2016年8月30日火曜日

ポール・ウォルフォウィッツ、米大統領選でヒラリー・クリントンに投票検討という記事に関する感想

 27日付のCNNの記事で、ブッシュJr政権期に2003年のイラク戦争開戦を主導したとされるネオコン(neo-conservative=新保守主義派)の代表格であるポール・ウォルフォウィッツ元国防副長官が、26日付の独誌シュピーゲルのインタビューの中で118日の米大統領選本選では共和党候補のドナルド・トランプ氏ではなく、民主党候補のヒラリー・クリントン氏に投票せざるを得ないだろうと言及したことを報じている。

そもそもウォルフォウィッツ氏は、力による正義と(民主主義や自由などの)価値の拡大を掲げる介入主義的な新保守主義の立場に依拠する論客であり、米国第一主義(America First=不介入主義)と反グローバリズムを掲げる原保守主義者(paleo-conservative、パレオコン)の立場に立つトランプ候補とは、同じ保守主義(共和党)陣営に属するとは言っても全く逆の思想的背景を持っているから、こんなことを言明するのも当然と言えるだろう。

 今回の米大統領選をめぐる政治的背景としてよく言われていることに、ポスト冷戦期に大いに進展したグローバリズム(つまり、ヒト、モノ、カネの自由移動による貧富の格差の拡大)の結果、米国内の白人中間層が没落して政治的な分極化が生じたことが挙げられる。

それは従来の大きな政府と小さな政府をめぐる民主党と共和党間の左右イデオロギーの対立によるものではなく、むしろ2008年のリーマン・ショック以降明らかになった資本主義社会、あるいはマーケット・エコノミーにおける「勝ち組」と「負け組」との間の激烈な感情的対立に伴うものなのである。

 トマ・ピケティが指摘したように、現在のアメリカでは上位1%の富裕層が富の4分の1を独占しており、「トランプ現象」を支持しているかつての白人中間層は今や非正規労働者等の低所得層に陥ってしまい、その怒りの矛先をヒラリー・クリントンに代表されるような東部のエスタブリッシュメントや、(不法)移民たち、さらには日本などの同盟国にさえ向け始めている。

 トランプの公約はわずか7つだけであり、彼の思想は保護貿易主義と言える。その主張はゼロ・サム思考に立っており、短期的な損得勘定を重視していて日本など相手側と長期的に信頼関係を構築していこうとする発想が見られない。そうした発想が、メキシコ政府に壁の建設費用を負担させるとか、日本の防衛費負担増大がなければ在日米軍を縮小・撤退させるといった安保タダ乗り論につながっていると言えるだろう。トランプの外交政策は通商問題に還元された単純かつ稚拙な内容で、ウォルフォウィッツのようなネオコンの立場から見れば、政策的に無意味で逆に危険な主張に映るものだろう。

 ただ、歴史的に見ると、もともとアメリカの保守主義の潮流は5つないし6つの派閥に分裂しており、いわゆるアメリカ版保守合同は、実は1981年のロナルド・レーガン政権誕生によってようやく実現したものに過ぎないのである。そして、それは反共主義だけを共通目標に掲げた「連合」であっただけなのだから、ポスト冷戦期に入るとたちまち瓦解して、再び以前のように分裂したというのが実態なのであろう。

 アメリカを代表する保守思想史の権威であるジョージ・ナッシュが、『中央公論』8月号に「アメリカ保守を破壊する“トランピズム”の意味」という講演録を発表している(同上、80-85頁)。ナッシュ博士によると、アメリカの保守主義は多様な潮流がつくる連合体であり、それは、外交では孤立主義の伝統に立ち、政府の介入を極力否定し市場経済と個人の自由を徹底追及する「リバタリアン」(libertarian)、道徳相対化に抵抗して宗教・倫理的な伝統への回帰を主張する「伝統主義者」(evangelical)、そして、左翼からの転向者も加わった「反共産主義者」が保守主流派であるということだ。

 筆者の見方では、ニクソンやキッシンジャーに代表される現状維持・勢力均衡重視の武力行使に慎重な外交姿勢を追及する、対外政策上の「保守穏健派」も存在すると考える。いずれにしても、「ネオコン」や「パレオコン」、さらには草の根宗教覚醒運動の「宗教右派」や「社会問題保守」などは、いずれも保守本流とは言い難く、保守派内の少数派に属しているようである。これらの各派閥の間で、1991年のソ連崩壊で反共産主義の結束が緩むとともに対立が再燃したとナッシュは分析する。

 問題は、トランプも属するとみられるパレオコンが、保守陣営の伝統にそぐわないナショナリズムとポピュリズムの融合体であるナショナリスト・ポピュリズム、すなわち、ナッシュの定義するところの「トランピズム」を保守主義に持ち込んで、白人中間層のエリート層に対する怒りを煽り、対外的に敵を求める危険な姿勢を助長していることである。

パレオコンの代表は92年の大統領予備選に参戦したパトリック・ブキャナンだが、2008年の世界金融危機以後明白になった、無制限のヒト、モノ、カネの移動とセーフティーネットを欠く貧富の格差拡大が、経済の停滞と高失業率、難民と移民の流入、そしてテロの危険の増大を解決できないエスタブリッシュメントに対する反対と反知性主義の台頭を招いていることが、90年代と現在の「トランピズム」の時代との相違であると言えるだろう。

