11月24日現地時間の午前9時20分頃、トルコ南部ハタイ県上空を領空侵犯したとされるロシア空軍のSu-24M戦闘爆撃機がトルコ空軍のF-16戦闘機に撃墜された。今日は、同事件に関する筆者の現時点での分析を述べてみたい。
まず、双方の主張の食い違いについてであるが、撃墜したトルコ側は国籍不明機(ロシア軍機)の領空侵犯に対し、撃墜前に5分間で10回の退去警告を発進したと主張している。一般的に領空侵犯に対する対処措置としては警告前置主義が慣習国際法上成立しているため、トルコの主張通りであったとするならば今回の空対空ミサイルによる攻撃と撃墜は合法的措置であったことになる。
だが、撃墜されたロシア側(救出されたパイロットを含む)の主張によると、ロシア軍機はトルコ領空を侵犯しておらず、一切無警告のままトルコ軍機の不意打ちによってシリア領内で撃墜されたということである。
したがって、ロシア側の主張が正しいとすれば、トルコは違法な実力行使によってロシア軍機を一方的に撃墜したことになる。双方が自らの主張を裏付ける記録を提示したようだが、事実関係については恐らく真相は何も証明できず、双方の主張が食い違ったまま今後も推移していくことだろう。
古代共和政ローマ時代の賢人であったマルクス・トゥッリウス・キケロは、次のような名言を残している。すなわち、「黙して隠された敵意は、公然と言われた敵意より恐れられる」、「事故の原因は、事故そのものよりも興味深い」、そして、「武器がものを言うとき、法律は沈黙する」ということである。
また、国際法の父と言われるフーゴー・グロチウスはその名著『戦争と平和の法』の中で、次のようなキケロの言葉を引用している。それは、「ほとんどすべての危害は、恐怖にその淵源を有する。他人に危害を加えんと企てるものは、もし彼がこれを行わないならば、彼自身が害を蒙るべきことを恐れるからである」ということである(井上忠男『戦争のルール』、宝島社、2004年、38頁)。
この最後のキケロの格言は、安全保障のジレンマに陥った国家が先制攻撃に至る心理を的確に表現したものだ。そして筆者の見るところ、今回のトルコ側のロシア軍機撃墜事件に至った心理は、恐らくこのような安全保障のジレンマによる先制攻撃の実施にあったと思われる。
トルコ側の心理状態を解説すると、今年9月以降開始されたロシア軍のアサド政権支援のための空爆作戦遂行によって、エルドアン大統領が強く退陣を求めるバッシャール・アサドの体制が強化されることによって自国の安全保障が脅かされたとする脅威認識によるものだろう。
しかも、ロシア軍のこれまでの空爆目標は、ISに対すると言うよりは、むしろアサド政権を支えるための自由シリア軍などイスラーム過激派以外の反体制派を抑えることに向けられたものだった。実はISとシリア政府軍が直接対峙している戦線は、現時点でそう多くはない。ISの勢力圏とアサド体制側の勢力圏は相当程度離れており、必ずしも双方が接触していないからである。
事実、今回ロシア軍機がトルコ軍機に撃墜された場所は、トルコからシリアに突き出た地中海沿岸のハタイ(アンタキヤ、つまり古代セレウコス朝シリア時代に首都であったアンティオキア)地方とシリア領内でトルクメン人が居住する山岳地帯の国境エリアで、シリア側に約4km入った地点とされている。ちなみにこの撃墜場所は、ロシア軍の空軍基地がある港湾都市ラタキアからは約65km離れた地点とも言われている。
つまり、今回撃墜されたロシア軍機は、ISではなく、シリア領内のトルクメン人反体制派武装勢力を空爆のターゲットにしていた蓋然性が高い。トルクメン人はトルコ系で、トルコとしては同一系統民族に対するロシアの攻撃を阻止したいし、これまでも同地帯でのロシア軍機の領空侵犯を含む行動に警告を発していた事実がある。
また、ロシアのシリア内戦介入の意図を一言で表現すると、「親アサド・親クルド」の性質が色濃く、反ISの性質はむしろ二義的意味しか持っていない。プーチン大統領の意図はシリアの傀儡政権であるアサド体制を断固護持して、シリア内戦での主導権をアメリカから奪って国際社会における大国としてのロシアの地位を復活させることに有るのだろう。
同時に、ロシア軍が対IS空爆作戦で有志連合に協力するように見せかけて、ウクライナ問題やクリミア併合問題で対立する欧米諸国やトルコ、ペルシャ湾岸諸国を分断する意図もプーチンは併せ持っているに違いない。フランス同時多発テロ直後の対ISテロ戦争強化の情勢は、ロシアの欧米接近と有志連合分断工作を容易にする絶好の好機だからだ。
これに対して有志連合の一員であるトルコの意図は「反アサド・反クルド」の追求であり、これはアメリカやフランスの意図である「反IS・反アサド」の優先順位とも微妙に食い違っている。トルコのエルドアン政権にとっては、国内におけるクルド人政治勢力がシリア内戦でのクルド人反体制派の活躍に刺激されて活動を活発化させることを抑えることが最優先の課題であって、その点でISによるトルコ国内でのテロ攻撃に付け込まれている側面がある。したがって、欧米諸国のように反IS作戦を徹底することが、かえって国内不安定要因となりかねない大きなリスクを抱えているのである。
かつて旧ソ連は、NATO加盟国であるトルコを不安定化させるためにトルコからの分離独立を目指すクルド労働者党(PKK)を支援していた。また、16世紀から19世紀にかけて何度も露土戦争を戦った歴史を両国が持っているように、不凍港を求めて南下政策をとったロシア帝国はトルコにとって元来が不倶戴天の敵であったと言える。
シリア内戦とクルド問題に対するロシアの態度が、トルコのエルドアン政権の脅威認識を刺激して今回のロシア軍機撃墜、その領空侵犯の真相は別にして、恐らくトルコ側の予防的先制攻撃を引き起こしたのではないかと筆者は推測している。
その意味で、立場上トルコを擁護せざるを得ない米仏両国を含むNATO諸国とロシアとの間で、今後の対IS空爆作戦での連携を深めることは困難になったことは確実である。
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