そもそも、イスラエルが半世紀以上も継続している核の曖昧政策とは、核を保有していることを政府が公式に確認することも否定することもせず、自国の核関連活動について市民に報告することを通じて民主的な監視下に置くこともしない、不透明な核政策を意味している[1]。
これまでイスラエル国内では、政府の検閲とマスメディアの自主規制によって、この核に関するアミムット(非確認)・ルールを堅持してきた。この路線は、1966年のゴルダ・メイヤ首相とニクソン米大統領の秘密合意がきっかけとなって確立された。
その秘密合意は、アメリカによるイスラエルの秘密の核武装容認、すなわち、イスラエルが対外的に核保有を表明したり、あるいは核実験をしたりすることを慎むならば、アメリカがイスラエルの核保有を認め、それを擁護するという、イスラエルに中東における核の独占と安全保障上の特権的地位を認めた合意なのである[2]。
確かに、この合意の結果、周囲をアラブとイランの敵に囲まれたイスラエルの実存的脅威は大いに削減されている[3]。また、イスラエルが他の域内国家、例えばイラクやシリアが核武装しようと試みたのを実力で排除した強引な予防攻撃を実施した際には、常にアメリカがその国際法違反行為を背後で支持して、国際社会の非難をかわしてきた事実から見ても、この曖昧政策がイスラエルに極めて多大な利益をもたらしてきたことは明らかであろう。
しかし、イランの核武装がもはや止めることのできない段階に達した場合には、イスラエルが現行の曖昧政策を続けて自国の核保有を不透明なままに放置した場合、イランとの間に安定した核抑止体制を構築することは不可能になる。また、イスラエルは民主的な国家であるから、そうした状況下で政府が国民に説明責任を果たさないことが大問題となりかねない[4]。
さらに、イランが核武装した後に周辺のアラブ諸国が核武装に走ることを抑えるためには、イスラエルを責任ある核保有国として国際的な核不拡散レジームのメンバーに加えることが必要だが、そのためにはイスラエルに曖昧政策を捨てさせることが必要になる[5]。イスラエルにとっても、イランに対する道義的優位を確立して、有利な立場を維持することにつながるかもしれない[6]。
イスラエル国内の議論については、例えば、テルアビブ大学の外部機関である国家戦略研究所(Institute for National
Security Studies (INSS))が発行しているStrategic Assessmentの2011年10月号で、核保有したイランに対する曖昧政策の価値について、アダム・ラズがまとめている[7]。
ラズの分類によれば、イスラエルが核保有を宣言して明示的な抑止戦略に移行すべきとする立場を「核のタカ派」(Nuclear Hawks)、従来の曖昧政策を維持すべきとする立場を「核のハト派」(Nuclear Doves)として、その主張を対比している。いま、双方の主だった主張をまとめてみると、以下の表のようになる。
ラズの分類によれば、イスラエルが核保有を宣言して明示的な抑止戦略に移行すべきとする立場を「核のタカ派」(Nuclear Hawks)、従来の曖昧政策を維持すべきとする立場を「核のハト派」(Nuclear Doves)として、その主張を対比している。いま、双方の主だった主張をまとめてみると、以下の表のようになる。
表 イスラエル国内のタカ派(核抑止論者)とハト派(曖昧政策維持論者)の、主張の対比
出典:Adam
Raz, “The Value of Nuclear Ambiguity in the Face of a Nuclear Iran,” The
Institute for National Security Studies (INSS) Strategic Assessment,
Vol. 14, No. 3, October 2011, pp. 21-28に基づいて筆者が作成。
タカ派の主張
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ハト派の主張
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・イスラエルはすでに核武装国家と見なされており、曖昧政策を捨てて明示的な抑止戦略に移行しても、そのイメージに変化はない。
・曖昧政策を捨てれば国民の士気が向上し、敵の通常攻撃への不安が軽減される。
・イラク、リビア、シリア、そしてイランの例からわかるように、曖昧政策は中東への核兵器導入を妨げる効果を持たない。
・抑止戦略は、国防予算の削減に寄与する。
・抑止戦略は、兵器と資金面での対米依存を軽減する。
・曖昧政策を捨てれば、民主的手続きと透明性が向上する。
・イランに対する核の均衡と安定、イランの核開発計画への準備に資する。現状は不安定で不確実である。
・イランと相互に核武装することで防衛力が洗練、強化される。相互確証破壊のコストを負担できないのでかえって安全である。地域的な冷戦構造を作ることは、崩壊しやすい相互平和より好ましい。