 だが、11月の大統領本選を考えてみた場合には、有権者全体のうち約3分の1を占めるヒスパニックや黒人などのマイノリティ票を相当獲得できない限り(それはほぼ期待できないだろうが)、トランプがヒラリーに勝つ可能性は極めて小さいことも間違いないところだろう。トランプの支持基盤は白人男性の労働者層であるが、彼の女性蔑視発言もあって白人女性票の獲得もなかなか困難な状況ではないだろうか。

 トランプに対するヒラリー・クリントンとしては、2012年大統領選でのオバマと同様に非白人マイノリティ票の8割程度を獲得できることを前提に、11州あるともいわれる浮動票の多い激戦州(スウィング・ステイト)のいくつかを制することができれば、女性初の米大統領就任の道が開けてくるだろう。

ただ、彼女の国務長官時代の私用メール・アドレス利用問題が再燃する恐れも、いまだ否定できないと筆者は考える。我が国の安全保障上は、支離滅裂なトランプではなく、経験豊富なヒラリーが大統領選を制した方が勿論明らかに好ましいが、なお本選当日を迎えるまで予断を許さないことは日本人も心しておいた方がよいと思われる。

2016年8月17日水曜日

ハフィントンポスト、鳥越俊太郎氏、都知事選後独占インタビューに関する感想

 公私混同疑惑問題で引責辞任した舛添要一前都知事の後任者を選ぶために実施された東京都知事選は731日に開票され、自民党公認を得られなかった小池百合子元防衛大臣が2912千票余りを獲得して女性初となる新都知事に当選した。これに対し、民進党や共産党など野党各党の統一候補として推薦・支持を得ていたジャーナリストの鳥越俊太郎氏は1346千票余りの獲得投票数にとどまり、小池氏にダブルスコア以上の大差をつけられて結果的に惨敗した。

 その鳥越氏が810日、都知事選を振り返ってハフポスト日本版の取材に応じたのだが、それがまたネット上などで批判を浴びている。批判の主なものは、鳥越氏が事前の準備もせず都政について不勉強のまま、710日に行われた参院選で与党自民党が勝った結果を受けて、もっぱら安倍政権に国政上対抗する目的で急遽都知事選に立候補したという政治的脈絡の無さや、氏が「ペンの力って今、ダメじゃん。」と、ジャーナリストを自称しているにもかかわらず自己否定しているような突っ込みどころ満載な点にあるようだ。

だが、筆者が記事を読んでみた感想では、鳥越氏が政治指導者としても知識人としても最も資質に欠けて問題であるのは、彼が物事を突き詰めて考える知的誠実さを持ち合わせていない点にこそあると思われる。

 例えば鳥越氏は、「報道の現場の仕事をしていれば、何か月もかけて物事に精通するとかではなく、本当に急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない仕事してきているわけ。50年間。だから」都知事に就任してから勉強しても心配ないし、「出馬会見ではそういう風に言わざるを得ないじゃないですか。」というわけだが、これではいかにも課題山積で停滞する都政を変えてほしいという、多くの都民の期待に応えようという姿勢が氏には根本的に欠落していると言わざるを得ないだろう。

 その次に例の「ペンの力って今、ダメ」というジャーナリストとしての自己否定発言が出てくるのだが、「だって安倍政権の跋扈を許しているのはペンとテレビでしょ。」というわけで、選挙の中で訴えるという一つの手を打ったというのが鳥越氏の出馬理由らしい。だが、この点についても筆者は鳥越さんの認識不足が垣間見えると考える。

 筆者の見立てでは、安倍政権の(鳥越氏の言うところの右傾化の)跋扈を許しているのは、日本ジャーナリズムの力不足というより、ポスト冷戦期のアメリカの力の衰退と中国の台頭という、我が国周辺の安全保障環境の変化の影響の方がずっと大きいだろう。さらに言えば、そのシーパワーと英語というソフトパワーで19世紀以降の国際主義を推進してきたアングロサクソン人の内部で、イギリスがEU離脱を国民投票で決定したり、アメリカ国内でトランプ現象が生じるなど、かつてない程の内向き志向が強まっていることが日本の戦後安全保障体制を揺るがせていることに大きな要因を見出すことができるのである。つまり、鳥越氏の見方は表層的で浅薄なのである。

 鳥越氏の知的誠実さの欠如は、「候補者って要するに、街宣の時にしゃべる駒だから。」と自ら政党の傀儡であることを臭わせたり、ニコニコ生放送の候補者討論会や池上彰氏の開票特番を欠席したことも「選対の部分でカットしているから、なぜか僕は全く知らない。」という、都知事候補者としては全く無責任としか思えない発言からも十分に窺うことができるだろう。

 また、週刊文春と週刊新潮が立て続けに報じた自身の女性スキャンダルへの対応として告訴という公権力の利用をもっぱら手段として、自ら説明責任を果たそうとしなかった点についても、鳥越氏は「説明責任というのは美しい言葉だけど、・・・(中略)・・・(冤罪に関する無かったという「悪魔の証明」は不可能であるから―筆者注)何の意味もないですよ。」と断言している。これでは、彼のジャーナリストとしての誠実さも否定すべきであろう。

 さて、肝心の都知事選に当たっての鳥越氏の選挙公約については、「待機児童ゼロ、待機高齢者ゼロと原発ゼロ、三つのゼロ、と一本の旗。一本の旗というのは、非核都市宣言」ということだったそうだ。だが、氏の掲げた三つのゼロ政策の実現に関する財源の捻出等に関する具体案の提示はなく、ただのスローガンの提示だけだったようだ。

 待機児童の問題については、現場に行って「保育士からいろんな話を聞いて」わかって語れる自分がいたと鳥越氏はいうが、聞いた話は「あなたの手取りいくら?」といった部分的な保育士の待遇改善などの問題だけで、当該問題に絡む複雑な理論的あるいは構造的要因を理解しようという知的努力は何らしなかったようである。これも氏の表層的で雑な理解に基づく議論の展開に過ぎなかったのだろう。

