ロシア政府は12月1日、Su-24M戦闘爆撃機撃墜の報復措置として、トルコに対する制裁のリストを公表したが、そのリストによると、農産品の他にも鶏肉や塩など計17品目の輸入を来年1月1日から禁止するということである。
ロシアはウクライナ問題をめぐる対立からEUからの農産品の輸入も制限しているため、今後の物価の上昇による市民生活への影響が懸念されていると報じられた(NNNニュース、12月2日)。また、地元メディアによると、ロシアからトルコに天然ガスを供給するパイプライン建設計画についても、「交渉が停止される」との話が伝えられているそうだ。
国際政治学におけるリベラリズムの前提によると、経済相互依存下にある国家間関係においては、紛争の機会費用が高まるため、双方の関係悪化がもたらすコストの負担を考慮して紛争のエスカレーションが抑制され、その結果平和が保たれると考えられている。
これはリベラリズムが、国益とはもっぱら国内アクターの選好に由来し、絶対利得、換言すれば経済的利益の最大化を国家が追求するはずであると考えていることを前提としている。すなわち、リベラリズムの前提では、国家間で絶対利得が求められるため双方の利益が合致することで協調がもたらされ、武力紛争の機会費用が考慮されてそれを回避することが国家間の共通利益になると楽観視されているからである。
だが、今回のロシアの対トルコ経済制裁措置は明らかにロシアの絶対利得を減少させるものだろう。なぜなら、報道されているとおり、ロシアはトルコとの経済相互依存状態にあるからだ。したがって、ロシア政府がトルコからの物資の禁輸措置を選択することは、自ら自国に損となることを承知でトルコとの友好関係を毀損したことになる。
両国間で経済相互依存が深まれば経済的損失が大きくなるために双方の紛争が抑止され、協調が維持されるとするリベラリズムの考え方はかなり疑問視されると言わざるを得ない。この事実が、今回のロシアの対トルコ制裁の発動を見ても明らかなのではないだろうか。
筆者が思うに、現実主義の考え方である、A国の利得が直ちにB国の損失に結び付くとするゼロサム的な「相対利得」の追求が国際政治の前提であるため、国際協調は困難であるとする見方は国際関係を一面的に捉え過ぎている。
だが、同様に国家が「絶対利得」を常に追求するため、他国との協調を重視し、紛争の機会費用を考慮して紛争のエスカレーションを回避するというリベラリズムの考え方も、甘すぎる一面的な見方であると言わざるを得ないだろう。
問題の本質は利得の形態ではなく、その時に当事国の置かれた戦略環境による政策の選択肢の幅にあるのだろう。こうした視点に立てば、今回のロシア政府によるトルコへの禁輸制裁措置の発動に見られるように、自ら経済的な絶対利得を縮小しても安全保障上の相対利得の損失を最小限に抑えることを選択するという、一見損な政策を採ることも国際政治では有り得るということなのである。
ロシアとしては、トルコのエルドアン大統領があくまでもロシア空軍機のトルコ領空侵犯の主張を取り下げず、現時点で一切の謝罪や金銭的賠償にも応じる気配を見せていないことから、有効な争点分割が出来ないためバーゲニングが不可能な状態に陥っているとも考えられる。
ロシア側はあくまでもSu-24M機が領空侵犯をした事実は無かったと主張し、トルコ側はNATOの支援も受けてロシア機の自国領空侵犯を主張しているため、この争点を他の争点での譲歩と交換することが今のところ出来ないだろう。いわゆる争点のリンケージという、紛争当事者間における交渉上の知恵を働かせることが不可能な状況なのである。
だが、分割不可能な争点のほとんどは両国の置かれた政治的文脈に規定されたものであって、決して物理的に争点分割が出来ないわけではない。特に今回の国家の領域主権に関わる領空侵犯の様な安全保障問題については、個々の紛争自体は取るに足らないような些細な行き違いに起因したものであっても、国内政治における「観衆費用」を高めて自国が容易に引き下がれないような状況を作り出すことによって相手の譲歩を引き出すバーゲニング・パワーを創出するためにも、トルコとしては安易な妥協を避けなければならないはずである。
しかし、それによって、必ずしも両国の紛争が武力衝突にエスカレートしていくわけでもないだろう。筆者の見立てでは、今回の紛争原因はもっぱらトルコ側のクルド問題に関する安全保障のジレンマにあると考えるが、それは脅威認識の相手をトルコからの分離独立を志向している国内反体制派PKKや、ISと戦っているシリアのクルド人民防衛隊(YPG)を支援しているロシアと考えた場合には、極めて間接的で非対称な相手と言わざるを得ないからである。
ある意味では、その点にこそ、今回のロシア軍機撃墜問題が抱える複雑怪奇で解決困難な相手国の意図に関する「相互不信」と「恐怖」のスパイラルに基づく安全保障のジレンマが隠されているわけであろう。
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