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・イスラエルが曖昧政策を破棄することは、アメリカの進める不拡散政策を損ない、対米関係が悪化する。
・曖昧政策を続ければ、中東の核軍拡競争に反対の立場を維持できる。
・明示的な核抑止政策は、イスラエルが核開発国に対して軍事行動を起こす際の国際的正統性を弱める。
・核抑止政策は、アラブ諸国の核開発支持を強めてしまう。
・核抑止では、通常戦争やテロを防ぐことはできない。したがって、イスラエルが通常戦力の優位を維持する代替案とならない。
・核抑止下でも、イスラエルが通常戦で優位を保つためには外国の援助とアメリカの支持が必要であるし、むしろ核開発のコストが増大する。
・イスラエルとイランの、核の「均衡」状態の内容が明らかでない。
・核抑止の前提となる、軍備管理、軍縮に関する地域的な合意には信頼性がない。
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上記のタカ派とハト派の議論を比較してみると、道義的には、イスラエルの核に関する透明性を高め、国際的責任を負わせる点でイスラエルが曖昧政策を破棄することが望ましい。
一方、イスラエルが曖昧政策を捨てて明示的な抑止戦略に移行するとしても、相手のイランやアラブ諸国の意図が必ずしも明確でない状況では、非対称で不均衡な核抑止体制しか構築できない可能性も大きい。この点は、ハト派の主張に一理あると思われる。
イスラエルは国土が狭小で第二撃による報復がほぼ不可能であるから、イランが核兵器の先制不使用を明示しない限り、決して安心できないのである[8]。
そして、現状のイランの核計画は、イスラエルに対する抑止力ではなく、むしろ地域で覇権を獲得することを第1の目的としているように見える。イランの第1の目的が地域覇権の獲得であるならば、イランは核兵器を用いて、従来のゲームのルールを変えようと試みるだろう[9]。
つまり、イランは核兵器による脅しを背景に、パレスチナとペルシャ湾岸の過激派組織を支援して、地域の都市と施設を人質に取ろうとするかもしれない[10]。そう考えると、核抑止戦略は通常戦争の勃発やテロ組織の活動にほとんど影響を与えないから、イスラエルは通常戦力の優位を確保し続けなければならないだろう。
その一方で、イランとの核戦争に発展しかねないような、通常戦力による広範囲の軍事行動を差し控えなければならない矛盾に陥ることになる[11]。
また、イスラエルが自国の核戦力と戦略ドクトリンを明示することは、エジプト等周辺アラブ諸国を大いに刺激することは間違いない。例えば2008年には、イスラエルが核保有を公式に表明すれば、自分たちは核不拡散条約(NPT)から脱退するとアラブ諸国は牽制しているのである[12]。
こうした展開は、イスラエルにとって明らかな安全保障上のジレンマとなるから、明示的な抑止戦略に移行するよりは、現行の曖昧政策を続ける方が、イスラエルにとってむしろ得策であろう[13]。したがって、「イスラエルは現行の核曖昧政策を続ける」というのが、この論点の妥当な結論となるだろう。
[1] アブナー・コーエン、マービン・ミラー「イスラエルは自国の核保有を認めるべきだ」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2010, No. 11, 90-102頁。
[2] この段落の記述について、同上、91頁。
[3] 同上、91頁を参照。
[4] Adam Raz, “The Value of
Nuclear Ambiguity in the Face of a Nuclear Iran,” The Institute for National
Security Studies (INSS) Strategic Assessment, Vol. 14, No. 3,
October 2011, p. 21, <http://cdn.www.inss.org.il.reblazecdn.net/upload/(FILE)1320577078.pdf>,
accessed on March 7, 2013; 同上、98頁。
[5] 同上、96-97頁。
[6] 同上、101-102頁。
[7] Raz, “The Value of Nuclear Ambiguity in the Face of a Nuclear Iran,”
<http://cdn.www.inss.org.il.reblazecdn.net/upload/(FILE)1320577078.pdf>.
[8] Ibid., pp. 26-27.
[9] Ibid., pp. 27-28.
[10] Ibid., pp. 27-28, note 22.
[11] Ibid., p. 27.
[12] コーエン、ミラー「イスラエルは自国の核保有を認めるべきだ」91頁。
[13] Raz, “The Value of Nuclear Ambiguity in the Face of a Nuclear Iran,”
p. 29.
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