 鳥越氏のリベラリズム理解についても、大いなる欺瞞が潜んでいると筆者には感じられた。氏は衆院選でも参院選でも改憲勢力に3分の2を取られたことに戦後日本社会が「落ちるところまで落ちたな」と大いなる危機感と義憤を抱いているようだが、そもそもリベラリズムの前提は、国家という公権力(ホッブズの言う「リヴァイアサン」)が最低限、市民社会の安全保障を確保することによって成立している。

鳥越氏の過去の発言から考えると護憲を唱える一方で自衛隊の存在を黙認して、事実上アメリカの核抑止力によって日本の安全保障を維持しようとしているに違いない(ご本人には、その認識すら無いだろうが)。それでは集団的自衛権行使に関するいわゆる「解釈改憲」で現状を切り抜けようとしている保守勢力の一部と、突き詰めて考えた場合の結果は同じだろう。鳥越氏の唱えるリベラリズムは、全く欺瞞的だといえる。

 今回の都知事選で棄権した4割の有権者が、「自分たちの将来、生活について何も思っていないんですよ。」「何となく毎日これでいいんじゃん?」と考えて棄権したとする鳥越さんの認識も眉唾で、有権者を舐めた発言に筆者には思える。問題は棄権者が都政に積極的にクレームをつける意思に欠けていたのではなく、鳥越氏も含めてろくな候補者がいなかったことに対する消極的クレームの意思表示が、棄権という投票行動に現れたと見なすべきではないか。

 いずれにせよ、筆者にはこのような知的誠実さに全く欠ける、浅薄な考えしか持ち合わせていない鳥越さんが都知事に当選しなくて、一都民としてほっとしているのが実情なのである。

2016年5月12日木曜日

YAHOO JAPAN! ニュース5月10日「結婚したくないのか、できないのか~揺れるキャリア女子」についての感想

 久しぶりで婚活問題についての記事が出たので、今日は上記テーマについて筆者の感想を述べてみたい。その前に、今大問題になっている舛添要一都知事の政治資金私的流用疑惑について、一言論評しておきたい。

 当該問題は、昨日発売された週刊『文春』第二弾舛添氏追及記事で報じられた。その概要は、舛添氏の政治団体が氏の都知事就任前の2013年から14年の時期に、舛添氏の私的な家族旅行や飲食費、さらには個人的趣味である絵画関連の出費について、それぞれ政治資金から「会議費用」や「備品代」等を名目に相手から領収書を切ってもらい、経費として処理していたという事である。

 これが事実であるならば、政治資金収支報告書の虚偽記載に当たり、舛添氏は故意であったならば政治資金規正法上の犯罪行為を行っていたことになる。公訴時効は5年であるから、刑事告発は免れず、既に今日の時点で東京地検に告発がなされたようである。

 舛添氏は今日宇都宮市で開かれた関東地方知事会議に出席した後、記者団に対して「全力を挙げ、(13日の都庁での定例記者会見での説明)に間に合うよう(事実関係の精査に)努力している」と述べたようだが、これは氏にとっては都知事辞任を免れるのは極めて苦しい状況だろう。

なぜなら、2年連続で「会議費」を支払った木更津の温泉リゾートホテルで、正月3が日に大規模な会議を開催したこと自体がまず有りえないし、ホテル関係者の証言でもそんな事実は無かったと報じられているからだ。

舛添氏が刑事責任だけは何とか回避したいとするならば、直ちに辞職して問題となっている金額を全額返還して反省の弁を述べ、社会的制裁を自ら甘んじて受けるしかないだろう。野々村竜太郎前兵庫県議の様な下手な悪足掻きの弁解をすると、東京地検特捜部の捜査が入って、氏の刑事責任(政治資金規正法違反および業務上横領容疑)が追及されることになりかねないはずである。そもそも一般公務員が舛添氏の疑惑同様なことをしたら、一発で懲戒免職となるほどの重大事件だからだ。

 大体、事務所で精査するも何も、本件では、自分で2年連続してホテルから領収書を切ってもらった時点で、ほぼ舛添氏の故意が認定される事案ではないかと思われる。それにしても、彼の税金に対する感覚は全く麻痺しているとしか考えられない。こんなことをして、最後までばれないと舛添氏が高を括っていたとすれば、彼は本当の馬鹿者か、エリート意識が高じて政治感覚が麻痺しているとしか言いようがないだろう。いずれにしても、明日の定例記者会見の場での舛添氏の説明が注目される所である。

 さて、前書きが長くなったが、本題のテーマに戻りたい。婚活問題については、我が国の少子高齢化と衰退に直結する大問題なので、本ブログにおいても昨年来何度か筆者の見解を述べてきたが、標記の記事についてもいろいろな現状分析が可能であると思えた。

 記事によると、東京都在住の30代前半女性の未婚率は42.7%であるとのことだ。この数字が果たして大きいと言えるのか、地方におけるデータと比較して見なければ全体像は明らかでないが、少なくとも東京在住の30代キャリア女性については婚活に踏み切る最終期限が、30代前半頃にあるという事は言えそうである。

 なぜなら、筆者の個人的経験から言っても、一般的な男性であれば39歳、女性であれば34歳頃を境に生涯未婚に陥ってしまうパーセンテージが一気に跳ね上がってしまう感じが否めないからである。身も蓋もない話であるが、女性が結婚に踏み切る動機として、子供が欲しいと強く望むことが重要であると思われるからだ。この点は、記事に述べられているとおりであると筆者も共感できる。女性が子供を産むことを考えた場合、生物学的に30代前半までに結婚相手を見つけることは重要な要因となるだろう。

