2015年5月5日火曜日

『天皇の料理番』の面白さは、明治大正時代の西欧中心主義と無鉄砲な海外留学による立身出世にある。

 TBS日曜劇場枠で、『天皇の料理番』が放送されている。佐藤健が主人公の秋山篤蔵役で、既に2話が放映された。

 自分としては、1980年10月から翌年3月まで同じTBSで日曜午後8時から放送された堺正章主演のドラマの方が、ギャグ要素満載で面白かった印象が残っている。しかし今回のドラマでも、篤蔵のモデルである秋山徳蔵氏の実際の印象以上にデフォルメされた無鉄砲な人格描写が、各々下積みの身分から立身出世を目指して、あるいは画家としてパリ留学を目指して才能の無さゆえに脱線したり、あるいは成り金を目指して家庭を崩壊させて妻と離縁したりする、2人の友人との対比で面白く描写されそうで、大いに期待しているところだ。

 ところで、『天皇の料理番』が面白いのは、飛行機もない明治時代に、フランス語も碌に話せないのに、大金を捻出して船に何週間も揺られてパリに私費留学しようとする無鉄砲な若者がいた事実と、それが帰国後の彼の立身出世にとって、実際の足がかりとなっているという、今では考えられないような時代背景にある。以下、ネタバレ恐縮ではあるが、自分の感想を述べてみたい。

 80年版ドラマでは、巨匠エスコフィエが総料理長を務めるパリのオテル・リッツの厨房入りを目指して渡仏した篤蔵が、ふとしたきっかけでパン屋で知り合った日本大使館の安達参事官の紹介で働くようになった場末の食堂で、フランス人シェフに人種差別的に苛められたりしたのを乗り越え、リッツに入って修行できることになる。篤蔵がシェフとして成功していくのと対比して、画家を目指して先にパリに留学した鹿賀丈史演じる新太郎は、ピカソの才能と比べて自分に画家としての才能が無いことを悲観して娼婦のヒモになり下がる。

 一方、相場を当てて成金として成功し、篤蔵の渡仏費用を出してくれた明石家さんま演じる辰吉も、その後事業に失敗して妻と別れてしまう。そして、帰国後トントン拍子にフランス料理界で出世の階段を駆け上がって行くにつれ、次第に友人達の気持が理解出来なくなった篤蔵の発する心無い一言と、新太郎、辰吉の感じる悲哀との対比が、何とも言えず真実味があって良かったのである。

 秋山篤蔵のように、才能と努力と人脈、そして無鉄砲さが時宜を得てマッチングしなければ人生の成功は覚束ない。これは現在も同じであろう。しかし、「一将功なりて万骨枯る」、新太郎や辰吉のように上記4つの立身出世に必要な条件のうち、どれかが欠けて失敗するか、平凡に終わる人生の方が、九分九厘位の割合を占めているのも事実だろう。

 真実の『天皇の料理番』秋山徳蔵氏は、その著書から推察される人格は、あくまで堅実な修業を重ねた緻密な料理人であったようであり、努力も並々ならぬものがあっただろう。決して、ドラマの篤蔵から受ける印象のような、才能と人脈、無鉄砲さがデフォルメされていたような人では無かったように思われる。最後に人生の成功のスパイスを効かせるのは、やはり弛まない努力なのであろう。

 

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