日本生産性本部と日本経済青年協議会が取り纏めた、平成27年度新入社員「働くことの意識」調査の結果について、新入社員の「ほどほど志向・サバサバ傾向」が強まったという記事が有ったので筆者もデータを確認してみた。
今年の新入社員はいわゆる「ゆとり」「さとり」世代(1986~95年生まれ)に属し、筆者を含む「新人類」世代(1961~70年生まれ)から見れば子供の代に該当するため、別名「新人類ジュニア」とも呼ばれる若者達である。
最近社会人となった彼らは、よく会社の先輩たちから「自発的でなく休日出勤や残業を嫌う」「飲み会を断る」とか、「敬語や言葉使いがなっていない」と指摘されるらしいが、これが彼らの親世代である我々新人類世代に当時浴びせられた批判とほとんど被っていることに苦笑せざるを得ない。科学的根拠は無いが、親世代の特徴が子供世代に乗り移ったと言えるのかもしれない。
しかし、新人類とさとり世代では、消費の傾向と性質が外向的か内向的かという点で大きな相違が存在する。我々世代は、青年期にバブル経済に遭遇し、日本社会がサービス業中心の消費社会に大転換した時期を経験している。特に「オタク」と呼ばれる人達に顕著に見られるように、消費の個人化と差別化が進んだ時代に多感な若者時代を生きている。
そのため、新人類は概して消費に貪欲で、海外旅行やクルマは生活必需品であったと言える。個人的には、アメリカナイズされた普遍的価値を心に内面化してきた世代であるとも言えるだろう。
ところが、我々の子供世代である「さとり」世代の若者達は、上記の調査結果では新人類と全然違う性向を持っているようだ。特に、「海外の勤務があれば行ってみたい」という質問に肯定的な答えを示したのがわずか43.7%で、前年より2.6%マイナスで海外志向がさらに低下していることには驚きを隠せない。今の若者は無欲で刺激を好まず、旅行に行かないで自宅で休日を過ごす内向的傾向が強いと言われるが、これは海外旅行好きで外向的なアウトドア志向の人が多い我々新人類世代とは、真逆の性質だと言えるだろう。
出世志向が弱く「人並みに働けば十分」であると考える「ほどほど志向」の人が53.5%と過去最高の水準であることの背景については、昨今の売り手市場の就活の余裕という点もあるだろう。しかし、本質的には彼らが少子化時代に成長し、バブル崩壊後の日本のデフレ不況期しか経験しておらず、また我々時代には考えられなかったようなインターネットの普及と多様な情報テクノロジーを浴びて育ってきたため、訳知りで醒めた感覚を持っている点が、彼らを特徴づけるこの「ほどほど志向」に影響を及ぼしているのではないか。
また、今年の新入社員は全体として職場や仕事へのコミットメントに淡白で、「職場の上司、同僚が残業していても、自分の仕事が終わったら帰る」人が41.5%(前年比プラス6.4ポイント)いるそうだ。
筆者が思うにこの新入社員の「ほどほど志向」「サバサバ傾向」は、今の日本企業の多くが終身雇用制を見直し、年功給から役割給に賃金体系を移行させている傾向が強まっていることに対する彼らなりの合理的対応であろう。「どこでも通用する専門技術を身につけたい」人が92.3%(前年比プラス3.3ポイント)に上っていることから考えても、彼ら新入社員が会社の枠組みに留まるより自らの市場価値を高めることの方が、今後の日本社会で自分の生活を安定させるために重要であると良く理解している結果であると言える。
「すこし無理だと思われるくらいの目標をたてた方ががんばれる」人が69.9%(前年比マイナス4.4%)に低下した点は、筆者には少し気になる。この「ほどほど志向」では、新入社員の労働生産性が高まらない懸念があるからだ。
筆者が不思議に思うのは、「自分はいい時代に生まれたと思う」新入社員が77.3%と、昨年の75.5%から増加傾向にあることだ。また、「友人といるより、一人でいるほうが落ち着く」人が過半数以上の51.9%に達していることは、彼らが気の合わない人とは積極的に付き合おうとしない傾向を持つことと、内向型生活志向の人が多いことを証明しているのかもしれない。
大坪寛子さんの論文「JGSS-2012のデータ分析による社会および個人生活に対する意識の世代別検討」(JGSS Research Series No. 11)の調査結果によると、新人類ジュニア世代は他の5つの世代(第一戦後、団塊、新人類、団塊ジュニア)と比べて公共的機関及び組織に対する不信感を抱く者の割合が最も高く、懐疑的な態度を持っている傾向があるとされている(同上、29頁)。他の世代が人間を性善説で見ているのに対して、新人類ジュニア世代だけは人間の本性に対する懐疑心から用心深い傾向があるらしい(同上、30頁)。
他方で彼らは、個人生活に対する意識では満足度が高い傾向がある。特に、友人や配偶者など親密な他者との関係における満足度や将来への希望度は他の世代より最も高く、余暇の過ごし方についても社会から既に引退済みの第一戦後世代(1932~36年生まれ)に次いで高い(同上32-33頁)。この結果は、平成27年度新入社員「働くことの意識」調査で、「自分はいい時代に生まれたと思う」という回答が77.3%と増加傾向にあることと整合的に解釈できるだろう。彼ら若者の社会における幸福感は概して高いのである。
ただし、彼らの幸福感が周囲からのけ者にされていると感じない「反疎外意識」に規定される傾向がある点は他の世代との顕著な違いであり、他の世代とは別の要因が最近の若者の幸福感に作用している可能性もあると上記論文では分析されている(同上、34頁)。
面白いのが、彼らの親世代である我々新人類世代が、個人生活の経済的側面においても、親密な他者との人間関係においても、さらには余暇の過ごし方についても他の世代よりも満足度の低い者の割合が最も高い点だ。これらの総合評価と言える幸福感についても新人類世代が最も低く、つまり我々新人類世代は、日本社会を代表する不満分子の集まりであるということである。
例えば団塊ジュニア世代は、経済的不安にさらされながらも社会から受容されているという意識や友人に対する満足感が幸福感を高めるのに対して、新人類世代ではそうした要因は幸福感に影響を及ぼさないらしい。また、新人類は就労している方が幸福感を感じるのに対して、団塊ジュニアは就労していない方が幸福感を感じるそうだ(同上、35頁)。
良くも悪くも現在の若者である新人類ジュニア、さとり世代と、彼らの親世代である我々新人類が、日本社会で他の世代以上に強烈な個性を放っている存在であることは間違いないようだ。