 そしてその場合、相手の男性は40代未満であることが望ましいようだ。筆者のケースで言えば、実際に結婚したのは、なかなか生活が安定せず晩婚が多い研究者のご多分に漏れず、ギリギリ期限内の39歳の時であった。その時は、彼女、つまり今の奥さんはいわゆる大企業勤務の7歳年下であった。したがって、筆者のケースでは夫婦いずれも何とか婚活成功の期限内に収まった事例であるということが出来るだろう。

 標記記事にもあるように、最近の30代前半婚活女性の相手側男性に対する条件提示はなかなかシビアである。まず、多くの場合「大卒・年収600万円以上」という高い壁が男性側に求められる。これは記事の中でも指摘されているように、25歳から34歳位までの婚活同世代の中では、ほんの5%程度の上位層に属する男性達なのである。したがって、この条件をクリアできる男性とうまく遭遇できる女性は極めて限られていると言えるだろう。

 実際、筆者のケースで言えば、婚活の競争相手であった男性陣はなかなか強力な面子であって、現妻の自己申告によると筆者の他に2人いたのであるが、そのうち1人は弁護士、もう1人は医師であったとのことである。恐らく年収条件では、筆者が最下位であっただろう。

 さらに年齢および年収条件をクリアしたとしても、次にキャリア女性が求めてくるのがYAHOO!の記事にもあるように、男性側の「家事分担」能力と、それと裏表の関係にある、女性が「私のキャリアをつぶさないで」という「仕事への理解」能力なのである。

 これが女性のパートナー選びの際の条件として、現在非常に重要な要素を構成していると標記記事には述べられている。これは、十数年前の筆者の婚活時期にも、既にキャリア女性の間で現れつつあった現象であると言える。

なぜなら、筆者の現妻が、実際その旨を当時パートナー選びの最重要条件に提示していたからである。年収条件では恐らく筆者を大きく上回っていたライバルであったロイヤー君とドクター君が最終的に婚活競争に敗北した最大の原因が、実はその点にあったのである。というのも、筆者の当時のライバル両名は、彼女に専業主婦になることを要求したらしい結果、彼女の選択肢から脆くも脱落したらしいからである。

 ではあるが、実際のところロイヤー君やドクター君の様な職業についているエリート層にとって、彼らの仕事の忙しさから考えて、妻との家事分担や配偶者の仕事への理解は、頭では理念として認識していたとしても、彼らが現実に実行することは恐らく非常に困難であっただろう。

彼らと比較すれば格段に時間の融通の効く研究者の立場であった筆者だからこそ、端から彼女に仕事を続けるべきだと勧めていたし、家事分担も掃除や洗濯については平等に担当する旨を当時から表明できたのである。年齢制限ギリギリで、筆者がパートナー選びに比較的円滑に成功できた最大の要因は、恐らくこの点にあったことは間違いないだろう。

 であるならば、現時点での婚活においては、男性側は状況の許す限り結婚後の家事分担を実行することを予め表明しておくべきであろう。逆に女性側としては、男性側に求める年収条件を緩和して、600万円以上などといった上位5%のハイレベルを要求せず、比較的年収が低くとも時間的余裕のある相手を見つけるように努力すべきだろう。

 実際に東京で子供を産んで円満に育てるためには、以前の投稿でも述べたとおり、筆者の感じでも世帯年収で最低600万円は必要な気がする。しかし、その年収全てを男性側に一方的に条件提示するのはやや無理があるだろう。結婚後の家事分担の平等を女性側が重視するならば、男性側に求める最低年収条件を400万円位に引き下げるとともに、結婚後の共働きを前提とするのが妥当な線と言えるかもしれない。この点についても標記記事には最後の項で示唆されており、その意味で筆者も頷ける内容であったと感じたのである。

2016年4月28日木曜日

舛添都知事の都市外交と海外出張豪遊問題に関する感想

 先の投稿で、筆者は舛添都知事の公用車利用による別荘送迎問題について感想を述べたが、今度は少し前に問題視された、舛添さんの都市外交と海外出張豪遊問題についての感想を述べてみたい。

 実は筆者の様な研究職公務員もかなりの頻度で海外出張を経験してきたが、その場合には必ず現地での訪問者のアポ取りを数か月(少なくとも3か月、多くは6か月くらい)前から実施しておく必要がある。筆者のような研究者の場合、海外研究機関や研究者とのネットワークがあるから、電子メールで直接先方とコンタクトを取って比較的容易に訪問調整をすることが出来る。

 したがって、現地日本国大使館に対して接遇支援を依頼することなど、ほとんどない。そういう意味では、研究職の公務出張は割と気楽にできるのだが、それでも調整には3か月くらいの時間は必要である。公務出張では通常の赤い個人パスポートではなく、公用パスポートを事務方が外務省に申請してそれを出張時に携帯する必要があるのだが、その発行手続きの関係からも数か月の時間が必要なのである。

 舛添さんの公務出張の場合、その頻度を年間4回、つまり3か月に1回程度を考えると、知事を補佐する担当部局である都の政務企画局の職員はほとんど年がら年中、都知事の外国訪問先との調整に追われている実態があるのかもしれない。そして、彼らの場合、我々研究者とは違って電子メールで簡単に訪問調整できるわけでは決してないだろう。

