2016年1月8日金曜日

サウジアラビアの在イエメン・イラン大使館空爆疑惑に関するダイアド理論的考察

 一昨日の投稿で、筆者は年初早々にイランとの国交断絶を引き起こしたサウジアラビア当局によるシーア派宗教指導者ニムル師の死刑執行について評価した。それは、イランに対して劣勢に追い込まれたと認識したサウジ側の安全保障のジレンマによる焦燥の観点から、イランやシーア派との対立激化をサウジが見越して緊張状態を敢えて引き起こしたという見方にも一定の妥当な政策的インプリケーションが含まれている事を指摘したことである。

 また、昨年サウジ国内で度々発生したISのテロと、このところ続いている原油価格の低水準(1バレル30ドル台)による深刻な財政逼迫状況に危機感を抱いたサウジが、国内引き締めのためのいわば陽動(diversionary)目的で敢えて強硬姿勢に打って出た可能性もあると分析した。

 こうした見方に立てば、JCPOA締結以来の対米関係改善により、サウジと対立するイラン側はいずれ地域覇権を自国が掌握できる優勢な立場にあると認識していると見ることも出来るので、イラン側が言わば余裕のある穏健な「大人の対応」をとる蓋然性が高いと筆者は考察していた。つまり、サウジとイランとの戦争には至らないと考えたのである。

 しかし、現地での緊張状態のエスカレーションは、それほど甘くは無かったようだ。すなわち、イラン政府は17日、サウジが空爆を続けているイエメンの首都サヌアにある自国の在イエメン大使館がサウジ空軍に「故意に」空爆されてミサイル(の一部?)が着弾し、大使館の建物が一部損傷を受けて警備担当者が負傷したと発表して、サウジを非難したからである。

 これは、イラン側がサウジとの対立の激化をむしろ煽る結果につながりかねない。筆者の見立てを覆す、両国の緊張状態をエスカレートさせる危険な外交をイランが選択したとも言えるだろう。

 このイラン側の非難(反撃)に対して、即座にサウジ側は信用できないと反論しながらも調査を約束した。その調査結果は勿論イランの主張は事実無根で、激しかったとされる6日の空爆作戦の対象に、当然のことながらイラン大使館は含まれていなかったというものであった。だが、大使館近辺への空爆は実施した模様であり、あるいは爆弾の破片がイラン大使館の建物を付随的に損傷させた可能性はあるのかもしれない。

 イランは、サウジ側の賠償責任を求めて国連(安保理か)に報告する対抗措置をとる模様である。きっかけはサウジ側のニムル師処刑であったが、今度はイラン側が敢えて強硬姿勢に打って出て反撃体制をとりつつある。

 そこで今日は、サウジとイラン両国間の、緊張エスカレーションの蓋然性について分析してみたい。筆者の見るところ、現時点で両国の間で戦争が勃発する危険性はあまり高くないものの、過去の実証的研究から見ると、この両国関係は相当程度Dangerous Dyads(戦争の蓋然性が高い「危険な一対の組み合わせ」)の事例に該当していると思われるからだ。

 19926月にJournal of Conflict Resolution, Vol. 36, No. 2に発表されたかなり古いものだが、戦争原因に関する実証研究に影響力を及ぼした研究成果として、ニューヨーク州立大学のスチュアート・ブレマーが書いた“Dangerous Dyads”という論文がある。

 この論文によると、詳細な論旨は省略するとして簡潔に結論だけを要約すると、1816年から1965年までの二国間の戦争データを統計分析した結果は次の通りであったと言う。

すなわち、当該期間に起こった戦争原因として二国間関係、つまりダイアドに影響を及ぼした要因としてその重要性を順位付けすると、第1に「隣接」(presence of contiguity)、第2に両国間の「同盟不存在」(absence of alliance)、第3に「経済的先進国で無いこと」(absence of more advanced economy)、第4に「民主的政治形態の不存在」(absence of democratic polity)が際立って重要であるというのだ。

