2015年11月17日火曜日

米軍の「航行の自由」(Freedom of Navigation: FON)作戦に関連する戦略的意味について

ここ数年来続いている南シナ海と東シナ海における中国の低烈度の挑発行動に対して、アメリカの態度に今年になって変化が見られた。筆者の見るところ、1年前までアメリカのオバマ政権はこの問題に関して腰が引けていたが、ここ数か月は行動を伴って中国の活動に積極的な異議を唱えている。

例えば、5月には沿海域戦闘艦が南シナ海をパトロールしたし、1027日にはFON作戦を実施して、横須賀を母港とするイージス駆逐艦ラッセンが中国の領海主張している南沙諸島スビ礁等の人工島沖12カイリ以内を航行して、強力なプッシング・バックを実施した。なお、満潮時に水没する岩礁は島ではなく、国連海洋法条約の上で領海を主張することは出来ない。しかし中国は、1953年以来南シナ海ほぼ全域を取り込む九段線を地図上に定めて、その内部を自国の領海であると主張してきた。

 中国の南シナ海への支配拡大は、19741月に西沙(パラセル)諸島で南ベトナム軍を排除して実効支配を確立し、19883月に南沙(スプラトリー)諸島でベトナム軍との海戦に勝利して6つの岩礁(珊瑚礁)を支配下に置いたように、実際に武力行使を通じて行ってきた歴史がある。

20136月にはフィリピンから奪取したスカボロー礁で軍事施設の建設を開始し、20145月から7月にかけて西沙付近でオイル・リグを設置して試掘を始め、米上院では中国非難決議が採択された。最近の中国の海洋活動での特徴は、法執行機関である海警局を利用してその領土主張を強化してきていることであろう。

習近平国家主席は、演説で中国の正当な権利を放棄しないと強硬姿勢を示しており、そうしたトップの指示を受けて海警だけでなく軍も活動を強化している。1つの例として、南シナ海での大規模実弾演習や、20157月には上陸演習が実施されたのである。

 これらの中国の南シナ海での現状変更活動は東南アジア諸国に大きな圧力となっているし、さらに中国は最近、岩礁埋め立てを進めている。そこでは軍事施設建設も進めており、中国の目的は軍と海警の南シナ海でのプレゼンスを強める拠点作りにあると言われている。特に滑走路建設によって戦闘機と早期警戒機の展開が可能となり、空母遼寧を含む艦隊の行動を支援する中国空軍の南シナ海上空でのプレゼンスが強まるだろう。

 こうした中国の活動は海洋権益を得るための他、西太平洋における米軍に対する接近阻止・領域拒否(A2/AD)戦略の側面で、中国の軍事的プレゼンスを強化する目的もあるのだろう。中国海軍の西太平洋への出口は、1つは南西諸島を抜けるルートであり、もう1つは南シナ海からバシー海峡を抜けるルートである。

前者の東シナ海ルートは日米両国の戦力が強力なのに対して、後者の南シナ海ルートはベトナムやフィリピンなど対立国家が比較的弱い上に水深が深くて、原子力潜水艦の行動が容易である。したがって、中国にとってはその国益上、南シナ海が戦略上極めて重要なのである。

 最近のアメリカの中国に対するこれまでよりも強いメッセージ発信に対抗して、中国は今年9月の抗日軍事パレードで海洋での対米抑止のためのA2/AD能力を誇示し、そこでは空母キラーの準中距離弾道ミサイル(MRBMDF-21Dをさらに長射程化したDF-26が出現したのである。そして、習近平指導部による指示という国内状況を見ても、アメリカの押し返しにも拘らず中国の強硬な海洋進出は今後も継続すると筆者には思われる。

 アメリカのコミットメント(公約)の信頼性は、20138月にシリアのアサド政権が化学兵器を使用してオバマ大統領が前年に設定したレッドラインを越えたにもかかわらず介入しなかったことで大きく毀損された。2014年に起きたロシアのプーチン政権によるクリミア併合とウクライナへの介入は、こうしたオバマ政権の弱腰姿勢が、アメリカのコミットメントへの信頼性低下と現状変更行動の負のスパイラルを招いた結果だとする複数の評価がある。

 中国の南シナ海での強硬な岩礁埋め立ても、同様にアメリカのアジア・リバランスのコミットメントの信頼性毀損に関連するものと見なすことが出来るだろう。その意味で、米軍による今後のFON作戦の実施は、中国の現状変更行動を抑止する上で重要な意味を持っている。

 理論的に考えると、互いに防御的意図しか有していない現状維持国同士の間では、自国の安全を増進させるためにとる手段(例えば軍事的能力強化)の多くが他国の安全を減少させてしまうため、いわゆる「安全保障のジレンマ」による軍拡競争を発生させてしまう危険がある。

だが、相手が中国の様な攻撃的意図を有する現状変更国である場合には、抑止する現状維持国側の軍事的能力を強化しなければ現状変更に対抗する確固とした決意を欠く「弱腰」姿勢の現れという、誤ったシグナルを現状変更国に与えてしまう結果を招くことになる。その結果、抑止を破綻させてしまう危険があるのだ。ただし、海空連絡メカニズム設置の様な信頼醸成措置(CBMs)を中国との間で進めることは、相手国の意図の透明性を増し、偶発的な紛争のエスカレーションを防ぐ意味でも今後さらに重要となっていくであろう。

 ただ、現状維持国側と現状変更国側の軍事バランスが大きく崩れると、一方に先制攻撃の強い誘因が生じてしまい、いわゆる「危機の不安定性」(crisis instability)が増大しやすくなる。他方で、双方の軍備管理を通じて「危機の不安定性」を弱めようとすると、かえって高烈度の紛争が抑止される代わりに低烈度の軍事的挑発行動などが激化してしまう、「安定・不安定のパラドックス」(stability-instability paradox)が逆に発生しやすくなる。

 日米ガイドライン改訂作業において日本政府が米軍をグレーゾーン事態への対処にシームレスに関与させようと交渉を進めてきたのは、こうした紛争の高次と低次のエスカレーション段階の間にある「安定・不安定のパラドックス」をスムーズに「架橋」しようと意図したためであるのだろう(栗田真広「同盟と抑止-集団的自衛権議論の前提として-」『レファレンス』20153月号、22頁)。

 その意味において、日米両国が対中国海空軍戦力で圧倒的な優勢を維持している東シナ海では、尖閣諸島への最前線に位置している沖縄に陸海空三軍が統合された機動展開戦力である米海兵隊の駐留を維持していくことが、米軍を否応なくグレーゾーン事態等の低烈度紛争に巻き込むためのいわゆる「仕掛け線」(tripwire)を設置することと同様な我が国に有利なバーゲニングと見なすことも可能だろう(栗田、同上、15頁)。その点にこそ、筆者は、米海兵隊を沖縄に前進配備しておく紛争抑止目的上の重要な意義があると考えている。

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