 おそらく、現地日本国大使館の接遇支援を都から依頼する場合が多いのではないか。その点を考えると、豪遊問題の本質が見えてくるように筆者には思えるのである。なぜなら、現地大使館としては国の外交を担当する立場にあるわけでもない都知事の接遇を、全力かつ本気で支援するとは到底思えないからだ。

 実は筆者も、10年以上前に、外交官パスポートを貰ってある外国の日本国大使館に勤務した経験がある。その場合、当然のことながら地方自治体の首長御一行が来訪することなどほとんどなく、彼らのために接遇支援をした経験も全く記憶にない。

 つまり、いくら舛添都知事本人が都市外交を提唱して自分は英語やフランス語が得意だと力説しても、地方自治体の首長に多忙な時間を割いて面会してくれるような暇な要人は滅多にいないのが実態であろう。そんな無駄な仕事のために現地の日本国大使館が全力投球するはずもないし、相手側の政府要人のアポを抑えることも現実には難しいと思う。

 したがって、都知事の訪問調整そのものの大部分は、外交経験不足の政務企画局が押し付けられているのが実態ではないかと思う。その結果、現状の3か月サイクルでは相手国訪問先のアポはなかなか取れないし、日程をタイトに詰め込むことも本来出来ないから、無駄な空港貴賓室を借り受けての舛添知事の待ち時間の暇つぶしや、あまり意味のないスウィートルームでの記者会見などを頻繁に出張日程に入れざるを得ないのではないか。

つまり、舛添さんが提唱している地方自治体首長の都市外交など、外国現地の訪問先にとっては、多忙な時間を割いてまで優先する程の重要性を最初から伴っていないのだろう。結局、都知事が出来る都市外交とは、植樹やシンクタンクでの講演、現地での記者会見、そしてパレードへの参加など、ほとんど儀礼的な内容の日程しか組み込むことは出来ないのが実態なのではないだろうか。

 筆者の様な一般公務員でも、欧米に公務出張する場合には、旅費規定上はビジネスクラスを利用することが出来ると聞いたことがある。しかし、我が国の財政上の経費削減の観点から、一般公務員の公務出張は原則的に通常料金のエコノミークラス利用であるし、大臣を含む特別職の場合でも公務出張である以上ビジネス位の利用までである。安倍総理大臣など政府要人が、政府専用機を外国出張に使うことが出来ること位が公務出張における例外ではないか。

 それを舛添都知事がファーストクラスを恒常的に利用しているというのでは、都の旅費規定上の問題は仮に無いとしても、自ら慎んでビジネスクラスの利用に格下げすべきであろう。また、記者会見に用いること位しかない現地一流ホテルのスウィートルーム利用については、都条例の宿泊費限度額約4万円の規定を5倍程度超過しているのだから、今後は直ちに中止すべきだろう。

そもそも、都の人事委員会では、都民の批判を浴びて自分達の責任問題になりかねないような、都条例で規定された都知事の宿泊費限度額オーバーの承認など、端からしているわけはないと筆者は考える。実態としては、多分、政務企画局が起案した予算執行計画案の書類に関して、言い訳程度に都の人事委員会に諮っているという程度の簡単な手続きしか踏んでいない可能性が高いと思う。

 筆者の外国出張の経験では、現地訪問先で相手側との実質的な意見交換をする日程をタイトに組み込んでいないような、曖昧な事前調整しかできない程度の公務出張は、ほとんど税金の無駄遣いである。政策効果は、ほとんど期待できないといっても過言ではない。

 舛添都知事の都市外交に関する公務出張については、現在の報道から筆者が感じるところでは、その費用対効果のバランスが大きく崩れているような、政策効果の乏しいものであるという残念な感想を抱かざるを得ないのである。

舛添都知事の公用車による別荘送迎問題に関する感想

 今週発売の『週刊文春』は、舛添要一都知事が2015年内にほぼ毎週末に計48回、自身が経営する舛添政治経済研究所が神奈川県の温泉地湯河原に所有する別荘に公用車を使って出向いていたことを批判するスクープ記事を掲載した。今日はこの問題について、筆者の感想を述べてみたい。

 まず、公用車を自宅との送迎に専属で利用できる立場にあるのは、各省庁で言えばいわゆる「政務三役」(大臣、副大臣及び大臣政務官)等の特別職に当たる幹部公務員だけである。都知事は当然特別職だが、今回の問題発覚で筆者がまず気になった点は、舛添知事が世田谷区にあるご自宅に立ち寄った後、改めて湯河原の別荘に向かうことが多かったと指摘されている点がある。

 なぜなら、公用車の使用に当たっては、舛添さんが釈明したように、出発地あるいは到着地のいずれかで実際に公務を行っていれば、規則上の問題は生じないからである。したがって、都庁で金曜日に公務を行った後に舛添さんが別荘に直接向かったのであれば、原則として問題にならないはずである。この点については、いずれの報道でも問題視していないようである。

 だが、筆者が疑問に感じたのは、知事がいったん自宅に立ち寄ってから改めて湯河原に向かうことが多かったといった点である。なぜなら、常識的に考えて自宅まで公用車が送った以上、そこから都庁に自動車を返す必要があるはずだからである。舛添氏が自宅からさらに別荘まで送らせたということになると、知事の自宅を新たな出発地と見なせばそこで公務を実施するはずはないから、到着地である別荘を公務地であると、どうしても強弁せざるを得ないことになるだろう。

 実際、今日の定例記者会見における舛添都知事の釈明では、別荘で静養していることを事実上認めたようだが、同時に公用車は「動く知事室」であると述べ、また、別荘に資料を持ち込んで公務をしていると昨日述べている。これは、彼がいったん自宅を経由していることが多かった事情から、到着地の温泉別荘で公務をしているとどうしても説明せざるを得ない事情が絡んでいると筆者は見ている。

