2015年10月13日火曜日

世界最初の総力戦である南北戦争での旧式戦術の有効性-ヴィックスバーグ包囲戦(2)

 1863416日夜に実行されたデイヴィッド・ディクソン・ポーター提督(大佐)の率いる合衆国砲艦隊のミシシッピ川下流への突破作戦は、南軍の砲台が連なるヴィックスバーグ要塞の崖下を暗闇に紛れて通過する作戦であったが、日露戦争における日本海軍の連合艦隊による旅順港閉塞作戦と同じ位大胆かつ危険な作戦であったと筆者は考える。

 結果的に同作戦は成功したわけだが、ポーター艦隊は通過中直ぐに南軍の歩哨に発見されて激しい砲撃に晒された。しかし、大砲の仰角の関係で南軍の砲弾が艦隊の頭上を飛び越えてしまったため、1隻が炎上した以外ほとんど無傷でもう1つの南軍の砲台があるグランド・ガルフ対岸の陸軍の渡河予定地点であったハード・タイムズに到着することに成功したと言われる。

 4万人以上の合衆国陸軍もマクラーナンド将軍に率いる軍団を先頭にして、4月末までにはヴィクスバーグの約40km南にあるハード・タイムズに集結したようである。この時点で、北軍の渡河作戦の成功は決定付けられたということが出来るだろう。417日に開始されたグリアソン騎兵旅団の南北縦断機動作戦も、北軍の行動を南軍ペンバートン将軍の目から逸らさせることに大いに寄与したと思われる。

 ところが南軍のグランド・ガルフ砲台が予想以上に強力で、ポーター艦隊による砲撃でこれを沈黙させることが出来なかったため、グラント将軍は作戦を変更してハード・タイムズよりさらに下流に位置するブルーインズバーグまで軍を南下させ、430日、そこからミシシッピ川東岸に3万人以上の兵力を渡河させたのであった。

 渡河に成功した北軍の作戦は、グランド・ガルフの南軍砲台を側面から制圧しつつ、ヴィクスバーグの東方約80kmの地点にあるミシシッピ州都のジャクソンを奪取することであった。

 ジャクソンは、ニューオーリンズとジャクソン以北を結ぶ鉄道とヴィックスバーグとジャクソンを結ぶ鉄道が交差する南軍補給路の要に位置しており、この方面の南軍総指揮官ジョンストン将軍率いる軍が当時駐留していた。

 さて、こうした状況下で北軍に機先を制せられた南軍が採り得るベストな作戦は、果たしていかなる作戦であっただろうか。

 筆者が思うに、北軍の進路が判明した時点でヴィックスバーグ周辺に位置するペンバートン軍を州都ジャクソン方面に呼び寄せて合流し、全軍一体となってグラント将軍の北軍を迎え撃つ作戦が最も好ましかっただろう。

 しかし、実際には、後方連絡線を放棄し補給部隊を伴ってミシシッピ川東岸をジャクソン攻略に向かって急速進撃した北軍の行動に南軍が対応できず、まず51日にポート・ギブソン近郊で南軍の先遣隊が撃破されたため、堅固なグランド・ガルフ砲台の守備隊も陣地を放棄して退く他手立ては無かった。

 ジャクソンにいたジョンストン将軍は、北方に退避するとともにペンバートン将軍に対して東方に居る自分と合流するよう指示したようである。ところがジェファーソン・F・デイヴィス南部連合大統領は、ウェストポイント陸軍士官学校出身で米墨戦争に従軍した軍歴を持ち、政界進出後は南北戦争勃発以前に合衆国陸軍長官や上院軍事委員長を歴任した軍人でもあったから、ヴィックスバーグを死守することの戦略的重要性をよく認識していた。

 そのため、ペンバートン将軍には大統領からヴィックスバーグ死守の命令が届いていたと言われている。つまり、直属上官からの命令と最高司令官である大統領からの命令が齟齬を来していたため、ペンバートン将軍が事後の判断に迷う結果を引き起こしてしまったわけであった。この現場指揮官の判断の迷いが、結果的に作戦上北軍に後手を踏んでしまう最悪の結果を南軍にもたらしたと言えるのではないだろうか。

 その後の進展はグラント将軍の想定した通りに北軍優位のままほとんど推移し、514日のレイモンドの戦いで南軍に勝利した北軍は予定通り第1目標のジャクソンを占領した。

 もはやこの時点で南軍は既に分断されており、ペンバートン将軍の率いる軍団は516日、ヴィックスバーグとジャクソンの中間地点に位置するチャンピオンヒルの台地で迎撃したものの北軍に撃破され、撤退する南軍の殿部隊も翌17日ビッグブラック川を渡る橋を巡る攻防戦で敗れ、518日からヴィックスバーグ要塞に立て籠もって北軍の包囲網に抵抗する包囲戦に移行したのであった。

 このヴィックスバーグ包囲戦は、186371日から3日にかけて行われたペンシルベニア州ゲティスバーグの戦いが終わった翌日の74日、南軍のペンバートン将軍が北軍のグラント将軍に降伏するまで48日間続いたのであった。

 東部戦線のゲティスバーグと西部戦線のヴィックスバーグで18637月上旬に相次いで南軍が敗北したことで、南北戦争は北軍勝利にほぼ決定付けられたとされる。リンカーン大統領とジェファーソン・デイヴィス大統領の最高指導者双方が予想した通り、ヴィックスバーグの包囲戦は正しく南北戦争の転換点になった攻防戦であったと現在評価されているわけである。

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