3月16日発売の『週刊文春』今週号に掲載された、最近の報道番組等でコメンテーターとしてよく見かけていたショーンK(「芸名」でショーン・マクアードル川上)氏の経歴詐称問題が、昨日来世間を騒がせている。その概要は、彼自身が個人ホームページで公表していた学歴、職歴その他の経歴のほぼ全てについて、俗に言う大きく「盛って」書かれていたというものである。
筆者も実は、かなり以前に公共放送や民放のいくつかの報道番組で専門分野に関してコメントを求められた経験があるが、今回のケースに関連して一部で言われているようにコメントについて構成作家と相談して決めたといった事実は1回も無かった。担当のディレクターと事前に打ち合わせて、放送用の資料を用意してもらったという事くらいである。したがって、もし仮にショーンK氏が初めから用意されていた原稿通りに番組でコメントしていたとしたら、彼は専門家としての扱いではなく、単なるタレントに過ぎないと言えるだろう。
そして、『文春』などに報じられている彼や所属事務所の釈明を聞く限り、彼自身は自分が1人のタレントであるに過ぎないことを自覚していた模様である。そうならそうと、初めからそういう立場でテレビに出演していればいいものを、経歴を恐らく故意に詐称して「国際派経営コンサルタント」としての肩書を宣伝していたことが問題なのであろう。
ただし、コンサルタント業は医師や弁護士のように公的資格を必要としていないから、彼が経歴を詐称し、その偽りの肩書きを背景として仕事の範囲を広げ、実際に何らかの利益を得たとしても、例えば詐欺罪の様な犯罪の構成要件に該当することは無い。つまり、彼は社会を騙した倫理的な責任を負うに過ぎないわけである。
そうした観点から、彼への社会的バッシングの過度の集中に対して異論を唱え、彼の行為を擁護する一部の「識者」の方々による反論がまたぞろ続出するわけだろう。理化学研究所研究員だったSTAP細胞研究不正問題の小保方晴子さんや、五輪エンブレムのデザイン・パクリ問題の佐野研二郎氏のケースとよく似た現象がまたぞろ起きたように筆者には感じられる。
擁護論の代表的見解は、主として番組などで彼と共演した経験を持つ「識者」たちから出されている。例えば、脳科学者の茂木健一郎氏や、新潮社出版部長の中瀬ゆかりさん等だろう。彼ら彼女らが発する擁護論の言い分は、一言で要約すれば、ショーンK氏自身は人柄が良くて発言が的確であり、魅力と能力があるから学歴や肩書は関係ないといったところだろう。特に、ショーンK氏の物腰が柔らかく、低音ボイスで一見ハーフの好男子であることが評価されているという点では、彼を擁護する識者たちも番組で彼を起用したTV局担当者達も、大同小異の集団無責任の認識に陥っていると言えるのではないか。
問題の本質は、局を代表するような報道番組でコメントすることが、本当の専門家でなくても務まるかどうか、またそうした専門家以外のタレントを起用しても良いかどうかという点にあると思う。報道番組では、最新のニュースと的確な解説を国民に提供することが本来の目的なのであり、それが国民の「知る権利」を充実させることに繋がり、ひいてはそれが政治権力の暴走を民主的に監視する最大の武器とならなければならないからである。
こうした点において、新聞もそうだが、特に我が国の放送局では、欧米の主要メディアに比べて真実に迫ろうとする気迫と取材能力が不足していると思われてならない。日本のニュース番組は、筆者の視聴する限り、CNNや BBCのニュース番組と比較してもどれも似たり寄ったりの番組構成であるか、「エッジ」の効いていない退屈な解説を垂れ流しているに過ぎないものが大多数であると言える。多分、こうしたニュース番組を作っている人たちも、多忙で十分な取材が出来ないか、ひどい場合には下請けの番組制作会社に低価格で委託してしまっているのだろう。
ショーンK氏のような単なる「タレント」を何の疑いもなく「専門家」として起用してしまった点でも判るとおり、日本のニュース番組の取材能力の欠落と信頼性の欠如が図らずも露呈してしまったことこそが、今回の問題の背後に潜んだ最も重大な反省点であるはずだ。ショーンK氏の過去の「実績」が次々とネット上から抹消されているようだが、そんな彼の個人的かつ微視的な問題が本質なのではない。報道番組の信頼性が喪失するという事は、日本の民主主義の根幹である国民の「知る権利」を揺るがせることに繋がりかねない深刻な危機なのである。
茂木健一郎氏ら「識者」の方々には、彼らの「知人」(あるいは「同僚」か「同類」)であるショーンK氏の個人的かつ微視的な問題に優れた思考力を囚われることなく、物事の本質をもっと良く認識した上で慎重な発言をすべきではないだろうか。報道番組でコメントする「専門家」は、朝のバラエティー番組でコメントする「タレント」とは、国民の「知る権利」に対する向き合い方において、その責任の大きさの度合いが遥かに異なっているのだから。筆者は、専門家としてかつて報道番組でコメントした経験を持つ者の1人として、ショーンK氏の今回の経歴詐称問題を受けて身につまされてそう感じたのである。
だがその一方で、ショーンK氏を今回の失敗だけで社会から完全に抹殺してしまうのには筆者は反対である。彼は、本質的にニュース解説をすべき「専門家」などではなく、テレビ「タレント」なのである。つまり、今後ショーンK氏は、1人の「タレント」としてご自身の天分のある芸能活動に専念すればよいのではないだろうか。
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