 次に筆者が問題だと感じたのは、毎週末の頻度で隣県である神奈川県最南西部にある湯河原の別荘まで、金曜日午後2時半ころに都庁を出発していた点である。筆者の見るところ、都の最高責任者である都知事が金曜の真昼間から執務室にいないという事では、恐らく重要書類の決裁がかなり滞ってしまうのではないかと考える。

 都知事の決裁業務がどの程度のものなのか即断できないが、役所という所は、どこでも決裁権者の承認のハンコが貰えなければ業務を遂行することが一切出来ないものである。しかも、筆者の経験上からも、金曜午後は土日の休日を挟んで2日の間が空くことから、割と決済を週内に貰ってしまおうとして公務繁忙なことが多く、その時に肝心要の決裁権者が不在では、結局翌週初めに都知事が登庁してくるまで、あるいは非常に重要かもしれない仕事を開始できないことになってしまう不利益がある。

 今回の舛添都知事の金曜午後早くからの湯河原行きが、都庁職員内部からの『文春』に対するリークによるものであるらしいことから考えても、都庁職員内で金曜午後に知事の決裁が取れず、仕事が停滞して憤慨している人が少なからず存在していることをうかがわせるのである。

 また、昨日来の報道でよく耳にするのが、危機管理上の問題である。確かに都知事が毎週金土日の3日間都内に不在であって、自動車で到着するまで渋滞が無くとも約2時間はかかる湯河原に居るというのでは、いざ災害やテロが東京で起きた時に対応が著しく困難になってしまうだろう。筆者も本来神奈川県人で、湯河原温泉には時々自家用車で行くことがあるが、はっきり言うと小田原までは都内から比較的スムーズに行けるが、そこから先の真鶴と湯河原の間は海岸線に山が迫っていて道路がほぼ一車線しかなく、ゴールデンウィークなどには軽くその間を走行するのに1時間くらいかかってしまうほど渋滞する。

 この点、舛添都知事は都内の奥多摩から都庁に戻るより湯河原から戻る方が早いと言い訳していたが、筆者の実体験では全くそんなことは無い。渋滞に引っかかれば、下手をすると湯河原から都内に戻るまで、4時間くらいかかってしまうことも決して珍しいことではないだろう。

 ともかく、都知事の職にある以上、24時間都内に在住していることが公的責務であると舛添氏は認識を改めるべきだろう。もし、東京で熊本や大分が現在見舞われているような震度の直下型地震が土日曜日に起きた場合を考えると、舛添氏がいかに問題は無いと強弁しようとも、彼がスムーズに都内に帰還できる確率は非常に少なくなる。

3人の副知事がたとえどんな完璧な体制下にあって輪番で不在の知事を補佐しているとは言っても、災害やテロが現実に勃発した際の混乱した状況下に自治体最高責任者の知事が不在ということでは、都が迅速かつ一元的な対応を講じることはほとんど不可能となってしまいかねない。もしそうなれば、舛添さんの政治生命は即座に失われてしまうことにもなりかねない。舛添都知事ご本人は、そういったリスクを真剣に考えたことがあるのだろうか。

 これは、知事の別荘との送迎に係る公用車利用を、タクシーでの往復運賃に換算して約400万円に上る血税の無駄遣いであるといった観点からの批判よりも、はるかに重大な問題であると筆者には思われてならないのである。

2016年4月26日火曜日

国家公務員フレックスタイム制導入に関する感想

 男女共同参画社会とワークライフバランス(仕事と家庭生活の調和)の実現を促進する目的で、安倍政権が人事院に対して検討を要請(平成261017日「国家公務員の女性活躍とワークライフバランス推進のための取組指針」)していた事務職を含む一般職国家公務員全員を対象とした所謂フレックスタイム制の本年度からの導入が、国家公務員勤務時間法が改正されることによって実現した。民間、特に中小企業での導入がなかなか進んでいない同制度について、まず国家公務員から率先垂範することが、今回の法改正の背後に意図されているのだろう。

 だが、厳密に言うと、一般職国家公務員には労働基準法が適用されていないため、同法上規定されている労使協定によるフレックスタイム制ではない。あくまでも制度の適用を希望する公務員自身が申告した場合で、かつ、公務の運営に支障が無い範囲内において、始業および終業時刻について当該申告を考慮したうえで使用者側(官庁)の判断で勤務時間を「割り振る」制度であるに過ぎない。

 そうであるとは言いながら、筆者は同制度の導入に賛成である。それは、安倍政権の意図するようなワークライフバランスの推進に必要な労働時間の短縮に直結するからではない。筆者が肯定的に評価しているのは、勤務時間を個々の裁量で変更することにより、通勤ラッシュアワーに巻き込まれることに伴う疲労の蓄積と痴漢冤罪のリスクを軽減することが可能となる点についてである。

 実際問題として、筆者の様な研究職国家公務員には、すでにフレックスタイム制が導入されていた。だが、現実問題として同じ職場に勤務している事務方が従来型の勤務体系に置かれていた関係上、周囲の視線を気にして、これまでは一部の研究職員しか同制度を活用し切れていなかったのである。しかしながら、今回ほぼ全ての職員が制度適用対象となった以上、筆者も大手を振って制度の適用を申告できることになる。

