前投稿までの考察から、今日のイラク情勢の混乱の原因を、よく言われるようにアメリカのイラク占領統治の失敗や、マーリキーとアバーディと続いたシーア派主導の中央政府の政治運営失敗に単純に帰してしまうとすれば、それは恐ろしく皮相な見方と言わざるを得ないだろう。
なぜなら、ジョージ・W・ブッシュ米前大統領やマーリキー首相、アバーディ首相やその側近政治家たちの能力だけで、イラクを取り巻く地政学的な諸問題をうまく解決することは多分困難だったからである。
現在のイラクを取り巻く地政学上の諸問題には、以下のような複雑な論点と多数の行為者が絡み合っていると思われる。それを一言で結論付ければ、重要な空間が対立する諸勢力によって混雑してしまい、中央政府の調整とコントロールによって適切に利益を分配する余裕が失われているという事である。
例えば、イラクではシーア派とスンナ派、そしてクルド人が相互に宗派間、民族間で対立する状況にあるが、シーア派に対してはイランが、スンナ派に対してはサウジアラビアが、クルド人に対してはアメリカとトルコがそれぞれ自分の国益を伸ばすための勝手な思惑から外部より支援を継続している。
これだけを見ても、脆弱なバグダードの中央政府が国内外の情勢をコントロールすることは不可能だろう。問題処理の困難さは、マーリキーやアバーディといった政治指導者たちの個人的資質や能力によって克服できる水準を遥かに上回っている。
さらに言うと、アメリカのイラク戦争遂行とその後の占領統治によって、第1次世界大戦後のオスマン・トルコ帝国アラブ領土の分割に関する基本枠組み、すなわちサイクス・ピコ協定に基づくアラブ近代国家体制が崩壊し始めた事実を考慮しなければならないだろう。
もともと、中東アラブ世界の心臓部とも言える肥沃間三日月地帯は歴史的・文化的に一体化された地域であり、それをイラクとシリアに分割すること自体がそもそも無理だったとも言える。
同じように、サイクス・ピコ協定など英仏両国の勢力圏分割の取決めによって近代主権国家として建国されたトルコとイスラエルでは、その後の歴代世俗政権が民族主義化政策を強力に押し進めた結果、100年後の現在ではいちおうトルコ人、イスラエル人という国民意識が芽生えてきた。
ところが、イラクやシリアなど肥沃な三日月地帯のアラブ国家では、バース党世俗政権が近代主権国家統治に必要不可欠な統合された国民意識を醸成できず、結局は宗派や部族意識が残存したまま、サッダーム・フセイン大統領やハーフェズ・アサド大統領の様な、秘密警察と治安部隊を利用した強権統治体制を築き上げて自国民を大量虐殺することで国家の統一を維持せざるを得なかったのである。
そうした強権体制が崩壊した肥沃な三日月地帯では、その力の空白を埋めるようにISの勢力が台頭している。ISが2014年以来同地域に浸透した背景には、やはり重要な空間が対立する諸勢力によって混雑してしまっていることがあるだろう。
例えば、大中東圏、すなわち東南アジアを除くイスラーム世界の人口は今後20年間で12億人超に増大し、その中心部に位置するアラブ世界では人口がほぼ倍増すると見込まれている[1]。
ロバート・カプランは、以下の様に述べている。すなわち、この地域は世界の確認石油埋蔵量の70%、天然ガス埋蔵量の40%が集中している。また、過激主義イデオロギー、群衆心理、重なり合うミサイル射程圏、儲け主義のマスディアによる偏向報道など、さまざまな不安定要因が働く地域でもある。中東は人口構成に占める若者の割合が突出して多い「ユースバルジ(若者の膨らみ)」のさなかにあり、人口の65%が35歳未満である。1995年から2025年までの間に、イラク、ヨルダン、クウェート、オマーン、シリア、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、イエメンの人口は2倍になるだろう。若年人口は、アラブの春でも見られたように、混乱と激変を後押しする原動力となることが多い[2]。
つまり、カプランの地政学的考察を援用すれば、現状のイラクは広大で貧しい過密都市に流入するユースバルジを統治する困難に見舞われており、それがイラク戦争後に曲りなりにも構築された脆弱な民主主義を崩壊させる原因となりかねない状況をもたらしているのである。
そして、ISの様な非対称で無国籍な権力が国家の重荷となった空白地帯に浸透し、マスメディアや情報通信技術を利用して自分達のイデオロギーや要求を世界に宣伝し、拡散させることによって若者の間で喪失されたアイデンティティを強化し、海外からの支援と同志を結集させることに成功しつつある。
ISの様な準国家的な武装勢力はレバノン南部を実効支配するヒズブッラーなど、スンナ派のみならずシーア派でも見られるが、こうした準国家武装勢力は小型武器で大国の軍事力に非対称に対抗できる程の軍事技術を保有している。
ISやヒズブッラーのように、一定の領域を支配できる位の暴力手段を集中させているケースも見られるため、それを脅威と見なす大国が外部から介入している。その結果、地域の混乱とパワーシフトが助長されているのが中東の安全保障環境の実情であろう。
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