2020年東京五輪公式エンブレムをデザインした佐野研二郎氏の様々なロゴなどのデザインが、他のデザイナーの作品を模倣したものではないかとの疑惑がこのところ世間を騒がせている。
研究者の端くれである筆者も文章を日常的に創作しているので、論文ではないが、この手の創作物の模倣問題については一定の関心を持って見ている。しかし、著作権法の構造も十分に理解せずに単に先行作品に「似ている」という自分の思い込みだけで安易に「盗作」であると決めつける無責任なレッテル張りをして、デザイナーの足を引っ張るようなことは厳に慎まなければならないだろう。
場合によっては騒動の無責任な拡大が、そのデザイナーの職業生命を奪ってしまいかねない大きな危険を孕んでいるからだ。そもそも著作権者でないものは本来利害関係に立っていないのだから、私見の表明は慎重に行うべきであろう。研究者の中にもその辺りの機微を余り考えずに、他人の著作物に対して直ぐ「無断引用だ、借用だ」と騒ぎ立てる愚かな人もいる。そもそも論文中の「引用」は、注を付けて無断で行うことが法的に認められているにも拘らず、である。
さて、佐野氏の問題の場合、論文と異なってロゴのデザインが専ら商業利用を目的としたものであろうから、金が絡むだけに権利侵害問題はより複雑になる。商業利用で無い研究・教育目的での先行作品の模倣の場合には、米国著作権法上、所謂フェアユース(公正な利用)が認められる可能性が高いからである。但し、フェアユースの場合でも著作権の所在を明示する必要はある。
1976年米国著作権法第107条に規定されたフェアユースが認められれば、米国内法的には他人の著作権を侵害していないことになる(その場合でも、デザイナーとしての佐野氏の倫理的責任は勿論問われる。特に先行作品を単に「トレース」した場合には、論文などで他人の著作物を「コピペ」したのと同様に厳しく非難されるべきだろう)。
今回のケースでは、佐野氏のデザインが自分の作品の模倣であるとして法的措置を検討しているデザイナーが、五輪エンブレム以外ではサントリー・キャンペーン賞品の場合も「おおたBITO太田市美術館・図書館」ロゴの場合も、それぞれアメリカのデザイナーであることから日米著作権法の当該問題に関する法的取り扱いの違いを理解して考える必要があるだろう。
佐野氏は部下の事務所スタッフがトレースしたとされるサントリーのキャンペーン賞品8点を既に取り下げているから、この部分に関して模倣されたと主張するベン・ザラコー氏らはもはやデザイン自体の使用差し止め請求はできず、損害賠償請求が出来るだけだろう。
その場合にも、日本の著作権法上保護の対象となるのはあくまでも創作性のある「著作物」であるから、トレースされた写真?の「著作物性」(創作性)が厳しく吟味されることになる。実際の裁判では、原告側の請求棄却となる可能性も相当にあるだろう。
また、先行作品の「著作物性」が仮に認められたとしても、トレースされた表現が先行作品を単にデッド・コピーしたものでない場合には、著作権者の「翻案権」を侵害したかどうかが改めて吟味されることになるが、その判断も非常に難しいものとなるだろう。筆者の見立てでは、日本でこの裁判が提起された場合の勝敗は五分五分といったところか。
筆者がより興味深く問題の行方を見ているのは、もう1つの太田市美術館・図書館のロゴの類似問題である。この場合の先行作品はジョシュ・ディバイン氏が2011年に発表したロゴ「Dot」だが、確かに細い直線と黒丸を使用した表現は同一ではないが筆者が見ても非常によく似ていると思う。
佐野氏はこのロゴ問題について、FNNの取材に対して概略以下のような反論をしている(8月22日www.fnn-news.com)。すなわち、「一定の要件(つまり、アイデア-筆者注)を満たすデザインは世の中にたくさんある」「それが、だれか特定の人のアイデアとして認められ、ほかの人が使えないということであれば、デザインの世界では、できないことがほとんどになってしまうと思います(以下略)」という主張である。
この佐野氏の反論から考えると、既に弁護士の助言を聞いたのだろうか、佐野氏は日本の著作権法の保護対象があくまでも著作物の「表現」部分に留まり、創作の背景となる、例えば歴史上の事実や状況設定、短いキーワードなどの「アイデア」自体が決して保護されない事をよく理解した上での発言だと筆者には思われる。
それと同時に、この反論の口振りからは、佐野氏がディバイン氏の先行作品を実際に参考にした事実関係を窺わせる内容を含んでいるような印象も受ける。仮に佐野氏が自分のロゴの創作活動に先立ってディバイン氏の作品を参照し、そこから何らかのインスピレーションを得ていたとすれば、「依拠性」が有る事は認めたことになる。勿論、過去の判例でも、アイデアの依拠自体には日本の著作権法上何も問題がないことは明白なのである。
このケースでは原ロゴの著作権者が米国在住であるから、日米どちらで提訴しても国際的な裁判管轄権の問題が生じ得る。そして、もし仮にディバイン氏のアメリカでの提訴が認められた場合、個別的な権利制限規定しか持たない日本の著作権法上では規定が無い、フェアユースの一般的な権利制限規定が適用されるかどうかが改めて問題になるだろう。
1976年著作権法第107条では、研究または調査等を目的とする著作権のある著作物のフェアユースは著作権侵害とならないと規定している。そして、その判断に際して考慮すべき要素として、(1)使用の目的および性格(使用が商業性を有するか、または非営利的教育目的かを含む)、(2)著作権のある著作物の性質、(3)使用された部分の量および実質性、(4) 潜在的市場または価値に対する使用の影響、の4つが掲げられている。
しかし、これらはあくまでも例示に過ぎず、個々のケースでのフェアユース適用の可否はその時の裁判官の判断次第なのである。その意味で日本の著作権法程厳格ではなく、緩やかな英米(判例)法的な体系となっている。
先に筆者は商業利用のケースではフェアユースが認められにくいと述べたが、米著作権法上のフェアユースは衡平法上の合理性の原則に基づく規定である。したがって、たとえ後発作品が商業利用を目的とするものであっても、その新しい表現が原作品を改変して新たな目的や異なる性質の新規物を付加する使用方法である“transformative use”であれば、フェアユースの推定が与えられ市場への影響の不存在を推定できるとされている。
例えば、映画「プリティ・ウーマン」主題歌のラップ調パロディ曲を被告が営利目的で著作権者に無断で発表した事案が問題となったケースに関して、パロディが原作品と異なる市場価値を持つことを認めた連邦最高裁の判例がある(1994年キャンベル判決)。
このように考えてみると、仮に米コロラド州在住のディバイン氏が米国の裁判所で佐野氏に対する著作権侵害訴訟を提起してその管轄権が実際に認められた場合、今回のロゴ類似問題は、もろに米国著作権法上のフェアユースの可否に論点が絞られることになるのではないだろうか。
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