2015年7月30日木曜日

トルコの対IS掃討作戦参加に関する分析-実態はPKK掃討目的で、内戦勃発のリスク大

 トルコが724日にシリア北部ISの拠点に対するF16戦闘機による空爆作戦を開始してアメリカが率いる有志連合軍の対IS掃討作戦に参戦することに踏み切り、同時にこれまで拒んできた有志連合軍のインジルリクやディヤルバクルなど国内空軍基地使用を認める合意をオバマ米政権と締結した。

 従来ISに対する国境管理などの点における緩い対応が欧米諸国より批判されてきたトルコのAKP(公正発展党)のエルドアン政権としては、有志連合の作戦に加わることは、正にゲーム・チェンジの決断である。

 今回のトルコ政府による政策変更の契機となったのは、720日にシリアのクルド人が住む街コバニの北方、国境近くのトルコの街シュルジュの文化センターで行われていたクルド人支持者の集会が、ISによる犯行と思われる自爆テロによって多数の死傷者を出したことである。この文化センターは、トルコ国内の親クルド政党HDPが運営していたとされる。

 このISによるトルコ国内でのテロ攻撃の目的は、恐らくトルコ国内で政府と対立するクルド人を標的とすることで、エルドアン政権と数年間停戦状態を維持してきた反体制クルド人組織PKK(クルド労働者党)を、トルコ国内での反政府武装闘争に引き戻そうという、彼らの狡猾な戦略であろう。

 そして、そのISの目論見通り、トルコ政府は724日のシリア北部IS勢力に対する空爆開始の翌日には、イラク北部にあるPKKの拠点を空爆し始めるとともに、全国内で警察と治安部隊を動員して、ISのみならずPKK等の反政府勢力を大規模に摘発し始めたのである。

 アメリカもトルコも、ISのみならずPKKをテロ組織と認定している。そのため、ホワイトハウスもトルコのPKK攻撃を特段非難していない。しかし、トルコ政府が国連安保理に報告したような自衛権発動としては、PKKに対するIS攻撃との二正面作戦の遂行は、その必要最小限度の要件から見て明らかに過剰反応であろう。

 そればかりか、有志連合のIS掃討作戦の地上戦力を現在提供しているのは、イラク側ではクルド自治政府の支配下にあるペシュメルガであり、また、シリア側ではPYD(民主統一党)の民兵組織であるYPG(人民防衛隊)であるが、この両組織とPKKは対IS戦闘で緊密な協力関係にある。

例えば、今年1月末にYPGISをコバニから駆逐できたのは、有志連合軍の激しい空爆による結果だけではなく、実はトルコ政府がペシュメルガの国内通過を認めてYPGを支援させた結果でもある。ISとしては、トルコ国内のクルド人をテロ攻撃することで、エルドアン政権とPKKの間に再び亀裂を生じさせ、シリア北部での自分達の作戦遂行の余地を拡大しようとしたのだろう。

 トルコは有志連合軍に国内の空軍基地を使用させる恐らく代償として、シリア北部アレッポ東方からジャラーブルスに至るトルコ国境90km、シリア国内約40km入った地点までを安全地帯(IS排除地帯)に設定して、有利連合軍が空中から当該エリアを監視することを認めさせた。

 これはトルコ政府がこれまで要求してきたような飛行禁止区域ではないとされ、また、FSA(自由シリア軍)が地上を管理することを想定していると報道されているが、事実上アサド政権軍がこの地域から撤退して力の空白が生じている現状では、この一帯はISYPGの間で激しい争奪戦が行われている。

 しかも、この安全地帯はトルコとの国境線沿いに東西に長く伸びたYPG支配地域を事実上分断されるように設定されるわけであるから、トルコの本当の意図はIS排除と言うより、むしろYPGの支配するシリア国内でのクルド自治区建設を妨害することにあるという見方もある。

筆者もトルコのIS掃討作戦継続の意図は、現在トルコが最も排除したい敵であるアサド政権を間接支援する(敵の敵を攻撃する)結果を招くために極めて疑わしく、むしろ、シリア北部で進みつつあるクルド独立運動が自国内に波及することを恐れた結果によるトルコの安全地帯設置構想ではないかと分析している。また、シリアからトルコに避難してきた多数の難民を安全地帯に戻させる意図もあるだろう。

 つまり、エルドアン政権のクルド独立運動抑制の目論見は安全地帯設定で一部成功するわけであるが、この判断はトルコ国内におけるPKKのテロや反政府武装闘争を激化させるリスクが非常に大きい。トルコ国内がシリアやイラクと同様の内戦状態に陥る危険が相当あると、筆者には思われる。

 また、アメリカにとってもPKKIS掃討作戦における言わばサイレント・パートナーに他ならないから、トルコとPKKの戦闘状態が再燃することは、今後の有志連合軍の作戦遂行を混乱させ、有志連合内部に大きな亀裂を生じさせる恐れが多分にあるのではないだろうか。

2015年7月28日火曜日

朝日新聞デジタル、「名門公立校が小学生「囲い込み」児童らにPR合戦」に関する感想

 本日の朝日新聞デジタルに、全国各地のいわゆる旧制中学以来の名門公立高校(東京の日比谷高や西高、神奈川の湘南高、福岡の修猷館高、埼玉の浦和高など)が最近行っている、小学生に対する学校説明会の記事が掲載されていた。本日はその記事について、筆者の勝手な感想を述べたい。