 特に体質的に夜型である筆者のような人間にとっては、昨年78月に安倍政権が提唱して全省庁に原則適用された事実上の12時間早出勤務サマータイム制度「ゆう活」が苦痛でしかなかったこと、また「ゆう活」しても残業は一向に減らなかった現実を踏まえて考えれば、遅出勤務が出来るフレックスタイム制の方が遥かに健康的なのである。

 ところが、この筆者の個人的には好ましい制度についても賛否両論が対立している。特に国公労連が、鋭く制度の導入に反対していた。その見解の主だった内容は、つまり、フレックスタイム制は業務量の調整や労働時間管理が徹底されない限り、却って長時間・過密労働に繋がり、政府や制度を構築した人事院が提唱しているような「ワークライフバランスの充実による職員の意欲や士気の向上」や「効率的な時間配分による超過勤務時間の縮減」などは絵に描いた餅に過ぎず、到底実現することはできないという点にあるようだ。

 また、主として出先機関での窓口業務を想定しているのだろうが、フレックスタイム制の導入によって職場が混乱し、国民に対するサービス低下につながりかねないという、真っ当な反論も出されている様である。

 筆者が思うに、国家公務員の大多数を占めている出先機関の職員にとっては、そう易々と研究職のようにフレックスタイムを申告することは出来ないだろう。特に古いタイプの課長がいるような職場で、もしも若手がそんな「暴挙」に出たならば、たちまち村八分状態に陥ってしまうかもしれない。

それが、専門的で個々の裁量権が相当程度認められた研究職を除いた、一般的な事務方公務員村の恐らく偽らざる現実であろう。個人のワークライフバランスよりチームワークの和を決して乱さないことが、今も変わらぬ事務方の掟なのではないかと思われる。

国公労連の反論では、フレックスタイム制が導入されれば、勤務時間管理に膨大な労力が必要となり、現行の体制では複雑な労働時間管理が困難であるため、職員の健康管理がかえって蝕まれるという「こじつけ的」な議論も提示されている。これは多分、上司が部下の労働時間を個別に管理するのが「かったるい」というのが、裏に潜んだ彼らの本音なのだろう。

なぜなら労働基準法上の本来的意味でのフレックスタイム制では、1日単位や1週間単位で残業計算をする必要が全く無く、4週間の合計労働時間からその期間における所定労働時間、つまり、国家公務員の場合で言うと1週当たり38時間45分×4155時間を引き算するだけで、きわめて簡単に計算できてしまうというメリットがあるからである。

つまり、本当に面倒くさいのは、上司あるいは勤務時間管理者が職員の申告した勤務時間を考慮しつつ、エクセルシートに時間を「割り振る」作業なのである。これは本当に目がチカチカして、職員全員から申告されようものなら担当者は堪ったものではないと言えるだろう。

 そこで、以下ではもう少し冷静になって、フレックスタイム制のメリットとデメリットについて考察してみたいと思う。

 まず、これは時差出勤の場合も同様であるが、フレックスタイム制導入による仕事上のメリットとして、先に述べたとおり、何と言っても通勤時の疲労と痴漢冤罪リスクの軽減に大いに資することが挙げられるだろう。

 職員個人としては、さらに遅出の場合には朝の余裕ができること、通勤ラッシュ時の不快感が減ること、あるいは通勤時間が短縮できる場合も考えられることがある。理論的には、フレックスタイム制で勤務時間に関する個人の裁量権の範囲が広がることによって、ワークライフバランスは向上し得るはずだろう。

 一方、フレックスタイム制のデメリットとして、次のような業務上の課題が生じることも事実である。すなわち、他の部署や外部との調整を要すること、会議の時間が全職員が勤務を義務付けられているコアタイムに限定されてしまうこと、窓口の業務効率と対応能力が低下する恐れがあること、複雑な勤務時間管理に伴う雑務が増加する懸念があること、そして、一同が会した朝礼もできないし、職場村社会における「けじめ」がつきにくいこと、といったところだろうか。

 さらには残業時間が減らないのは、生産性が低く、だらだら残業することを「良し」としてきた我が国のブラックな職場環境が根本原因なのであるから、その原因自体を除去しない限り、フレックスタイム制を導入して勤務時間を操作することだけでは残業時間はあまり減らないかもしれない。

 特に日本の霞が関の官僚たちについては、主として国会対応の関係から、終電までの長時間労働が恒常化しているのが実態なのである。彼らの立場に立って見れば、今回のフレックスタイム制の全面的導入についても、昨年夏の「ゆう活」と同様に、勤務の実態に合致しないために政策効果の薄い、政府の単なる掛け声倒れに終わってしまわないかと心配してしまうのも尤もなことだろう。

2016年4月20日水曜日

震度7(マグニチュード7.3)の地震災害と熊本城の堅牢さに関する考察

 気象庁は4142126分頃から始まった熊本・大分両県にまたがる活断層を震源地とする一連の地震の本震(16125分頃)について、今日、地震規模がマグニチュード7.3で最大震度7であった(益城町、西原村で計測していた)ことを発表した。なお、この本震では名城熊本城の聳え立つ熊本市内の震度は6強であったとされている。

 この熊本城は、明治101877)年に起きた西南戦争の際に222日から415日まで、谷干城が率いる熊本鎮台兵35百人程の兵力が、当初1万人以上の兵力で包囲した西郷隆盛を担いだ薩摩軍の攻撃から籠城して守り切ったことで、近代戦に耐え抜いた近世初期の堅城としてその名がつとに知られている。筆者も平成になってから、2回ほど、一度は家族連れで訪問したことがある。確かに非常に堅固な要害であり、間違いなく九州一の名城であろう。

