放送では、ディスコで踊るワンレングス、ボディコンの女性達の映像が流れていたが、当時大学院生だった筆者でさえ、高校時代の同級生に誘われて六本木や渋谷のディスコによく行ったものである。
まあ自分が誘われたのは、女性ナンパ目的の慶應大学経済学部出の同級生に、主として合コンの員数合わせとして呼ばれたのに過ぎないのであるが。それにしても、バブル当時の合コンでは、JALのフライト・アテンダントさんや宝塚の女優の卵さん達が出てくることもあって、何だが大学院生の身分には眩しすぎる程の経験をした記憶がある。
ともかく、とても派手で綺麗な女性が大勢いたからだ。実は筆者の妻も、そういうバブル期女性の典型の1人だったらしいのである。確かに、今でも妻は投資好きであるし、その消費性向は貯蓄性向よりも著しく強い感じがする。
それはともかく、興味深かったのは80年代のマネー経済に十分に対応できず、財テクに邁進してバブル崩壊後は不良債権処理に苦しむ企業の姿である。番組では阪和興業の事例が取り上げられていたが、当時東京銀行の一銀行員であった筆者も、阪和興業の名前は大口取引先としてよく記憶に残っている。ああ、当時毎日頻繁に繰り返された外為取引は、阪和興業さんの財テクの一環だったのだ、と改めて思ったのである。無軌道な金融緩和と企業の財テクのリスクが、同番組ではよく表わされていた。
1985年9月のプラザ合意でアメリカの貿易赤字を背景にドル安誘導が決まったのだが、この当時の日米貿易摩擦は深刻で、アメリカが日本に対して対米輸出抑制のために円高誘導と金融緩和を求めてきたのであった。日本が金融緩和を行うと景気が上向いて内需が拡大し、アメリカ製品を日本に輸出できるというわけである。しかし金融緩和の際に日銀が公定歩合を利下げして、市場に出回る資金量を増やしたため、地価の上昇が加速した。このメカニズムが、日本のバブル経済を引き起こしたのである。
バブル崩壊後の「失われた20年」と呼ばれる日本の長期経済停滞に際して、崩壊直後に、日本経済界を代表する企業のトップ達がこの事態を明治維新、1945年の敗戦に次ぐ日本の第三の転換点と位置付けて、その対応について議論を重ねていたことも面白かった。
オリックスの宮内義彦さんが、現在に繋がる日本型終身雇用の見直しなど構造改革の推進を提唱していたこと、それとは逆に元経団連会長の今井敬さんが、日本型雇用を維持しようと努力されていたことが印象に残った。筆者個人としては、国内消費を向上させるために日本型雇用を維持することになお意義があると考えているが、さすがに日本を代表する経営者とも言われる方々は、大所高所に立って物事を考えているなあ、という感想を持ったのである。
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