2015年5月24日日曜日

安保法制11法案の議論の本質は、戦争に「巻き込まれる恐怖」の問題ではなく、戦後日本の安全保障における構造改革にある。

 集団的自衛権行使等を認める新安保法制11法案を審議する衆議院特別委員会が、5月22日に初めて開催され、自民党の浜田靖一元防衛大臣が委員長に選出された。議論の焦点は、集団的自衛権の行使を認めることによって、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることになるのではないかという、「同盟のジレンマ」の「巻き込まれる恐怖」に関してなされているようである。

 しかし、安部政権が推進している安保法制の本質は、恐らくアメリカの戦争に「巻き込まれる恐怖」の問題と言うよりも、2001年4月の小泉政権誕生以降進められた、日本におけるグローバリゼーション適応に向けた、構造改革路線の安全保障面における最終段階の提示と見なすべきであると筆者は考えている。

 それと言うのも、この間の日本の安全保障法制をめぐる論議が、1991年冷戦終結以降の日本周辺の安保環境の変化、すなわち、中国の台頭や北朝鮮の核武装、さらには中東での自衛隊の展開など、従来よりも遥かにグローバルな課題に対処するために進められてきたと思うからである。

 この間の我が国安保上の論議の流れは、日本経済の構造改革において、これまで進められてきたグローバリゼーションの流れと実は軌を一にして進展してきたのである。

 日本経済の構造改革は、戦後ずっと継続されてきた政財官主導の行政指導による大企業助成と高度経済成長のための大都市中心の産業育成政策、その見返りとして地方と中小企業に対する補助金および規制、ならびに公共投資による利益還元に基づく社会統合システムを、90年代以降に進んだグローバリゼーションに適応させるために、根底から破壊する目的で進められた。

 企業が労働者を囲い込んで企業統治を貫徹するために導入された、定年までの終身雇用と年功型賃金体系も、最近の構造改革によってほとんど破壊されたのである。

 すなわち、明治維新以来日本の進路を規定してきた富国強兵路線、1945年以後は強兵の部分が脱落したものの、政財官の協調(都市中間層の目から見ると癒着と不透明性)によって誘導される経済成長第一主義の産業育成政策、ターゲティング・ポリシーによる、日本独特の開発主義的な資本主義経済の構造を、グローバル・スタンダートである、国家の介入する余地の少ない本来の市場と小さな国家体制を構築するべくぶち壊してきたのが、構造改革に他ならない。

 その過程は、日本に欧州型の本来の福祉国家体制とそれを支持する産業別労働組合と社会民主主義政党が存在しなかったことから、21世紀以降、見事に明治維新以来脈々と続いてきた日本の開発主義国家システムを破壊することに成功したと言えるだろう。現在では、開発主義時代の日本の地方への利益誘導システムも、労使協調の終身雇用システムも、もはや、その残滓が残っているに過ぎない。

 これからの日本経済は、過剰設備の問題を引き起こしかねない国内での終身雇用確保や労使協調、それによる間接的な社会統合の機能を果たすことなく、さらに多国籍企業化を進めてグローバリゼーションに適応していこうとするだろう。その結果、弱者はさらに不利な立場に追い込まれていくはずである。

 安全保障の側面でも、実はグローバリゼーションが進んでいる。もはや、日本国内を専守防衛するだけの従来型の硬直的な安保論議が成り立たない環境が、21世紀以降に出来上がっているのである。ISISの戦闘員リクルートの問題や、サイバーテロの脅威を考えれば、これは明らかであると言えるだろう。

 したがって、日本の安全保障面での諸法制をめぐる論議も、グローバリゼーションに適応するための構造改革の一環として捉えた方が、「同盟のジレンマ」における「巻き込まれる恐怖」の問題に矮小化するよりも、むしろ的確な理解に到達することができるのではないだろうか。 

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