つまり、ブレマーのダイアド実証研究による結果では、ウッドロウ・ウィルソン大統領が第1次世界大戦後に国際平和秩序の枠組みとして構築しようとした理想主義的な諸理念こそが、戦争回避のために最も重要な要素であるということが立証されたことになる。

 これに対して、ネオリアリストが常に強調するような相手に対する「相対的パワーの優位」や「大国の地位」といった物質的かつシステムの構造的な要因は、戦争原因(回避)に全く影響を及ぼさないと言うわけではないが、そのインパクトは上記4つの理想主義的な要因の半分以下の影響力を持っているに過ぎないというわけである。

 特にダイアドをなす二国が地理的に「隣接」していることの戦争を引き起こす要因としての影響力は際立って大きく、その意味でも、ハルフォード・マッキンダー以来提唱されてきた地政学を、今でも安全保障上十分に検討すべきとする有用性が示唆されている。

 また、ブレマーのダイアド研究の結果では、民主国家同士は戦争しないという、まさにカントやウィルソン流理想主義の帰結であるデモクラティック・ピース論もかなり戦争回避のために有用であることになる。したがって、この考え方に立てば、欧米が民主化のために非民主的な中東諸国に軍事介入することも、その費用対効果と国際的正統性の問題を別にすれば、少なくとも政策的指針としては是認されることになるかもしれない。

 そこで、今回対立が激化しているサウジとイランのダイアドを考察してみると、第1から第4の戦争を引き起こしやすい要因を全て兼ね備えていることは明らかだろう。つまり、今回のサウジとイランの緊張激化はまさしくデンジャラス・ダイアドにおいて起こった状態なのであり、この先両国がさらに紛争をエスカレートさせて戦争に至る蓋然性を全く否定してしまうことは出来ないという、恐ろしい現実を示唆しているわけである。

2016年1月6日水曜日

年初早々サウジとイランの対立激化で、報道と評論が乱立していることに関する感想

 年明け早々、中国株のCSI300指数が7%下落して、サーキットブレーカーの発動により大引けまで株式市場での取引が停止した。そうかと思えば、今日は北朝鮮が水爆実験に成功したと高らかに宣言した。2016年も日本を取り巻く安全保障問題はネタが尽きない様だ。

 他方ペルシャ湾岸では、サウジアラビア当局が、既に拘留していた扇動的なシーア派宗教指導者ニムル師をアルカイダ関係者らとともに死刑に処したことから、イランやイラクのシーア派住民たちの反発を招いてイランとの対立激化を引き起こした。

テヘランでは在イラン・サウジ大使館が暴徒に攻撃されるような緊張状態にあり、サウジは直ちにイランとの国交を断絶した。バハレーンやスーダンなどサウジと関係の深いスンナ派各国がイランのシーア派扇動と内政への介入を非難し、相次いで対イラン断交に踏み切っている。

今回のサウジによる急な強硬姿勢の提示については、即位から2年目を迎えたサルマーン国王とその息子であり副皇太子である強硬派のムハンマド国防相が仕組んだ、対イラン強硬姿勢の演出ではないかという見方がある。イラン国内で世論が沸騰し、各地でシーア派がサウジに反発することは、国王には事前に当然予想できたと思われるからだ。

あるいは同じ第三世代(アブドゥルアジーズ・イブン・サウード初代国王の孫)である現皇太子を飛び越して副皇太子への王位継承を確実にするための、将来の王家内での相続争いを見越した国王の一種の布石ではないかという観測もある。これは、80歳と高齢のサルマーン国王が、息子であるムハンマド副皇太子が目立つような対外的活躍の場を演出したという見立てである。

さらには、昨年来の原油価格の長期低落によって財政的に苦しむサウジとイランが結託して行った、原油価格吊り上げの茶番劇であると見る陰謀論まで出ている(私の見立てでは、この憶測は非常に根拠薄弱である)。

