5代徳川将軍綱吉の治世期間に、幕府の財政を一手に仕切っていたのが勘定奉行の荻原重秀である。彼の進めた経済政策は、現代から見てもデフレ脱却のための合理的思考に基づく妥当な内容を多々含んでおり、封建時代にありながらその頭脳の優秀さには感心せざるを得ない。
ただし、アベノミクスと同様に、通貨膨張による緩やかなインフレ誘導政策に偏していた点で、荻原の経済政策には不十分な点があったことは否めない。肝心かなめの成長戦略が無かったのだ。
その結果、元禄および宝永時代に相次いで日本列島を襲った大地震や富士山噴火といった天変地異の被害に対する復興支出の増大から幕府の財政赤字が拡大し、貨幣改鋳による通貨膨張を連発してインフレを招いてしまったのである。
荻原は幕府の信用があれば、通貨は瓦礫でもよいと言ったそうだ。つまり、それまでに発行された慶長金銀貨の金銀の含有量を落として貨幣を改鋳すれば、幕府は莫大な通貨発行益を得られる。
同時に、緩やかなインフレが起こって、通貨の実質購買力の低下を知った商人達が、将軍綱吉とその母桂昌院の寺院建造のための建設投資増大の結果蓄積した金銀貨の退蔵を止め、その分を投資に回すはずだと荻原は見越したのだろう。まさに、現代のアベノミクスと同じ論理である。
ところが、元禄、宝永と大地震が連続して起き、加えて宝永4(1707)年には富士山が歴史上最後の大噴火を起こした。さらに大火で内裏まで焼失したため、幕府の財政支出は急増して、財政赤字が手の付けられないところまで悪化した。
荻原は、長崎貿易拡大による運上金徴収額増大や大名に対する課税など、平成の消費税増税と似たような財政再建策を講じたが焼け石に水で、結局、新井白石に糾弾された荻原は、幕府財政悪化の責任を全部負わされて退任させられた。黒田日銀総裁もそうならなければ良いのだが。
なんだか、元録・宝永時代の経済政策の右往左往は、自分には、平成の現代日本と同じ状態のように思われる。最近箱根の大涌谷で、山体が膨張して、水蒸気爆発を起こす危険が取りざたされている。箱根山は、伊豆半島が日本列島に衝突した時に富士山と共に形成されたと言われている。
とすれば、箱根山の天変地異は富士山噴火の予兆と言えるかもしれない。そうであるならば、ますます現代と元禄・宝永時代が似ているように思えてくる。というのは、戯言に過ぎないだろうか。
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