昨年10月から今年3月までTOKYO MX 他で放送された深夜アニメ 『SHIROBAKO』は、アニメ制作現場そのものを描写した一種の業界紹介アニメで、大変興味深かった。多少の誇張とフィクションは勿論あるかもしれないが、「ああ、こうやって普段見ているアニメが作られているのか」と認識できただけでも出色の出来だったと言えるだろう。
時間に追われてバタバタ自転車操業のようにスケジュールをこなしていくアニメ制作業界の現場は、雇用の不安定さや時間管理の曖昧さという点でも、我々研究者の業界と良く似たところがあるようだ。
しかし、私の所属する研究業界では、およそ「勉強ができる」才能よりも、生まれながら持ち合わせた「勉強好き」の性質の方が、自らの雇用を確保するためにむしろ大きな要素を占めていると思われる。
その点、アニメ制作業界の方が、研究業界よりも才能の占める割合が大きいかもしれない。いずれの業界についても、生来の才能と物好きの性質の混合状態が、その人の職業適性に影響していることは間違いないだろう。
研究業界では、そもそも就職するために大学院に入らなければならない。これは、理系はともかく、文系の大学4年生にとっては、一般の会社に就職する機会を自ら放棄することとほとんど同義であり、その道を選択した時点では無自覚な場合が多いと思うが、とんでもないリスクを20代前半で背負う覚悟が必要である。
大体、大学院を出てもすぐに就職できる人などほとんどいない。40、50の年齢になってもアルバイト生活を続ける羽目に陥ることも決して珍しくない。自分の院生時代の同期でも、研究業界に居残っている人は、恐らく50パーセントに満たないだろう。
30代から40代に運良く就職できたとしても、普通に就職した人より10年以上は無職期間が長いのだから、生涯賃金も低いかも知れない。例外としては、IPS細胞を作った山中伸弥教授のように突出した業績を残した人か、テレビで売れっ子になるような一部のスター研究者だけだろう。
才能が求められる分、アニメ制作業界の方が労働に対する平均単価が研究業界より高くてもおかしくないと思うが、アニメ業界は外食産業などと並んでいわゆる労働集約型産業の代表選手と言える業界のようで、それは『SHIROBAKO』を見ても大いに頷けるところである。
私の所属している研究業界は知識集約型産業の代表選手と言える業界なので、労働に対する平均単価が高めに設定されているところと、業務遂行がほとんど請負型で個人の裁量に委ねられている部分が大きい点が幸運であったとも言える。人に管理されることが嫌いであること、すなわち、社会人としての適性にやや欠けるところがあっても何とか勤まってしまう稀有な業界が、研究業界なのである。そういう特殊性のゆえに、業界に参入する障壁は異常に高いと言えるだろう。
逆に言えば、『SHIROBAKO』の主人公宮森あおいのような、優れた対人調整能力や精密なスケジュール管理を研究業界の人に期待されても困るのである。研究業界人は、生来そういうことが上手でないからである。
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