2015年11月12日木曜日

J-CASTニュース「早大生が駅横広場を占拠、連日深夜のバカ騒ぎ」に関する感想

 本日18時過ぎにニュースをネットで確認していたところ、上記の様な記事に遭遇した。筆者も80年代から90年代前半に早大生(大学院生時代を含む)であった経験が有るので、本日はこの記事に関する感想(苦言)を敢えて述べてみたい。

 まず、問題となっている場所が、JR高田馬場駅早稲田口の駅前ロータリーであることに筆者は驚いた。というのも、自分の学生時代当時は、ここには丸い噴水が有ったため、とてもこのロータリーに夜間たむろして高歌放吟する余地が無かったからである。

 そこで筆者が調べてみたところ、現在噴水は撤去されて、噴水の真ん中にかつて鎮座していた「平和の女神像」だけが、ロータリーの中心にポツンと残存しているだけの状態となってしまったようである。恐らく、これが最近の早大生の夜間馬鹿騒ぎを助長している根本原因であるのだろう。

 サークル・メンバーが集団でたむろできる余地が無ければ、夜間に「紺碧の空」や「都の西北」を大声で歌えるはずが無いからだ。第一、集団でなければ人前で校歌や応援歌など、とても恥ずかしくて放吟できるものではない。かつては、新宿歌舞伎町のコマ劇場前の噴水が、早大生馬鹿騒ぎの常習地であった。

確かにかつてのコマ劇場前では、よく早大生が騒いで大学当局に苦情が持ち込まれていたが、ここ最近は明大生御用達に変貌してしまったらしい(?)。代替地として現役早大生たちが選んだ場所が、必ずしも歌舞伎町の様な繁華街とも言えない高田馬場駅前であったということか。筆者には、恐らくこれが第1の物理的原因だと考える。

 第2の原因を憶測すると、早大生が少なくとも80年代頃よりも幼児化している可能性である。自分の経験では、今秋の六大学野球リーグのように早慶戦で早稲田の優勝が決まった日であっても、高田馬場のロータリーで馬鹿騒ぎする学生は恐らく皆無であったと記憶している。まして盛り上がるスポーツのイベントでもない早稲田祭後に、そんなことをしていた学生がいたという記憶は全くない。

 それ以前に、当時サークル単位で我々が野球(早慶戦)やラグビー(早明戦)の試合などを観戦した場合には、ほぼ必ず他大学(日本女子大その他)の女子大生複数名と連れ立っていたため、とてもじゃないが集団で、かつ大声で、人前で歌を歌える雰囲気など、たとえコンパ後の酩酊状態にあったとしても、早大生のプライドが許さなかったのである。

 当時のポンジョ(日本女子大)生は、その大多数がお嬢様タイプであったので、そんな如何にもダサいワセダマン的悪乗りは、決して許容されるものではなかった。自分も一度だけ、新宿コマ劇場前で大学1年生の時の六大学野球優勝後に校歌を男子学生集団で歌った記憶があるが、記憶するのは唯一その時だけである。

ところが筆者が先刻動画で確認した様子では、女子大生たちまでもが集団で男子学生連中と肩を組んでロータリーの真ん中で輪になって、「紺碧の空」を高歌放吟している。これは筆者には実に驚嘆すべき事象である。少なくとも筆者の知っている早稲女やポン女が、こうした行為に出るとは到底思えなかったからだ。筆者が学生であった当時の彼女らは、良い意味でエリート意識が高かったため、人前で、かつ集団で歌うことなど、絶対に有り得なかったと思われる。この筆者の記憶が正しいとすれば、現在の現役早大生あるいは日本女子大生たちの幼児化が、日本政府の債務残高並みに急速に進行しているものと考えられるだろう。

 第3の原因を憶測すると、西早稲田本部キャンパス内に学生がたむろする場所がなくなった可能性である。我々世代の学生時代には、本部キャンパス内の建物地下の部室か学生ラウンジが常習の溜まり場であった。そこでは学生集団の飲酒も喫煙も大学当局の放任主義の結果、ほぼ無制限に許容されていたし、そこから少し離れれば大隈通りの雀荘かビリヤード場に長時間たむろすることが可能であった。早稲田通り近辺にはボウリング場や喫茶店も多かったから、男子学生のコンパ後のたむろ場所には事欠かなかったはずである。

 そこで、最近の本部キャンパスの実態を調べてみると、やはりラウンジの閉鎖が続いている。特に筆者の様な政経学部生にとっては無くてはならない存在であった、4号館学生ラウンジが昨年9月末に閉鎖されてしまっている。これは現役学生たちにとっては、非常に痛い措置だろう。学生ラウンジ閉鎖とは、サークル仲間と寛げる場所を学生が奪われたにほぼ等しいことを意味しているからだ。大学当局には、代替となり得る学生のたむろ場所を是非設置していただきたいと筆者は考える。

 それにしても、現役早大生諸君らには、駅前で酩酊して集団で高歌放吟するような他人迷惑なダサいストレス発散手段よりも、もう少し早大生に相応しい大人の格好付けたダサさを追求してもらいたいと筆者は思う。

例えば、我々世代であったとしたら、お嬢様のポンジョ生を煙に巻くために何も知らない国際情勢や経済政策について「熱く」語ってみたり、普段コミック本しか読んでいないくせにペダンティックに文学や哲学を語ってみたりしたものである。そうした田舎臭いダサさの追求にこそ、地方出身で貧乏人、かつ、浪人や留年経験者の方が「偉い」とされてきた早稲田大学の古き良き伝統を継承する本質があると言えるのではないだろうか。