2011年からの内戦で、シリアの首都ダマスカスは、日本から観光目的で行くことができなくなってしまった。実は筆者は、内戦が始まる直前の2010年夏に、妻と娘を連れてシリアに観光旅行に行ったのである。
筆者は2002年春に身重の妻を日本に残して、シリアの首都ダマスカスに赴任して日本大使館に勤務した経験がある。当時はバッシャール・アサドが父親のハ―フェズの後を継いで大統領に就任したばかりの時で、改革開放の機運がシリアを覆っていた時代であった。
まさか10年後に、このような悲惨な内戦状態に陥るとは思いもよらなかったのである。その頃、筆者はダマスカス市街の西にあるティシュリーン公園近くのシェラトン・ダマスカスホテルに滞在していたが、実に楽しい日々を過ごした。
ホテルのカフェから眺めるカシオン山はとても美しく、日本で例えれば、京都市街から比叡山を眺めているのと同様の感慨があった。専属のドライバーに頼んで夜のカシオン山に登ったことがあるが、眼下に見下ろすダマスカス市街の夜景は実に素晴らしかった。余談であるが、カシオン山には、シリア軍の施設があるため写真撮影は要注意であった。
カフェでは、シリアの人々がサッカー・シリア代表の試合に興じていた。シリア人は、総じて非常に親日的だ。旧市街のスークで買い物をしても、イスラエルやトルコのように、日本人がぼったくられる心配はほとんどない。それどころか、買い物をすれば、店主が必ず紅茶をふるまってくれる程である。
ダマスカス旧市街には、世界最古のモスクであるウマイヤード・モスクがあり、そこにはイエスの師と言われる洗礼者ヨハネの墓と言われるものもある。このモスクのすぐ近くには、第3次十字軍を撃退したイスラームの英雄、アイユーブ朝を開いたサラーフ・アッディーンの廟所もある。世界史上屈指の名所なのである。
ダマスカスからは、車で十字軍の築いた名城クラック・デ・シェヴァリエにも簡単に行くことができる。この城は、アラビアのローレンスも調査して世界で最も素晴しい城だと述べたたように、実に見事な城塞である。1142年から1171年まで、聖ヨハネ騎士団の拠点として使用されたため、当時の十字軍美術の宝庫となっている。シリア内戦で、観光客が行けないのは非常に残念なことだ。
シリアには、もう1つ、パルミラの世界遺産もある。アジアの東西を繋ぐシルクロードのオアシス都市として3世紀に繁栄し、一時はエジプトの一部も支配下に置いた女王ゼノビアがローマ帝国に抵抗したため、273年にローマ帝国の軍人皇帝アウレリアヌスによって攻略され、廃墟となったのである。
その遺跡は実に素晴らしいもので、2010年に訪問した妻と娘も大感動していたものである。しかし、パルミラ遺跡へも現在は行くことができない状態である。
そういう意味でも、シリア内戦は早急に収拾させるべきであろう。世界的に重要な文化遺産を、世界中の多くの人々が知る機会を回復するためにも、シリアの平和を直ちに回復するべきである。
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