり、ボスポラス海峡というチョークポイントがある)とエジプト(スエズ運河がある)をISの脅威から重点的に守るとともに、様々な内政上の問題を抱えるこの両国の体制を当面強化することを通じて、ロシアのシリア進出を牽制していく必要があるのではないだろうか。

*筆者は1月5日まで正月休みに入りますので、その間は投稿を中断します。

日韓「慰安婦問題」最終合意に関する地政学的考察

 1228日、日韓両国間のいわゆる歴史認識問題をめぐる争点の1つであった「慰安婦問題」について、両国の外相会談で最終的かつ不可逆的に解決する旨の合意に達したという報道がなされた。


その内容は、日本側が旧軍の関与を認めて首相が謝罪し、韓国側が設立する元慰安婦支援基金に対して10億円を拠出することで、事実上の補償を行う。これに対して、韓国側は北朝鮮系の反日市民団体である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が在韓日本国大使館前に設置した慰安婦少女像を撤去するとともに、慰安婦に対する補償問題を今後蒸し返さないということである。

 国内外の主要メディアではこの日韓「最終合意」について、「歴史的」であるとか「画期的」であると論評するものも多い。筆者から見れば、今年の「歴史的合意」といえば、714日にE3/EU+3(米英仏独露中とEU)とイランとの間でイラン核開発問題を最終的に解決するために結ばれたJCPOA、つまり「包括的共同行動計画」の合意が直ちに想起される。

だが、本当に年内に複数の「歴史的合意」が締結されたとすれば、2015年は、1月に湾岸戦争が起こり、7月にワルシャワ条約機構が解体し、そして12月にソ連邦が崩壊した1991年に匹敵するほどの後日驚嘆すべき1年であったということになるだろう。

 JCPOAについてはイランと鋭く対立するイスラエルのネタニヤフ首相が「歴史的過ち」であると論評したが、慰安婦問題最終合意についてもあるいは同様の論評ができるかもしれない。確かに今回の合意については日韓両国の従来の立場を維持しつつ、双方の利益を最大限に盛り込んだ内容となっている。

 例えば韓国側は、今回の合意で、1965年に締結された日韓請求権・経済協力協定で請求権問題を完全かつ最終的に解決したとする日本側から事実上の謝罪と補償を引き出すことに成功したし、日本側は韓国政府に大使館前慰安婦像撤去の努力義務(これが基金に対する日本政府の資金拠出の前提条件であるとして、今後韓国側に圧力をかけるだろう)を認めさせることに成功した。

 しかし、合意は何も文書化されていないし、双方の特に韓国側世論の動向次第では問題が再度蒸し返される恐れも否定できない。筆者の見るところ、韓国が中国と連携して国際社会に対して反日活動を続けているのは、慰安婦問題を含む歴史認識問題の点で中国と共通認識を持っているという情緒的問題よりも、むしろ韓国の逃れがたい地政学的位置によるものであると考える。

 ここで筆者が述べる地政学とは、英国のハルフォード・マッキンダーや米国のニコラス・スパイクマンが第二次世界大戦前に概念化した、アングロサクソン的なユーラシア内陸部(ハートランド)国家群と大陸縁辺部(リムランド)三日月地帯を挟んで島嶼海洋国家群との対立・相克関係を論じた一種の戦略的見方のことである。

 このユーラシア大陸を沖合から三日月状(アウター・クレッセント)に取り囲む島嶼海洋国家群には日英両国はもとより、アメリカ(南北米大陸)をも含んでいる。そして、ハートランドとは、背後に航行困難な北極海を置いているため、地理的必然として不凍港を求めて南下政策(拡張主義)をとらざるを得ないロシアのことを意味している。

 つまりアングロサクソン的地政学の視点に立てば、国際政治とはハートランドの大国ロシアのリムランドへの拡張政策を封じ込めようとして、英国や米国のような海洋国家群がリムランドの橋頭堡国家に対して基地と海軍のアクセスを確保しつつ、リムランド内部を支配下に置こうとする地域覇権国の台頭を阻止しようとする行動から導き出されることになる。

 19世紀のアフガニスタン等をめぐる英露間のグレートゲームや、冷戦期の米国のベトナム戦争やイラク戦争、その他の度重なった軍事介入はほとんどこの地政学的視点から説明できるだろう。そして、かつての朝鮮戦争もリムランドの橋頭堡国家南北朝鮮の支配権をめぐる内陸国家と海洋国家との間の争奪戦であった。

 注意すべき点は、今日既存の国際秩序に対する挑戦国と見なされている中国はロシアのようなハートランド国家ではなく、橋頭堡国家ではないがリムランド国家なのである。この点では、中国の地域覇権を目指す拡張主義的政策はかつての帝政あるいはナチス時代のドイツの東欧支配政策に極めて類似している。

 この見方が正しいとすれば、早晩アメリカは中国の地域覇権獲得を阻止するため、日豪など海洋国家群と連携して、また2度の世界大戦の経験を踏まえればハートランド国家ロシアとも連携して中国の勢力拡張を抑えようとするはずである。実際そうした動きは、最近観察されつつあると筆者は考える。

 世界大戦期のドイツの場合と中国のケースが異なるのは、中国が内陸に向かって勢力を拡張しようとするのではなく、むしろ南シナ海と東シナ海の海洋に向かって勢力圏を広げようとしていることであろう。そのため、海洋利権を重視する日米豪トライアングルとの対立が今後益々激化する危険性があると思われる。

 さて、その場合、朝鮮半島の橋頭堡国家である韓国は日米と中国の双方から強い圧力を受けることになるだろう。韓国にとっても対米同盟関係の維持は自国の生存にとって死活的価値を有しているといえるから、日米韓三国の連携を阻害しかねない歴史認識問題の早期解決を図れとアメリカから強い圧力を受けていることが予想される。

 安倍政権は、こうした韓国の弱い立場を利用して日本側が従来以上の一定の譲歩を示しつつ、歴史認識問題をめぐる韓国と中国との反日連携関係を分断しようと今回の合意に結びつけたのだろう。その意味では、中国の脅威をリムランドの橋頭堡国家であり、米中対立の最前線となりかねない緩衝地帯に位置している韓国よりも遥かに認識しにくい日本の優位な地政学的位置が、今回の日韓最終合意を生み出す要因となったともいえるだろう。

 ただ、韓国の弱い地政学的位置が、今後も中国と連携した歴史認識問題に関する反日行動を再燃させる蓋然性はかなりあると筆者は見ている。韓国政府が冷徹な地政学的戦略に基づいて日米中三国間のバランスを維持しようとしたとしても、情緒的な反日感情に流されやすい韓国内世論の「観衆費用」の大きさに引きずられて問題の蒸し返しを試みようとするかもしれない。この点だけは、日本政府も十分に考慮しておく必要があるだろう。