確かに原油価格が1バレルあたり30ドル台まで下落してもアメリカ国内のシェールガス・オイルの開発は絶え間ない技術進展で急速に進んでおり、サウジアラビアは早晩輸出されるシェールオイルへの対抗上、原油市場での低価格を維持してアメリカの生産者に打撃を加えるために、今のところ減産に踏み切れないのが現状である。

これがオイルマネーで潤ってきた近年のサウジアラビアの財政状況を非常に逼迫させており、このままの状態で原油安が続けば、あと数年内に外貨準備高が消失するとも言われている。原油安でサウジ同様の財政難に苦しんでいるのが、クリミアとウクライナ問題で欧米から経済制裁を受けているロシアである。ロシアもアメリカやサウジと並ぶ、日量1千万バレル以上を産出する大産油国なのである。

こうした状況にあって、従来のようにサウジアラビアがOPECのスイング・プロデューサーとして原油の生産調整を実施することが出来ないことから、現在の原油安の状態が続いているわけである。イランに対する国連と欧米の経済制裁がJCPOA(核問題最終合意)の予定通り早晩解除されれば、2016年内には昨年11月時点で日量288万バレルの産油国であるイランから、日量100万バレル増程度、原油が市場に追加供給されるかも知れない。

 だが、OPEC内で、イランの年内生産増を価格的に許容できる程度にサウジアラビアが協調減産に踏み切る見通しは、今のところない様子だ。これはイランにとっては、大きな不満材料となるだろう。今回のサウジの態度に対するイラン国内での強い反発の背景には、シーア派盟主としてのイランの立場を誇示する目的の他に、こうした経済的対立が背景に潜んでいる可能性はあるかも知れない。

 だが、筆者の見るところ、より本質的にはJCPOA提携以来、アメリカがイランと宗派間抗争と地域覇権をめぐって対立するサウジの国益よりもISとの対テロ戦争遂行におけるイランとの協調関係構築に優先順位を変えたという、アメリカの対サウジ同盟コミットメント(公約)の信憑性問題が原因ではないかと思う。アメリカに見捨てられる疑念(同盟のジレンマ)を抱いたサウジ側の、安全保障上の焦りが引き起こした今回の強硬姿勢の発現であると見るのが多分妥当な見方だろう。

 より理論的に言えば、中東で1979年のイラン・イスラーム革命以来35年以上続いてきたパワーバランスがJCPOA締結以来サウジ不利の方向に変動しつつあることが、サウジに安全保障のジレンマを起こしていると見ることが出来るかもしれない。

 安全保障政策上のインプリケーションとして、グローバルあるいは地域的なパワーの急激なシフトが戦争原因となる場合がある点は、科学的な因果関係を示すものではないにしても、一定の蓋然性を持って語られることは事実である。これは敵対国家の相互間に核抑止が効いている場合にも、通常兵器による先制攻撃を妨げないという点で妥当である(印パの武力衝突などが格好の事例である)。

 そして、現在のイランのようにパワーシフトで有利な立場に立った(と認識した)側が早晩自国が覇権が確立できることを見越して控えめな態度に終始し、逆にサウジアラビアのように勢力均衡上、不利な立場に追い込まれた(と認識した)側が、将来これ以上不利なポジションに置かれることを許容できなくなって、先制攻撃を積極的に仕掛けるケースも歴史上少なくないのである(例えば、日本の真珠湾攻撃など)

 そういう意味で、今回のイランやシーア派との対立激化をサウジアラビアが見越して緊張状態を敢えて引き起こしたという見方には、一定の政策的に妥当なインプリケーションが含まれている。

また、最近の財政難とISのテロによる国内不安を、サウジアラビアが対外的緊張を陽動的に引き起こすことで回避しようとしたとする、(diversionary theory的な)見方をすることも可能であるかもしれないと筆者は考える。