 さて、その熊本城が、今回の熊本地震による災害で、武者返しの急勾配で有名な石垣や国から重要文化財に指定されている櫓など多くの建造物が倒壊する大被害を蒙っている。当城を約400年前の文禄・慶長年間頃に築城した「清正公」こと、藤堂高虎と並ぶ築城名人とされていた加藤主計頭清正も、自分の築いた居城がこれほどの大地震に見舞われることは想定外であったかもしれない。

 清正の築城術は、内枡形を重複させた複雑な梯郭式曲輪配置の縄張りや、近江穴太衆の技術を使った打込接ぎ乱積みの武者返しの石垣構築が特に目立つ特徴だろう。また、重複する内枡形以外にも、他の城には見られないほど多くの五階櫓を要所に配置して多重防御体制を作っている点にも注目できると思う。これら清正が作った多くの建造物が、今回の一連の地震災害の結果、無惨に倒壊するに至ってしまった。これらを完全に修復するためには、少なくとも10年以上の期間を要し、その費用も一説には100億円以上かかると見積もられているらしい。

 熊本城は、北から続く舌状台地の先端部である茶臼山という丘陵地帯に構築された平山城である。人工的に掘られた水堀は城内中枢部の南西部を固める飯田丸の西側にあって二の丸との間を隔てている備前堀だけであるが、城域の東側から南西に向かって流れる坪井川を事実上の内堀に見立てて築城されている。茶臼山は標高50mくらいだから、山麓の市内との比高は約40m程度である。

 縄張り自体は清正築城当時から薩摩島津氏の脅威を想定していたため、特に南側の防御が異常なほど堅固になっている。これに対して搦手である北側の防御体制が薄いと評されているが、筆者が実見した限りでは、熊本城の搦手側は空堀と高低差のある断崖で守られており、特段防御が薄いという感じは受けなかった。

むしろ、緩やかに丘が低くなっていく城の西側が熊本城唯一の防御上の弱点であったのだろう。実際の縄張りを見ると、本丸西側に西出丸が築かれて西大手門と南大手門が連続して城の中枢部への敵の侵入を困難にしているし、西出丸のさらに西側には清正時代には未完成であっただろうが、二の丸と三の丸が城内最西端に位置する段山まで連なって守りを固めていた。

 熊本城が実戦に見舞われた西南戦争の際には、この段山の攻防戦が鎮台側籠城戦の成否を決める激戦の舞台となっていたから、やはり攻城側であった薩軍も城の西側が防御上の弱点であると考えていたのだろう。薩軍は官軍よりも砲兵戦力で劣勢であったが、青銅製の前装ライフル砲であった四斤山砲などの砲座を井芹川西岸にある標高約132mの花岡山に据えて、城内を激しく砲撃したらしい。だが、花岡山からでは飛距離が遠すぎて、熊本城の石垣と櫓には有効な打撃を与えられなかった模様である。ちなみに四斤山砲は射程3mまでは届かない。

 今回の地震による熊本城の被害状況はまだ明確ではないが、今日までの報道によると、大天守と小天守周辺の石垣、戌亥櫓脇の石垣、最近再建された飯田丸五階櫓台の石垣、西出丸から本丸など中枢部に入る位置にある頬当御門付近の石垣が大きく崩れてしまっている。特に飯田丸五階櫓は、8段ほどの隅石(算木積みか)を残して土台である石垣が崩れて空洞になっており、今にも倒壊寸前の惨状にある。

 櫓群では、大天守と小天守の屋根瓦が鯱も含めてほとんど落剝している他に、本丸東側の帯曲輪である東竹の丸に連なっていた東十八間櫓と北十八間櫓の2つの築城当時から現存する重要文化財が共に土台の石垣もろとも倒壊してしまっている。なお、この両櫓の北に連なる五間櫓と不開門(いずれも築城時から現存)についても、倒壊したという情報があるが、報道写真から筆者の見た感じでは辛うじて残存しているようにも見える。

 竹の丸は城中枢部の南側にも帯曲輪上に広がっているが、そこと坪井川の内堀とを隔てている現存重要文化財の長塀についても、100m位が倒壊している。ただ、本丸西にある平左衛門丸の土台である高さ20m位の見事な高石垣の上に聳え立つ三重五階の天守級の大櫓である宇土櫓については、続櫓と壁の一部が崩落しただけでほぼ形状を残しているのが幸いである。この宇土櫓は、築城当時の内部にも入って見学することが出来る、城内随一の貴重な文化財であると言える。その土台の高石垣が崩れなかったことを考えると、もろくも崩れ去った帯曲輪である東竹の丸の石垣と比べて、この本丸および平左衛門丸の土台であった周辺の石垣は、加藤清正築城当時から特に堅固に構築されていたのかもしれない。

 加藤清正は、主君豊臣秀吉が晩年築城した指月伏見城の倒壊を、文禄51596)年閏713日に起きたいわゆる慶長伏見大地震の際に実際に経験している。この伏見大地震の際の地震規模についても、今回の熊本地震同様にそのエネルギーはマグニチュード7以上の直下型地震だったとされている。この地震の時には秀吉自身は無事であったが、伏見城内では、500人以上が死亡(圧死?)したと松平忠明が編纂したとされる『当代記』には記されている。

こうして考えてみると、文禄・慶長期に伏見城天守が倒壊した大惨事に比べた場合の今回熊本城が蒙った地震被害の程度については、それが軽微とは言えないまでも指月伏見城のように城自体を廃城しなければならない程の規模には至らなかったという意味において、城郭建築技術が秀吉築城時代と清正築城時代であるいは相当進歩していたのかもしれないと、筆者は感じたのであった。