 上記記事によると、少子化時代を迎えて東京や神奈川のみならず、最近は地方都市でも成績優秀な小学生が公立中学に進まず私立の中高一貫校に進学してしまう、いわゆる「公立高校離れ」が起こり始めているとのこと。

そして、小学校の成績優秀者を私立中学に青田買いされてしまうという危機感から、成績優秀な小学生を早い段階から「囲い込む」ことを目的として、各地の公立名門高校が小学生とその保護者に対して最近積極的に学校説明会を行っている様子なのである。

 そうであるとするならば、明治時代以来、地域のエリート養成機能を担ってきた旧制中学系の名門公立高校の進学実績をこれ以上落とさないことが、このような学校説明会の主たる目的であると思われる。

 筆者が思うに、この目的を実現するためには、概ね2つの方法が考えられる。まず、第一は、高度成長期のかつての日本のように、私立中学に進学する小学生がほとんどいないように社会を誘導する措置を講じることだ。

そのためには、かつてのように各小学校の成績優秀者の大部分が公立中学に進学しても学力面で不利益と成らないように、公立中学の教育カリキュラムを私立中高一貫校並みに改善し、強化する必要がある。ついでに高校入試も、より思考力を必要とするように今よりもっと難しくすれば良い。

 ただし、この第一案は、現代の日本社会の少子化と多様化時代の流れに逆行するアナクロニズムな案であるから、実現するのはほとんど困難であろう。

 そこで考えられる第二案は、各都道府県の旧制中学系の名門公立高校56校程度を選んで、その全てを「併設型」中高一貫教育校に再編してしまうことである。実は既に千葉県では、トップ公立高校である千葉高が併設中学を設置して県内の成績優秀な小学生を募集しているし、二番手高の東葛飾高校も平成284月から併設中学を開校する模様である。

東京や神奈川以下の各都道府県も今後千葉県と同様の措置を講じれば、現在私立中高一貫校に流れている成績優秀な小学生をかなり取り戻せるはずだと思う。ただし、名門公立高校はどの学校もそれなりに自負する伝統があるから、高校を廃校して中等教育学校に再編するのは教育委員会内でもOBOGたち側でも猛反対が起きるだろう。そこで、従来通り高校入試を経て入学する生徒を1クラス分位残す余地が出来る、「併設型」中高一貫教育校とするのが良いと筆者は考える。

 もちろん、各地の旧制中学系名門高校が全国一斉に中学を併設するようになれば、中堅クラスの私立中高一貫校にとってはその存続にとって大変な脅威となるだろう。しかし、一応旧制ナンバースクールの地方公立高校出身者である筆者の立場からすれば、現在の日本社会のように親の貧富の差によって私立中高一貫校へ進めるかどうかが決まり、その子が将来エリートコースに進めるかどうかが中学入学段階でほぼ判ってしまう現状は、どう考えても異常である。

 大体、自分の経験上小学生時代に成績優秀かどうかなど、その後の本人の勉強次第でいくらでも挽回可能であるし、小学生時代の優等生がその後伸び悩むケースも決して少なくないだろう。

そう考えると、特段金持ちではない、あるいは却って貧しい家に生まれた成績優秀な子供が高度成長期と同様に各地の名門公立高校ルートを経て、一流大学に進学できるような余地を残した方が、中途半端な新設の私立中高一貫校を存続させる配慮をするよりも、少子化時代の日本にとって遥かに好ましいと筆者は考える。

 仮に各地の名門公立高校に一斉に併設中学を設けることにより、大学進学という狭い側面でその実績を復活させる措置を講じたとしても、東京で言えば開成や麻布学園のような本当の名門私立中高一貫校にとってはほとんど脅威とならないだろう。

 逆に言えば、名門公立高校が小学生「囲い込み」のために青田買い目的の学校説明会に奔走しなければならない現状の方が異常なのであって、そうした積極的な小学生勧誘のための努力は、私立の中高一貫校の方が自らの存在意義を保つために実施するだけでいいのではないかと思う。

 入試によるエリート選抜主義を否定するなら、むしろ名門公立高校を復活させる必要は無いだろう。大体現在の日本では高校はほぼ全入状態であるのが実態だから、従来の名門公立高校が伝統的に担ってきた地域のエリート選抜機能を認めるべきではないともし考えるならば、いっそのこと高校も義務教育化して高校入試を廃止してしまえば良いと考える。

 そうすれば、中学時代に内申書の事を考えて学校の先生の顔色を窺って生徒が萎縮して伸び伸び育つことができない懸念も消えるし、中学校でのいじめの問題も改善される方向に行くかもしれない。大体、筆者の経験では簡単過ぎる公立高校入試は、勉強時間の無駄だったという記憶しかない。

 自分の両親は会社勤めではないごく普通の労働者だったし、それでも自分がそれなりの学力を身に付けることが出来たのは、地方の公立中学と公立高校に当時まだ十分な選抜機能が残っていたからだと、今になってつくづく思うのである。

だから、日本が少子化時代を迎えた現在、名門公立高校を全国一斉に「併設型」中高一貫教育校化して、その大学進学実績を積極的に復活させるべきであると筆者は考えるのである。